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芸術と偏執の犯罪

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 というものは、
「拭うことのできないもの」
 ということであっただろう。
 裁判で問題とされなかったのは、
「占領下によっての、マスゴミの利用価値」
 というものを考えると、
「戦争責任を問う」
 ということよりも、問題にすることなく、
「傀儡のように利用する」
 というのが、得策だと考えたのだろう。
 それこそ、やり方としては、
「731同様」
 といってもいいかも知れない。
 それだけ、
「局牢国際軍事裁判」
 というものが、
「勝者の理屈」
 ということで成立したといってもいいだろう。
 だからこそ、
「世界的なパンデミック」
 の時に、その責任とやっていることから、世間から、
「マスコミではなく、マスゴミだ」
 と言われたが、これは、
「パンデミックの時代に始まったわけではなく、マスコミというものが成立した時点から、くすぶっていたものなのかも知れない」
 といってもいいだろう。
 特に今の時代のマスゴミは実際にひどいもので、
「露骨に、中立ではない」
 というところもある。
 それが、新聞社を中心とした。放送業界にも蔓延っているグループ企業ということであり、
「もっとも、そんなことは、国民は皆分かっている」
 ということで、実際に、
「一部の国民からは、完全に毛嫌いされている」
 というところもある。
 そんなところは、
「一部の国民に嫌われてもいいから、自分たちを支援してくれているところの犬になっても構わない」
 と考えているのかも知れない。
 だから、
「マスゴミというのは、その表裏がハッキリしていて、分かりやすいものなのかも知れない」
 といえるのかも知れず、
「それが、政府と同等で、むしろ、政府よりも、もっとひどいところなのかも知れない」
 といえるだろう。
 政府は
「行政」
 ということ、
 マスゴミは、
「情報」
 ということで、国民を翻弄し、
「国家を亡国として誘っている」
 といえるのではないだろうか?
 そんなマスゴミで仕事をしているジャーナリストが、
「殺害された」
 ということになれば、本来であれば、
「その当事者である出版社は特に、襟を正さなければいけない」
 ということになるのだろうが、逆に、
「この時とばかりに、他の同業者に負けない」
 ということしか考えていないように見えるのだ。
 つまりは、
「マスゴミというのは、報道するということを仕事ということで、ただ、事務的に仕事をしている」
 としか見えない。
 それは、忙しさからマヒしてしまった感覚が、そうさせるのかも知れないが、それこそ、
「上層部の中で、感覚をわざとマヒさせ、まるで社員を洗脳することで、何か一つの方向に、誘っているのではないか?」
 と思えるのだ。
 それが、
「身内が死のうがどうしようが関係ない」
 つまりは、
「兵隊が何人死のうと、兵隊なんだから、しょうがない」
 と思っているのだろう。
 それは、
「戦争を仕事とする軍」
 であったり。
「君主国の臣民」
 ということであったりすれば、それは、
「国家元首のために、命を捨てるのは当たり前」
 ということで、教育も受けていて、
「義務なんだ」
 と言われてしまうと、民主国家としての
「国民」
 というものとは、考え方に、
「まったくの違いがある」
 といってもいいだろう。
 それが、今の時代において、
「国家というものの成り立ち」
 と、
「国民なのか、臣民なのか?」
 ということの違いにより、実際には大きな問題として解釈されることになるのであろう。
 もっとも、
「大日本帝国」
 というものが滅んでから、70年以上が経っている。
 果たして。今の国家は、亡国に向かっているのだろうか?」
 というのは、国民は、間違いなく、
「亡国だ」
 と答えるに違いない。
 今の世の中というものを、
「マスゴミを見ることと、その情報統制に騙されないようにしないといけない」
 という、
「マインドコントロール」
 というものを、
「いかにうまく扱うか?」
 ということを意識しないといけないといえるだろう。
 今回の被害者である篠原ゆかりのことを調べていた刑事は、
「自他ともに、ろくでもない言われ方をしていない」
 ということが、調べれば調べるほど分かるのだった。
「あの女は、取材の際には、その強引さなどはひどいもので、結構いろんなところから恨みを買っているのはないのか?」
 というのを、同業者である、
「マスゴミ仲間」
 から、同じ返答しか返ってこなかった。
 さらに、同じ会社の人からは、
「あの人が変なウワサになるような態度を我が者顔でやってくれるから、こっちは、仕事がやりにくくてかなわない」
 ということであった。
 要するに、
「あなたが勝手なことをしてくれるから、私たちも皆から、同じ穴の狢と呼ばれるのよ」
 と言わんばかりであった。
 口の悪い人などは、
「ここだけの話、死んでくれて助かったわ」
 とまでいう人もいた。
 実際に、その人は、彼女の横暴のせいで、せっかくの仕事をふいにしたどころか、取材先からクレームを受けて、会社を辞めざるをえなくなってしまったのだ。今は、マスコミの仕事を請け負う形で、ちゃんとした定期的な収入が得られず、借金も抱えているということで、恨みを持つというのも分かるというもの。
 彼女には、これから、マスコミにおいて、
「自分にできる夢」
 というものをキチンと持っていて、それを完全に打ち砕かれたことから、
「私が何をしたというの?」
 とばかりに、口での悪口くらい構わないと思っていたのだ。
「言っとくけど、同じような思いを抱いている人は、たくさんいるわよ。私以上のひとだって、結構いると思う」
 ということで、
「彼女くらいの遍歴を考えると、人生を狂わされたなどという人は本当に少なくはないだろう」
「ペンは剣より強し」
 というが、悪い意味で、まさにその通りである。
 下手をすれば、
「やろうと思えば、完全犯罪だって、できなくもない」
 というくらいであった。
 だが、中には、
「彼女はそんな人ではない」
 といっている人も若干名いる。
 しかし、彼女を擁護するということは、まわりから、
「あいつらも、同じ穴のムジナ」
 ということになると思われるどころか、
「完全に敵だ」
 と思われて、普通に生活することすら不可能になるといってもいいくらいになfるのではないだろうか?
 それを考えると、
「ゆかりを取り巻く人間関係というものが、どのようになっているのかということは、誰が本当のことを知っているのか?」
 と言われたとしても、過言ではないだろう。
 そんなことを考えていると、
「世の中が信じられない」
 と考える人も少なくはないだろう。
 そんな風なウワサヲ聞いていると、警察としても、
「容疑者は、無限にいるのではないか?」
 と思えても仕方がない。
 精神疾患の中の一つの症候群として、
「自分の、恋人や家族のような親しい人間が、悪の秘密結社によって、替え玉と入れ替わっていて、自分を殺そうとしている」
 という感情があるという。
 それを、
「カプグラ症候群」
 というそうであるが、それこそ、
作品名:芸術と偏執の犯罪 作家名:森本晃次