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表裏の性格による完全犯罪

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 しかし、日本においては、
「不老不死」
 という考えはどこまで信憑性があるというのだろうか?
 それを考えさせるのが、
「浦島太郎」
 という物語である。
「助けたカメに連れられて竜宮城で楽しい日々を数日過ごすと、陸が懐かしくなり、戻りたいを告げると、乙姫から玉手箱をもらい、決して開けてはいけないと言われ、それをもって故郷に戻る」
 というお話である。
 しかし、
「故郷に戻ってくると、故郷は、すっかり様子が変わっていて、自分を知っている人はおろか、自分が知っている人も誰もいないという、未来の世界だった」
 というのだ。
 それは、
「未来の世界なので、自分が知っている人は皆死に絶えた」
 ということになるのだ。
 浦島太郎は考えた。
「自分一人だけが取り残されたということをである」
 つまり、
「不老不死」
 というのは、最終的に、自分が孤独になるということで、しかも、それが時系列ではなく、いきなりその世界に飛び出したということは、どういうことなのかという考えである。
 これを
「悲劇だ」
 と考えるのであれば、SF小説などでよくある設定として、
「不治の病」
 に犯されている人を助けるという発想から、
「冷凍保存する」
 という考えがある、
 これは、
「数十年、あるいは、数百年後には、不治の病が、不治の病ではなくなる」
 ということで、
「命を助けることができる」
 という考えだ。
 これはあくまでも、
「命を救う」
 という観点からのことであり、
「倫理やモラル」
 という考えを度返ししたものである。
 それこそ、
「美というものが最優先」
 と考える、
「耽美主義」
 というものに、どこか似通っているところがあるといってもいいだろう。
 そんな、
「生きた人間の冷凍保存」
 というのは、それこそ、タイムマシンなどの発想と同じで、特に、これを宗教的な発想に当てはめると、
「人間の寿命というのは決まっていて、それを勝手に動かすのは、神をも恐れぬ暴挙ではないか?」
 ということになるであろう。
 つまりは、
「人間の寿命は神のみぞ知る」
 ということで、それを人間が扱うというのは、それこそ、
「神をも恐れぬ」
 ということになるのである。
 だから、
「不老不死の発想」
 はもちろん、
「冷凍保存など、もってのほか」
 といえるのではないだろうか?
 そういう意味で、
「完全犯罪」
 というのは、そもそも、
「罪を犯す」
 という悪しきことに使う犯罪方法ということで、それを、
「神が許すわけはない」
 ということで、
「そもそも、完全犯罪などということはありえない」
 という発想もある
 もっとも、
「神や仏などという、非科学的な発想」
 と考えている人には、およそ考えられないことであろうが、
「犯罪を犯さないと自分が生きていくことができない」
 として、切羽詰まった状態になると、果たして、
「神や仏が」
 などと言っている場合ではないだろう。
 昔であれば、
「死んだ後、天国にいけない」
 あるいは、
「生まれ変わることができない」
 などと言われてきた。
 それは、
「その生きていた時代が、最悪で、死んでからの世に、望みを賭けるしかない」
 ということになるからであろう。
 しかし、今のある意味、
「平和ボケの時代」
 というのは、
「すべては生きているこの時代であり、死んでからのことなど考えられない」 
 ということで、そもそも、宗教を毛嫌いする人が増えていくのであった。
 生きている間に、
「地獄を見ている」
 という人は、宗教に嵌るかも知れない。
 そういう意味で、
「天国と地獄」
 というものは、あの世にあるという考えか、あるいは、
「天国と地獄はこの世にあるので、死んでからに救いを求める」
 という時代が。ずっと続いてきたということであろう。
 しかし、国家や政府というのは、そもそも、、
「統制しなければいけない」
 ということで、宗教を奨励するというわけにはいかない。
 この世での元首は自分だということで、政治を行っているのだから、本当は、宗教も弾圧したかった元首も多かったことであろう。
 ただ、言えることとしては、
「この世に、完璧などというものは存在しない」
 ということで、人間が究極として求めるものも、その立場や考え方が変わることで、
「天国だと思っているものが、実は地獄だった」
 ということになる。
 それが、
「不老不死」
 という考え方だといえるのではないだろうか?
 だから、この世で完全犯罪というものが成功するとすれば、
「小説でしかないだろう」
 といえるかも知れない。
 しかし、逆にいえば、
「小説だからこそ成立しない」
 といえるかも知れない。
 あくまでも、小説は、時系列の中で、何か突発的なことが起きるとすれば、それは作者が考えられる範囲ということで、現実の社会ほど、幅広いものではない」
 といえるだろう。
「事実は小説よりも奇なり」
 まさに、その通りである。
 さらに、
「完全犯罪というと、もう一つ思い浮かぶものがある」
 と、酒井は思ったのだが、それを見越したかのように、坂上が言った。
「まさか、坂上に、酒井の気持ちを見越すだけの先読みの力がある」
 とは思えなかったが、実際には、あるようだった。
 というのは、実はそれを知っているのは、榊田で、一度、この店で会う前に、二人は顔見知りだった。
 というのは、ある雀荘でのことであった、
 元々頭のいい榊田は、麻雀や将棋などの、
「勝負事の遊戯」
 には長けているところがあった。
 そこで、本人は気が進まないようだったが、知り合いに頼まれて、
「頼むよ。メンツに加わってくれよ」
 ということで友達に誘われて、渋々であるが、一緒に出向くことがあった。
 もちろん、
「暇を持て余している」
 という時がほとんどなのだが、彼は頭がいいだけに、仕事をしても、他の人よりもかなり早くこなすことができる。
 いつも、早く済ませて、
「後はゆっくり」
 ということであった。
 彼は、昔からそういうところがあった。
 小学生の頃の夏休みの宿題などは、誰よりも先に済ませて、他のことをするというのが、実は楽しみだった。
 小学生の頃から、歴史が好きで、
「宿題を早く終わらせて、よく図書館に行って、歴史の本を手あたり次第に読んでいるというものだった」
 それだけ、まわりからは、うらやましがられた。
「なんでお前は、すぐに宿題ができるんだ? 俺たちなんか、宿題は、最後の日に徹夜なんてのがほとんどだ」
 というのが、小学生、中学生、高校生になっても、言われたことであった。
「いやいや、お前たちこそ、すぐにできないのが分かっているなら、最初から終わらせようという気持ちにどうしてならないのかって、不思議で仕方がない」
 というのだ。
「俺たちだって、できればそうしたいさ。だけどな、性分というものがあるというか、ギリギリにならないと、俺たちにはできないんだよ」
 という。
「できない? それは、読んで字のごとくで、宿題の問題が解けないということなのか、それとも、宿題をする気が起こらないということなのか?」