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洗脳による変則事件

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 といい、最近、この街に越してきた一人の女性だった。
 最近といっても、ここ一年くらいのことであったが、その女は、巧みに、
「ママ友仲間」
 に入りこんできた。
 彼女には、子供がいるわけではなかったが、人を誑し込むのがうまいのか、一人の奥さんと仲良くなったことで、この街の、
「ママ友連中」
 と仲良くなったのであった。
 しかも、そのテクニックは、実にうまいもので、最初は、
「子供を手なずける」
 ということであった。
 この女は、子供がいないくせに、子供の気持ちがよくわかるのか、子供を味方につけるということがうまかったのだ。
 その作戦として、
「母親が、自分に何をすれば、一番嫌なことか?」
 ということをよく知っているようで、そんな子供の気持ちを口に出していうことで、あっさりと子供を味方に引き入れるのだった。
 それは、彼女が、
「かつて、自分の親から受けた仕打ちを思い出せばわかる」
 ということで、特に、
「今の時代と昔とでは、考え方も、育ってきた環境も違う」
 という考えから、
「今の子供には自分たちのことを」
 そして、
「今の大人には、子供たちのことを」
 それぞれ分かるわけはないと思っている母親の気持ちを逆手に取るというやり方である。
 子供というのは、そのあたりのことを分かっているというもので、大人の考えを、思ったよりも幼い頃に看破しているものだ。
 それを、自分たちも同じ道を歩んできたのだから分かりそうなものだが、それが、なぜか、大人になると、子供の頃のことを分からなくなってしまっているのである。
 しかし、
「どうしてそうなるのか?」
 ということを、自分も、子供の頃に気づいたはずなのに、それを分かろうとしないというわけで、
「だから、自分が大人になったら、子供の頃に受けた仕打ちを、自分の子供には絶対にさせない」
 と思うはずなのに、大人になったら、結局同じなのだ。
 そのことを、分かっている親もいれば、分からない親もいる。
 分かっている親というのは、その気持ちが、
「確信犯である」
 ということから、後ろめたさがあるのだろう。
 そこが、琴絵という女の付け目だったのだ。
 確信犯というものは、実に厄介なもので、
「自分に正当性がある」
 ということを感じながらも、後ろめたさというものがどうしても、残ってしまう。
 それこそ、
「自分が、二重人格ではないか?」
 と思わせるところであり、
 確かに、二重人格というのは、
「ジキルとハイド」
 のような、正反対の性格を持っているというものなのだが、
「同じ瞬間に、二人が表に出てくることはない」
 ということで、それこそ、
「ドッペルゲンガー」
 のように、
「もう一人の自分が、同一次元同一時間に存在できない」
 というもので、それが起こると、
「近い将来に死んでしまう」
 という都市伝説を信じてしまうということになるのだ。
 これこそ、
「うしろめたさというものを、心のどこかに抱えながら、その実、確信犯的な感覚になることで、自分を正当化しようと、都合の悪いことは忘れてしまう」
 という感覚になるからだろう。
 それを考えた時、
「夢を見る」
 ということが、どういうものなのかということを感じさせるというものだった。
 ただ、これは、あくまでも、
「二重人格で悩んでいる人の考え方」
 ということであり、
「樫沢琴絵ではない」
 ということ、念を押しておくことにして、話を続けていくことにする。
 これは、琴絵と知り合った人が感じたことであり、しかもそれは、
「琴絵と知り合ってから感じたことだった」
 というのだ。
 だから、最初は、
「琴絵に感じたことなのか?」
 と思ったのだが、そうではなかった。
 琴絵の中に、何か薄気味悪いものを感じ、彼女が、
「二重人格ではないか?」
 と思うようになって感じたことだったのだ。
 その人は男で、琴絵が、
「ママ友グループ」
 というものに入ってきた時、そのママ友の中の一人の旦那だったのだ。
 その人は、
「ママ友」
 の間でも人気がある人で、特に、
「誰彼ともなく、差別をするようなところはなく、しかも、精錬実直なところがある」
 という、いわゆる、
「裏表のない人間」
 ということで、皆から好かれていた。
 しかも、彼の眼には、今まで狂いがなく、
「この人なら大丈夫」
 という人であれば、大体において間違いなかったし、
「この人は危ない」
 と言った人は、結局、他のグループに入って、すぐにいざこざを起こし、そのグループにいられなくなったどころか、
「この街にもいられない」
 ということをしでかして、結局、街を離れることになったという。
 その理由ははっきりと分からないが、そのグループの話によれば、
「仲間の旦那に手を出した」
 ということだったのだ。
 一番の御法度ということで、
「この程度で済んでよかった」
 といってもいいだろう。
 そんなことがあってから、
「あの人の目に狂いはない」
 ということだったのだ。
 しかし、琴絵は、その男の目をくらますことができたのだ。
 もっとも、途中から、その男も、
「怪しい」
 ということに気づいたのだが、肝心なところで、
「自分の思い過ごしかも知れない」
 と思ったのだ。
 なぜなら、この男性は、
「直観がモノを言う」
 と思っている人で、
「途中まで信じていた人であれば、最後まで信じないといけない」
 という、一種の正義感のようなものがあった。
 だから、その思いが、せっかくのとりえの邪魔をする形になったのだ。
 実際にこの男性の、欠点といえば、
「肝心なところで、自分の考えに、今一つの自信がないこと」
 であった。
 他の人が、
「あの人は千里眼のように何でもお見通しだ」
 といって、まわりを煽ることで、余計に、男とすれば、
「自分の自信のなさというものを、まわりにいうことができず、一種のジレンマに陥っている」
 ということになるのだった。
 これは、本人もそうだが、奥さんもジレンマを感じていた。
 特に、奥さんは、ママ友たちと、仲良くしている手前、
「旦那の肩ばかりを持つと、自分の立場を危うくする」
 ということであった。
「だったら、ママ友グループから抜ければいいじゃないか?」
 ということであるが、さすがに、そこまでの勇気はなかった。
 そもそも、
「私がこの街で生きていけるということや、子供を引き受けてくれるということは、すべてが、このグループのおかげ」
 ということで、
「このグループが、まるで、自分の世界のすべてではないか?」
 と思えるほどになっているのであった。
 それを思えば。簡単にグループを抜けることもできず、亭主の肩を持つわけにもいかない。
 そうなると、
「旦那にはあんまり、ママ友グループにかかわってほしくない」
 と考えるようになったわけで、そこで、旦那との気持ちの行き違いがあったといってもいいだろう。
 旦那としては、
「そろそろ潮時」
 とは思ったが、なぜか、自分が抜けられなくなってしまったことに気づいていた。
「俺が簡単に抜けると、女房が、あそこで浮いてしまう」
 と考えたからだ。
作品名:洗脳による変則事件 作家名:森本晃次