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芸術と偏執の犯罪

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 という押し殺したような声が、重低音で聞こえてきた。
 さすがに刑事であれば、その声が意味するものは分かったようで、そそくさと桜井警部補は、しかめ面になって、トランクの方に行って。覗き込んだ。
 そこには、若い女がトランクの中に、まるで、胎児が、母体の羊水の中にいる時のように、丸まる形で、横向きに入っていた。
 その胸部にはナイフが刺さっていて、トランクの中は、血の池のようになっていた。
 といっても、凶器は胸に刺さったままだったので、そこまで噴き出したというわけではない。
 ということは、
「凶器が抜き取られていれば、もっと悲惨な地獄絵図だったに違いない」
 と、桜井警部補は感じていた。
「なるほど、もし、これが、凶器が持ち出されていれば、もっと早く発見されたかも知れないわけだな」
 ということであった。
 この時だって、山下刑事が不審に感じたから、ここで鑑識を呼ぶことになったわけで、もし、不審な点がなかったとすれば、警察に車がレッカーで運ばれ、持ち主の捜索が行われるという手順になるので、死体の発見は相当遅れていただろう。
 しかし、いずれは、死体が腐乱していき、悪臭が漂ってくるだろうから、発見するには、かなり時間が掛かってしまうということになっただろう。
 しかも、死体もかなり腐乱しているということになり、捜査ということでは、そもそもの身元の確認から、難航したことだろう。
 それを考えると、今回の山下刑事の着眼点は素晴らしかったといえるだろう。
 少なくとも、レッカー移動することなく、ここで死体が発見できたのだから、それも当然だといえる。
 実は。犯人とすれば、
「この場所で、鑑識に捜査してもらうということが狙いだった」
 ということである。
 それでも、ここでの発見が、
「事件が解決してみれば、ファインプレーだった」
 ということになるのだ。
 これは、もっと先の話だるが、これも、
「事件のターニングポイントであった」
 といってもいいだろう。
 とにかく、
「車の中のトランクから、死体が発見された」
 ということは、センセーショナルな事件ということで、マスゴミが大々的に発表した。
 しかも、その少し前に、
「近くのキャンプ場の川に流れついた死体」
 というのとの関連があるのかどうか?
 ということも、マスゴミは、面白おかしく書き立てたのであった。
 マスゴミは、
「新聞がうれればいい」
 というやつらが多いことと、
「新聞社の質」
 というものもあって、完全に、
「二つの事件は関連がある」
 という書き方をしていた。
 というのも、警察の記者会見で、警察が、
「今のところ分かっていないことが多く」
 という言い方をしたものだから、
「書く記事の材料が少ない」
 ということで、
「少し読者の感情を煽ることで、興味を掻き立てるような記事にしないといけない」
 ということから、その路線で各社があおり記事を書いたから、事件の関連性が騒がれるのは当たり前のことだった。
 河原で発見された被害者の身元は分かっていたが、今回の事件の被害者の身元も、簡単に分かった。
「車に押し込んで死体を隠しているかのように見えるが、別に身元を隠そうという意図は感じられない」
 ということであった。
 というのは、逆にトランクの中には、被害者と一緒に被害者の持ち物と思しきハンドバックがあり、そこには、定期入れ、財布などが残っていて。原田佐和子の時と同じように、その中から、運転免許証であったり、名刺、健康保険証など、普通に発見された。
 運転免許証があれば、それが決め手ということであり、被害者の名前は、
「篠原ゆかり」
 という30歳の女性だということが分かった。
 しかも、驚いたことに彼女の名刺入れから発見された彼女の名刺の肩書は、
「秋月出版」
 というマスコミ関係の女であるということは、記者会見で明らかになったことで、さらに、騒ぎを大きくすることになったのだ。
 かといって、
「分かったことを隠し立てするわけにもいかない」
 どうせ分かることであるのは間違いないことであるし、犯人も隠そうとするどころか、わざわざ抜き取ることをしなかったのだから、
「知られてもいい」
 と思っていた。
 というよりも、むしろ、
「公表したい」
 という思いが、犯人側にあったのではないか?
 と思えるのであった。
 もちろん、秋月出版には、
「社員が殺された」
 ということは知らされ、実際に、出張っていったのはもちろんのことだった。
 編集長という人に話を聴くことができたのだが、
「社員が殺された」
 というのに、そんなに慌てている様子もなかった。
 むしろ、
「うちの社員が殺されたんだから、同業者に上米を跳ねられるようなことになっちゃいけない」
 といって、それで躍起になっているようだった。
 要するに、同業者を完全に、
「火事場泥棒扱いだ」
 ということである。
「気持ちは分からないでもないが、少なくとも殺されたのは、自分たちの同僚じゃないか?」
 ということで、彼らの露骨な態度に、業を煮やすということになるであろうか。
「弔い合戦というのであれば、分からなくはないが」
 ということで、
「つくづくマスコミに対しては、苦虫を噛み潰したかのような気分にさせられる」
 というものであった。
「警察を舐めてるんじゃないか?」
 と、若い捜査員は、マスゴミに対して、挑戦的に感じているのだが、実際にはどうなのか分からないと思うと、複雑な気分だ。
「そもそも、警察という組織だって、決して褒められる組織というわけではない」
 ということで、
「なるべく、自分たちが警察だという意識を持たないようにしよう」
 とすら思っているほどで、
「感情を入れると、その理不尽さに押しつぶされる」
 というのが嫌だと感じているのだろう。
 それを思えば、
「警察も、マスゴミと一蓮托生ではないか?」
 と思うのだった。
「大日本帝国の時代のマスゴミと警察を見れば分かるというもの」
 ということで、
「治安維持法」
 というものに支配された時代などでは、警察は、
「特高警察」
 などと言われ、スパイを摘発したり、軍の諜報活動などに関与したりと、あくまでも、
「政府であったり、軍の犬」
 ということで、国民は二の次だったといってもいい。
 マスゴミに至っては、
「政府や軍の言う通りの記事を書かなければ、検閲で引っかかる」
 というものであった。
 ただ、それならまだいいのだが、
「そもそもの大東亜戦争の時代」
 というと、
「政府や軍による、報道の抑制」
 ということで、
「被害者だ」
 と言われてきたと思われているようだが、
「実際には、それは、戦争が泥沼に入ってからのこと」
 ということである。
 もし、戦争犯罪を裁いた。
「極東国際軍事裁判」
 において、
「マスゴミ:
 というものが注目されれば、
「一番の戦犯だった」
 といってもいいかも知れない。
「訴追に対しては、中国との戦争にさかのぼる」
 ということであったわけで、実際に、
「シナ事変から大東亜戦争が始まって、情報統制が行われるようになるまで」
 というものの、
「マスゴミの戦争責任」
作品名:芸術と偏執の犯罪 作家名:森本晃次