洗脳による変則事件
ということで、年齢も、
「まだ学校を卒業して間もない頃だろう」
と思っていたのだった。
しかし、付き合い始めたのが、今から6年前で、結婚したのが、5年前ということで、お互いに、
「もうすぐ30歳だ」
という感覚だったのだ。
男の方は、さほど年齢の大台というものを意識しないが、女性は、どうしても考えてしまう。
「美しさを保つ」
という意識もあるだろうし、
「子供を産む」
ということを考えると、あまり年齢を重ねると、
「高齢出産になってしまう」
ということを考えてしまうのであった。
だから、
「彼女は、確かに、甘えん坊なところがあるが、そのわりに、しっかりしたところがあった」
それが、
「真面目なところだ」
と感じるのだが、それは、彼女の中にある責任感といえるものだったのだ。
「責任感があるのに、どうして、甘えるような態度を見せるのか?」
という、
「行動に対しての矛盾」
というものを感じている人がいるようだが、実際には、
「自分にはできないところを補ってくれるパートナーを伴侶として、自分が支えるというよりも、お互いに支え合うことができればいい」
ということで、
「甘えるということも、相手とのコミュニケーションには必要だ」
と感じたのだった。
だから、結婚前も結婚してからも、いうほど、金銭的なことで文句をいうようなことはない。
恵三自身も、そんなに無駄遣いをする方ではないが、
「金銭的なことで揉めると、肝心なことを話し合わないといけない時に、話ができない状態になってしまう」
ということで、お互いに感情がぶつからないようにしているのであった。
「夫婦は、お互いに支え合う」
とよく言われるが、二人は、そうは思っていない。
「お互いを支え合うのではなく、お互いに足りないところを補い合うのが夫婦というものだ」
と思っていた。
そして、その感情が、二人を、
「結婚しよう」
と思わせた最後通牒のようなものだったといってもいいだろう。
「昔、古事記の中で、神様が国造りをした時、いざなぎといざなみが、お互いに足りないところに、あまりあるところを補って、隙間を埋める」
ということで、
「国造りを行った」
という、話であった。
これは、一種の、
「性教育」
というものに繋がるわけだが、精神的なことでも、
「教育に繋がる」
といってもいいだろう。
つまり、
「お互いに足りないところを、相手の有り余るところで補いあう」
というのが、
「夫婦の本当の姿」
ということであり、
「子作り」
というものが、どれほど神聖な儀式であり、
「子供を作り子孫を残していくことが、人間の使命だ」
ということになるのであろう。
だから、
「二人の考え方は、まるで神のようだ」
ということを、笑い話であったが、お互いに、照れ笑いを浮かべながらできる、そんな夫婦関係が、一番いいのではないか?
と考えられるのであった。
だから、付き合って、結婚するまでに、半年もかからなかったのだ。
もっとも、
「その半年というのが、長いのか短いのか?」
ということは、正直分からない。
それは、
「夫婦ともに、その期間が長いのかどうなのか、ピンとこない」
ということだったのだ。
だから、結婚してから、ちょうど5年くらいだっただろうか? 実際に、
「幸福の絶頂だった」
という時だったが、
「好事魔多し」
と言われるがまさにその通りだった。
結婚してから、二人は、ちょくちょく、ケガをしたり、そんなんいひどくはないが、
「入院を必要とする」
という病気に罹ったりしたのだ。
いい方に考えると、
「夫婦関係において、ちょくちょく問題はあるけど、実際に危ないというところまでは言っていないというのは、不幸中の幸いということで、却ってよかったのではないか?」
と思っていた。
それも、半年ほどで、ほぼ何とかなっていたのだが、
「究極の問題」
と言われることが起こったのだ。
ただ、これは、
「夫婦間」
ということで起こったのではなく、
「新宮家」
つまりは、奥さん方の実家で起こった出来事だったのである。
里村家というのは、祖父、祖母ともに、他界していて、両親と、ゆり子。そして妹のさつきの4人暮らしだったのだ。
そこで、長女のゆり子が結婚したということで、3人での生活になった。
ゆり子と恵三は、新宮家の近くのマンションで、二人で暮らし始めたのだった。
「時々、新宮家に遊びに行くようにすればいいよな」
と二人で話をしていた。
実際に、新婚夫婦が、時々、実家に遊びにいくと、家族総出で、いろいろもてなしてくれるということで、
「これも親孝行」
と、二人は、新宮家に遊びに行くのが楽しみだったのだ。
新宮家」
というのは、
「閑静な住宅街」
にあった。
妹のさつきは、まだ大学生だった。
といっても、二十歳は超えていたので、法律改正前も、
「大人」
ということだった。
姉妹は結構仲が良く、気になることは、よく相談したものだ。
そもそも、
「私は、恵三さんと結婚しようと思うんだけど」
と、親よりも前に、ゆり子は、妹に紹介していたのだ。
恵三も、さつきを、
「ゆり子の妹ということで、かわいい」
と思っていた。
恵三は一人っ子で、中学、高校と、男子校だったこともあって、あまり、女の子というものに免疫がない。
それなのに、ゆり子に対しては、そんなに意識があったわけではなく、それだけに新鮮な感覚だった。
もちろん、
「男同士」
ということではなく、
「相手が女だということが分かっているのに、どこか、なんでも話ができる」
というような女性ということで、それも、
「結婚の十分な動機の一つとなった」
といってもいいだろう。
だから、
「ゆり子が甘えてくる」
といっても、それが、
「他の女の甘え」
というのとまったく違う。
と考えられるのであった。
ゆり子は、妹に対しても、遠慮はなかった。妹も、姉に対して遠慮をすることはない。
親がたまりかねて、
「もうちょっと表では、お姉ちゃんに対して、敬語を使うようにしないとダメよ」
といっていたのだが、妹のさつきは、お構いなしということであった。
確かに、
「姉妹とはいえ、礼儀をわきまえないといけない」
とは思うが、それは、
「普段から、ため口を聴いていて、それが、肝心なところで間違えるといけない」
ということからであろうが、お互いに、
「お姉ちゃんなら」
あるいは、
「妹なら、そんな失敗をすることはない」
といってもいいだろう、
「お互いに、わきまえるところはわきまえている」
というのは、
「だから、いつも二人で話をしているんだ」
ということになるのだろう。
あれは、さつきが就職が決まった時だった。
ただ、その時期というのは、ちょうど、今から思えば、例の、
「世界的なパンデミック」
というものが、日本にも上陸するのではないか?
と言われ始めた頃のことであった。
「卒業旅行にもいけないのは嫌なので、早めにどこかに行こう」