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高い授業料

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 もちろん、そのまま領主が、自国を平定し、守護大名が、
「前極大名になる」
 ということもあっただろう。
 そして、自国を平定すれば、今度は、まわりの国に進出し、自国の領地を侵略していくことになるのである。それが、
「群雄割拠の戦国時代」
 と呼ばれる時代になってきたのである。
 その原因は、明らかで、
「幕府という中央政府が、腐ってしまったからである」
 そのため、統制が利かなくなり、それぞれの地域で、
「天下統一を目指す」
 ということになるのだ。
 それが、結局は、
「自国を守り、領土を広げていく」
 ということになり、
「明日をも知れぬ命」
 という混乱の時代に突入したのだ。
 天下統一」
 というものを、あたかも、
「国盗り合戦」
 ということで、
「領主が全国を統一して、幕府を開いたり、天下人になりたい」
 ということから、戦国時代が始まった。
 ということだろうというのも、間違いではないだろうが、果たしてそれだけであろうか?
 そもそも、戦国時代に入った理由というのは、
「国家元首が、だらしないから」
 ということに尽きるのではないだろうか?
 世界的に発生したこれまでの世界大戦にしても、
「国家をまともに納めることができなかったことで、国民からそっぽを向かれ、統制が利かなくなったことで、結局、戦争で敗戦したり、まわりの国に支配されるということで、国民が、惨めになってきたのだ。
 そこで望まれたのが、
「強力な指導力を持った君主」
 ということであった。
 だから、その存在のいい悪いは別にして、
「時代が欲した」
 ということで、
「ソ連であったり、ナチスドイツ。イタリアなどの、独裁国家が生まれた」
 ということである。
 それが、
「社会主義」
 であったり、
「ファシズム」
 だったりする。
 それは、そもそも、その前の国王が頼りないということでできた、
「国民が形成する、労働者の集団だったりする」
 ということである。
 だから、ファシズムなどは、
「民族主義というものに走ったりする」
 それは、日本のような島国で、
「同一民族国家」
 の国民には、よく分からないところであろう。
 しかし、大日本帝国も、元々は、
「欧米列強」
 から、鎖国をしていたものを、強引に開国させられ、不平等条約を締結させられたことからが、軍国主義の元々ではなかったか。
 明治政府が、
「欧米に学ぶ」
 というのは、確かに、進んだ科学技術などを吸収するということになるのだが、目的は、日本という国を先進国と認めさせることだったのだ。確かに欧米列強のすばらしさは認めてはいるが、植民地になることもなく、自分たちで、先進国になるための方法を、いわゆる、
「敵国に学ぶ」
 ということで、
「肉を切らせて骨を断つ」
 という作戦に出たのであった。
 だからこその、
「殖産興業」
 ということであり、
「富国強兵」
 だったのだ。
 だからこそ、
「日本人は勤勉だ」
 といわれるわけで、日本という国は、外国から遅れてはいたが、その時々で、
「日本独自の最先端技術」
 というのを育んできたのも事実である。
 海外からすれば、ひょっとすると、
「日本が一番危険だ」
 と思っていたところも少なくはないだろう。
 戦国時代は、その目的を、
「天下統一」
 というものであったが、それが、
「独裁者になりたい」
 ということからだという発想は、最初の天下人になりかかった人物である。
「織田信長」
 に対してのイメージからきているのであろう。
 有名なホトトギスの句においての、
「殺してしまえ」
 というイメージが協力で、しかも、
「どくろ杯」
 であったり、
「延暦寺の焼き討ち」
 などの、皆殺しという話ばかりが先行し、実際は違っていると言われているのが、無視される結果になったのだろう。
 実際に、そのような性質ではなかったとは言い切れないが、そもそも、
「強い君主」
 というものが必要とされた時代。
「独裁者は、一種の必要悪ではないか?」
 といっても過言ではないだろう。
 歴史は、時系列で流れていくもので、
「結局繰り返される」
 というのは、前述の、
「公家に歩みよる」
 という、平家の真似をした、足利義満であったり。
「義政の正室である日野富子との間に子供ができないということで巻き起こった、
「将軍後継者問題」
 というものにそっくりな事件として、秀吉が起こした、
「秀次事件」
 などというものは、まさしくそういうことになるであろう。
 そういう意味で、
「弱き君主は罪悪なり」
 というのは、間違ってはいない。
 戦国時代で大名が目指したものは、
「天下統一」
 であるが、その最終目的としては、
「己の物欲、出世欲」
 というものではなく、
「戦のない世をいかにして作るか?」
 ということであろう。
 何といっても、
「国家統一に成功した」
 ということであっても、中央集権国家としての力が、天下人になければ、
「すぐにとってかわられる」
 という、
「下剋上の世界が繰り返される」
 ということになる。
 秀吉も、そのために、いろいろな政策を取った。
「検知」
「刀狩り」
 などがそうであろう。
 しかし、結局は、途中から、
「乱心状態になった」
 ということと、子供が小さすぎたという悲劇。
 さらには、虎視眈々と天下を狙う。家康の存在が、
「豊臣家を一代で破滅へと追い込んだ」
 ということである。
 これは、偶然といってもいいかも知れないが、
「平清盛」
 と似たところがある秀吉ならではであったのではないだろうか?
「幕府を開くこともできなかったので、公家にすりより、太政大臣にまでなったというところであろう」
 もっとも、清盛が公家にすり寄ったのは、まだまだ武家の力が弱かったということで、仕方がないところがあったのだが、これはあくまでも、
「生き残るための知恵だった」
 といってもいいだろう。
 歴史が、一本の線で、時系列にまっすぐに続いているということになるのであれば、
「人類の歴史は、同じことが繰り返させる」
 ということで、まるで、異次元世界を形成すると言われる、
「メビウスの輪」
 のようではないか?
 ただ、歴史が出してくれる答えは、どの時代にも変わりはない。
 江戸時代のように、
「君主がしっかりしていて、室町時代のように、大名が力を持たないようにする」
 という考えは間違っていないが、そのために、参勤交代、改易問題。さらには、
「身分制度」
 というもので、
「大名、農民を中心に、しばりつけるというやり方しかない」
 ということだったのだろう。
 そうしないと、虎視眈々と自分の立場を狙い、クーデターが起きてしまうと、
「その瞬間から、平和というものは崩れ去ってしまう」
 ということだ。
 だから、
「弱き君主は罪悪なり」
 といわれるのであった。
 そんな歴史が示すように、
「歴史を見ると、そこに答えがある」
 といわんばかりであった。

                 光と影
 昔の映画で、
作品名:高い授業料 作家名:森本晃次