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高い授業料

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 人を楽にするために、働いた分、その代価をいただくということで、世の中は成り立っているのだ。
 だから、自分が働けば、傍が楽になり、他の人が働けば、自分を含めた傍が楽をする。そのために、もらった代価で生きていくというのが、今の世の中の成り立ちということであろう。
 そこには、
「光と影」
 というものがあり、
「善と悪」
 というものがある。
 正反対のものというのは、
「えてして、錯覚を起こすもの」
 と考えてもいいだろう。
 しかし、
「その錯覚を利用する」
 ということもある、
 実際には、
「それがいいことなのか、悪いことなのか分からない」
 といえるだろう。
 そうなると、何が正しいのかということは、錯覚から分からなくなることがある。しかも、その錯覚が、
「他人の手によるものだ」
 ということになれば、どうであろうか?
 それを考えると、
「何が起こるか分からないこの世の中、しっかりと、その準備をしておかなければいけないのではないだろうか?」

                 行き過ぎるコンプライアン

 そのための下準備ということで、まずは、
「人に気を遣う」
 ということに慣れておくことが大切ではないだろうか?
 それも、
「何が起こるか分からない」
 ということのために、
「前もって、人に気を遣っている」
 ということになれば、それを相手に悟られてしまうと、相手によって、
「警戒する」
 という人もいるだろうし、
「露骨な態度」
 という風に見えて、気を遣うことが、わざとらしいと考えてしまう人もいるだろう。
 根が真面目な人に限って、気の遣い方を間違えると、却って余計な気を遣わせてしまったり、相手を疑心暗鬼にさせてしまったりするものだ。
 それを考えると、
「人に気を遣うというのは、どういうことなんだ?」
 と、気を遣わなければいけない立場になると、必ずどこかで引っかかる問題だということになるだろう。
 このお話は、そんな、
「人に気を遣わなければいけないという人が、どのような気の遣い方をするかということにも関わってくる」
 ということでもあるのであった。
 ある火のことだった。
 あれは、そもそも、柏田雄二という男が、通勤の時に、
「巻き込まれた事件」
 から始まったのだ、
 柏田は、まだ24歳で、大学を卒業してから入社した会社で、
「本社勤務」
 ということになり、実家から離れて、一人暮らしをしていた。
 一人暮らしということは、大学時代からしていたので、それほど気になることではなかったが、大学時代のように、遊んでいる時期とは違い、そう気楽なわけではなかった。
 特に、最初の一年は、勉強することも多く、研修期間中というのは、仕事が終わってから、帰ってきても、
「予習、復習」
 というものが必須であり、それを怠ると、次の日が大変だったのだ。
 何しろ、下手に気を抜けば、置いていかれてしまうわけで、さすがに教えてくれている先輩であったり上司に、
「すみません。もう一度教えてください」
 などといえるわけはない。
 そんなことをいえば、同じ研修を受けている人に、
「もう一度同じところを聴かせることになる」
 というもので、もっといえば、
「先生である上司が、ちゃんと時間内におさまる教育カリキュラムを組んでくれているのに、それを妨害することになる。
 しかも、ちゃんと時間内におさまり、時間を無駄に使うことのないカリキュラムだとすると、そこで、再度繰り返した部分があれば、最後まで教育が行き届くには、先輩とすれば、
「再度、スケジュールを練り直す必要がある」
 というものだ。
 しかし、ついてこれない人がいるのだから、それも仕方がないのだろうが、それは、
「学校であれば、それも義務ということになるのだろうが、会社の研修ということであれば、分からない人は、捨て置く」
 ということになっても仕方がないだろう。
 ただ、中には、
「落ちこぼれは作らない」
 という完璧主義の人がいれば、その人は、
「カリキュラムを作りなおしてでも、落ちこぼれをなくす」
 と考えるかも知れない。
 そういう人はえてして、
「そもそもの俺の教育のまずさが招いたことだ」
 ということで、
「今回だけではなく、これからの教育にも生かすために、分かったことであれば、何とかするという努力というものをしなければいけないだろう」
 と考える。
 その時の上司は、何とか分かったのが、ある程度早い時期だったこともあって、何とかカリキュラムを調整することで、事なきをえることができた。
 もし、これが、終わりごろということになれば、
「捨て置く」
 ということしかないか、それとも、
「個人授業」
 という形をとるかしかないだろう。
 それを思えば、
「ある意味、時期的にはよかったに違いない。
 ただ、上司に対して迷惑をかけたということに変わりはない。
 上司が、どう思っているかは分からない。ひょっとすると、柏田に対して、、
「恩着せがましく思っている」
 のかも知れない。
「いずれ、どこかで穴埋めをしてくれる」
 と考えているとすれば、
「それも無理もない」
 といえるのではないだろうか?
 最初の研修期間こそ、少し理解に遅れるという失態もあったが、それから、二年近く、赴任した部署では、
「第一線として、無難にこなしている」
 と自分では思っていた。
 実際に、まだ、業務経験は、まだ二年も経っていないということで、その仕事内容に対しての成果というのは、問題なく進めているのであった。
「やっと、仕事に慣れてきた」
 といっていいくらいではないだろうか?
 同期の連中も、ほぼ変わりなく仕事ができている。
 大学を卒業してすぐくらいは、よく上司から言われたのが、
「まだお前たちは学生気分が抜けていない」
 ということであった。
 先輩が、
「お前たち」
 という言い方をしているということは、自分に対してだけではないということを分かっているはずなのに、どこか、
「自分だけのことをいわれているんだ」
 と思って、卑屈になることもあった。
 これは、柏田だけではなく、他の新人も考えていたことで、それがまるで、
「洗脳されている」
 と思った人もいるだろう。
 もっとも、これは、学生時代の部活にもよくあることだ。
 学生時代の部活の方が、実はもっと厳しかったかも知れない。
 完全なる、
「年功序列」
 ということであり、これが、
「体育会」
 であったり、
「運動部」
 ということであれば、
「先輩のいうことは絶対」
 ということであり、それこそ、
「昔の軍隊のようではないか?」
 といわれる部もあったのだ。
 特に、全国大会常連というような部活であれば、余計にその体制は強かったことであろう。
 それだけ、有名なところであれば、周囲の目がなかなか厳しく、
「シナリオ通りにならないと許してくれない」
 ということになるだろう。
「だから、そのシナリオが、毎年恒例となり、当たり前になると、まわりは、その体制に慣れてくるのだが、やっているものにとっては、そのプレッシャーは、かなりのものではないだろうか」
作品名:高い授業料 作家名:森本晃次