小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

芸術と偏執の犯罪

INDEX|1ページ/19ページ|

次のページ
 
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年5月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。

                 緊急事態体制

 H県には、仙人峡と呼ばれる、屋外レジャー施設があった。
 この場所は、県民の憩いの場になっているだけではなく、県外からも、数人のアウトドアが好きな人たちが集まってくる。中には、学校の遠足や、野外学習に利用する人も多く、最初はなかったが、キャンプ施設も造営されたのだった。
 この辺りは、おいしい水が豊富で、しかも、川が流れるあたりは、そんなに険しいところでもないことで、
「子供連れでも危なくはない」
 といわれ、逆に、そこから隣の登山口の方は、山肌を大きな岩がゴロゴロと転がっていて、
「まるで、秋吉台を思わせる」
 といわれたほどであった。
 秋吉台というのは、言わずとしれば、山口県の名所であるが、地下には鍾乳洞が広がっていて、日本で有数の鍾乳洞として有名なところである。
 仙人峡には、鍾乳洞もあるが、さすがに、秋芳洞ほどの規模であるわけもなく、逆にそれだけの規模の自然が残っているのであれば、
「キャンプ場」
 であったり。
「県民の憩いの場」
 ということなどできるわけはない。
 下手をすれば、
「県にとっては大切な資金源」
 ということで、県の税金を使ってでも、大々的な宣伝をしないといけないということになるであろう。
 それを思えば、
「これくらいの規模がちょうどいい」
 と思っている人も決して少なくはないだろう。
 確かにこの県には、そこまで国内有数と呼ばれるような観光地があるわけではない。
 だから、今から数十年前の昭和末期の、
「バブル期」
 といわれた時の、
「テーマパークブーム」
 に則って、今でいうゆるキャラのようなテーマパークができたのだが、結果は、他の県の類に漏れず、悲惨な状況になり、わずか5年ともたっずに、閉園という憂き目に甘んじることになったのだ。
 だから、それ以降は、その時の失敗を教訓に、
「無謀なことはしない」
 ということに徹していたのだ。
 実際に、その時の負債は、いまだに解消されていない。これは、H県に限ったことではないが、負債額的には、そもそも、予算自体が少なかったことで、そこまでひどくはなかった。
 しかし、それでも、
「県が、運命を賭けてとまで考えての事業だっただけに、そのショックは大きかったことだろう」
 考えてみれば、
「あのバブルの崩壊というものを、誰も見抜くことができなかった」
 というだけに、テーマパークの失敗というのは、当たり前のことだった。
 それなのに、当時の県政としては、
「他の県に負けてはならない」
 という、身分にそぐわないことを考えたのが、そもそもの間違いだったといえるだろう。
 そういう意味で、その後の県議会は、
「慎重派」
 と呼ばれる人たちが主流派を占めたことで、それ以後は、
「比較的安定した県政」
 というものを歩んでいたのだった。
 それを考えると、今のレクレーションであったり、アウトドア、インドアに限らず、趣味に勤しむ人たちが、活動しやすいという環境を作り上げていたのであった。
 特に、
「今の県政で何がいいのか?」
 というと、
「有識者のいうことには素直に従う」
 ということからだったのだ。
 それがハッキリと分かったのは、数年前に起こった、
「世界的なパンデミック」
 というものの影響によるものであった。
 最初は、
「世界の誰にも、その正体が分からない伝染病」
 ということで、
「第二次世界大戦以来の、世界的な有事と言われたものだ。
 実際に、日本を含めて、どこの国でも、その影響は深刻で、毎日のように、世界各国、そして国内の情報が、どのチャンネルをひねっても、その話題で持ち切りだった。
 さすがにここまでくれば、どんなに政治に興味のない人でも、政府の政策に注目するというもので、
「日本には有事はない」
 といわれた、ここ80年近くにおいて、
「平和ボケ」
 というものがどれほど、ひどい状況だったのかというとこが証明されたかのようだったのだ。
 だから、政府は国民やマスゴミに対して声明を発表する時、
「有識者の判断を仰ぎながら、政策を立案し、進めてまいります」
 という言葉を繰り返してきた。
「そんな言葉、聞き飽きたわ」
 というくらい、毎日のようにそういう声明を出しているくせに、政府に対する長目が高ければ高いほど、国民もさすがにバカではない、それを聴いて、
「何を言ってやがる」
 と、ほとんどの人が感じたことだろう。
 というのも、政府の毎日の声明に慣れてくると、
「なんだい? 有識者のいうことを聴くっていってるくせに、実際には、都合の悪いことはまったく意見を無視してるじゃないか?」
 ということであった、
 それを聴いた人は、以前であれば、
「政府だって頑張っているだから」
 と政府を擁護するような発言をしていた人が多かったのだが、途中から、
「やっぱり、政府になど期待した自分たちが悪かった」
 ということに気づいた。
 特に、ひどいのは、
「最初は、国家的な非常事態」
 ということで、政府が医療費などのお金を出したり、ワクチン代も、国家持ちだったりしたのだが、途中から、それらを緩和するという話が出てきて、
「政府は、自分の命は自分で守れと言っているんだ」
 ということで、
「誰も政府のいうことなど聞かなくてもいい」
 という発想になった。
 しかし、それは政府がすぐに、
「言い方が悪かった」
 ということで、
「国民が誤解をしただけ」
 ということで、何もなかったかのように、それ以降は振舞ったのだが、どうも、政府のこの時の曖昧な態度に対して、それまでの、政府のお粗末な政策に対して、
「大概我慢していた」
 といわれた国民の緊張の糸が、
「プツンと切れた」
 ということなのだろう。
「いやいや、政府の言う通りで、自分の命は自分で守るしかない」
 ということを感じた国民は、
「もう政府のいうことなど聞けるか」
 と思ったに違いないということは、想像するにたやすいことであった。
作品名:芸術と偏執の犯罪 作家名:森本晃次