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高い授業料

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 徹底的にしごき上げ、それは、技術や体力だけではなく、精神的なものを鍛え上げる必要があるのだ。
 むしろ、精神的な鍛練が一番重要であり、それが、
「プレッシャーに負けない、鉄壁な精神力」
 というものになるだろう。
 その一番の近道というのが、
「スパルタ教育」
 であったり、
「軍隊方式」
 ということになるのだろう。
 今の時代は、
「部活での、先輩による、しごきであったりするものは、体罰としてまわりからは見られる」
 ということで、中には
「実際に、体罰だ」
 ということもあるだろう。
 今から半世紀前というと、ちょうど、
「青春ドラマ」
 であったり、
「スポーツ根性ドラマ」
 などというものが流行った時代であった。
 その頃というのは、今とまったく違って、
「スポーツというものは、鍛錬であったり、特訓を重ねて強くなっていくもので、その特訓の間は孤独なものだ」
 ということであったことから、
「熱血」
 という言葉が当てられていた。
 だが、それだけではなく、
「孤独な勘張りを、まわりが応援する姿」
 であったり、
「達成した時に、まわりが手放しで喜んでくれたり、ほめてくれたり」
 というのが、当時の発想だったのだろう。
 それが、時代を重ねるごとに、
「PTAなどの、保護者」
 というものが強くなったり、
「子供同士での、苛め問題が出てくる」
 ということで、すっかり、
「スポーツ根性もの」
 であったり、
「熱血青春もの」
 というのが、すたれていったのである。
 要するに、
「現実にそぐわない」
 ということであろうか。
 特に教育方針というのが、この半世紀の間で、何度変わってきたというのか?
 そもそも、
「戦後の混乱から復興させるために、教育レベルを上げる必要がある」
 つまり、
「外国に追い付く必要性」
 というものから、
「学歴社会」
「受験戦争」
 というものが出てきた。
 そして、それが、
「落ちこぼれ」
 であったり、
「不良問題」
 というものから、時代が進むことで、これは教育だけが問題ではなく、家庭環境にもよるものであるが、
「苛め」
 であったり、
「引きこもり」
 という問題が起こってきた。
 そこで、今度は、
「ゆとり教育」
 ということが言われ出した。
 もっとも、これは、政府が、
「国民に金を使わせるため」
 ということで、わざと国民の休日を増やしたり、連休をわざと作るという姑息な政策によるものであるが、そのゆとり教育の影響から、
「教育レベルの低下」
 あるいは、
「年間カリキュラムの達成が難しくなる」
 という問題になってきた。
 その影響が今に出てきて、そのしわ寄せが、教師に移ってきた。
 今では、
「平均の勤務時間が毎日10時間以上」
 ということであり、もちろん、休日や、夏休みなどというものも関係ないというような、
「ブラックな業種」
 となったのだ。
「学校の先生が一番ブラックだ」
 といわれて久しいわけだが、
「仕事の厳しさというのは、相手が人間ということで、さらなるブラックだ」
 といえるだろう。
 今の時代は、
「コンプライアンス」
 という観点から、いわゆる、
「ハラスメント違反」
 に関しては、周囲の目が厳しい。
 会社のおいても、昔からのハラスメントは、
「社会全体で撲滅」
 という体制になっているので、必要以上な厳しさはないだろう。
 昔であれば、
「宴会出席の強要」
 であったり、宴会に出れば、
「俺の酒が飲めんのか?」
 というような、強制的なやり方。
 それこそ、軍隊形式というもので、
「これ以上のハラスメントはない」
 といってもいいだろう。
 しかし、逆に、
「コンプライアンスを重視する」
 ということから、
「行き過ぎ」
 と思えるようなこともある。
 今の若い連中であれば、それが当たり前だと思うのだろうが、中年以上のサラリーマンにとっては、
「世間話」
 ということで、
「ただ、コミュニケーションをとっているだけのつもりなのに」
 ということであっても、
「それは、セクハラだ」
 といわれるのだ。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
 ということわざがあるが、
「セクハラ」
 というものは、そういう考えからきているといってもいいかも知れない。
 たとえば、
「○○さん、今日もきれいだね」
 であったり、
「○○さん、そろそろ結婚しないのか?」
 という、数十年前であれば、
「ただの挨拶だったものが、今では、セクハラだと言われる」
 のであった。
「きれいだね」
 というと、それを言われた女の子が喜ぶと思ってしまうと、それは大きな勘違いである。
 下手をすると、
「一度キレイだと言われてしまうと、次も言われるようにしようと考えれば、さらなる化粧品を購入したり、高価なものに変えないといけないというプレッシャーを感じる人もいるだろう」
 特に、女性というのは、まわりのライバルを意識することも多いので、
「あの人には負けたくない」
 というライバル心を掻き立てられるということになり、結果、
「女性の気持ちを煽り、もてあそんでいるだけだ」
 ということになるのかも知れない。
 また。
「結婚しないのかい?」
 というのは、こちらも、相手がなるべく考えないようにしていたことを考えさせるというように煽っているということになりかねない。
 今の時代の女性社員というのは、このように、しおらしい考えを持った女性ばかりではない。
 特に、
「男女平等」
「男女雇用均等法」
 などの観点から、
「女性は、男性と差別されてはいけない」
 と思っている人には、格好の男性に対しての攻撃ということになるだろう。
 そういう意味では、男性の方では、
「何も言えなくなった」
 といって困る上司もいるだろう。
「これでは、仕事上の命令や依頼もできやしない」
 というものだ。
「これ、お願い」
 といって依頼しただけで、
「パワハラだ」
 などといわれて騒がれれば、いくら、まわりが、
「パワハラではない」
 と思ったとしても、逆に、
「部下に対して、普段からちゃんとコミュニケーションを取っていないから、部下からつるし上げられる」
 ということで、
「上司としての人間関係の方を過小評価される」
 というものだ。
 だからと言って、上司とすれば、
「部下に仕事を割り振って、自分は、全体を見る」
 というのが当たり前なのに、割り振った仕事を依頼しても、
「パワハラだ」
 などといわれると、本当にどうしていいのか分からなくなる。
 それで、
「上司として失格」
 などという烙印を押されてしまうと、
「これほど理不尽なことはない」
 として、やりきれない気分になるだろう。
 つまり、今の時代は、
「男女平等」
 であったり、
「コンプライアンス」
 という問題から、以前は、
「弱者だ」
 といわれてきた、部下や女性が強くなり、その立場を利用して、よからぬことを考えるやつが多いということも事実であった。
 そんな連中に引っかかってしまうのを、ただ。
「運が悪かった」
 ということで片付けていいものだろうか?
作品名:高い授業料 作家名:森本晃次