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洗脳による変則事件

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 ということである。
 こんなことをしていて、いくら有事とはいえ、国民が支持するわけもない。
 もっとも、戦後からの、
「日本国」
 においては、
「有事というものは存在しない」
 ということなので、
「国民が平和ボケしているのだけではなく、政府は国民に輪をかけて平和ボケしている」
 といってもいい。
 それこそが、
「政府は国民のためでなく、政治家のために活動している」
 といっても尾いいだろう。
「世界的なパンデミック」
 というものが、一番ひどかったのは、2、3年目に掛けてのことだった。
「ウイルスというものは、変異することで、どんどん強力なものになり、人間がいくらワクチンを作っても、それ以上の強力なウイルスに変異することで、感染力も、致死率も、高くなってくる」
 ということなのだ。
 しかも、ワクチンというものは、本来であれば、開発してから、治験を繰り返し、安全なものにしてからの接種ということになるのだろうが、
「緊急を要する」
 ということで、何と、全世界で、ウイルス発生から1年で、ワクチンを開発したということになったのだ。
 当然、世間では、
「そんなワクチン、本当に大丈夫なのか?」
 ということになる。
 実際に、危険なウイルスへのワクチンということで、
「義務化できない」
 ということで、
「あくまでも、接種は本人の判断」
 ということにしていた。
 しかし、あまりにも猛威が早かったり、感染力が強くなったりで、
「ワクチンを使わないわけにはいかない」
 というところまできたので、
「ワクチンを打って、何かなった時の責任は政府が取る」
 といって、国民に、接種を促したのだ。
 しかし、実際に、接種して、すぐに死亡した人がいて、
「その人に対して政府がどういう対応をするか?」
 ということになったが、実際に、政府は、
「因果関係が認められない」
 などと、苦しい言い訳をして、責任を取るといっていた舌の根の乾かぬうちに、国民を欺いていたということを公表したようなものだった。
 これで、結局、
「せっかくワクチン接種率が伸びてきたにも関わらず、たった一人に保障をしなかったことで、それまでの努力を棒に振った」
 ということになるのだ。
 それは、政府以外でも、医療従事者であったり、国民一人一人が、ワクチンと真面目に向き合おうとしていたところへ、水を差すというもので、政府以外にも、たくさんの対応を行っているというところを無視するという、
「明らかな暴挙だ」
 といってもいいだろう。
 そんな政府を持った国民は、
「どこへ向かえばいいのか?」
 ということになるといえるだろう。
「政府というものを甘く見ている国民も悪い」
 ということなのかも知れないが、それ以降の政府は、
「今の政権が壊れれば、少しはマシになる」
 と皆が思って、実際に、総選挙の時期には、
「必ず、政権は壊れてきた」
 ということであった。
 しかし、その後で成立した政府は、
「前よりは少なくともましだろう」
 と言われていたが、すぐに、
「前の方がマシだったのではないか?」
 と言われた。
 しかも、政府は、
「次の総選挙」
 が来るまで壊れることはなかった。
 なぜなら、
「どんなにひどい政府でも、他に誰がなるというのか?」
 ということであった。
 前の政府が、
「今よりもひどいことはないだろう」
 といっていたのに、すべてが逆になり、結局、
「今政権を変えるのは、得策ではない」
 ということになるのだ。
 しかも、
「政権交代」
 ということもありえない。
 政府批判しかせずに、代替え案というものをまったく出そうとしない野党に、
「政治を任せることはできるか?」
 ということであった。
 つまり、
「野党に政権交代した時点で、日本は終わりだ」
 といっている人ばかりだということだ。
「世界的なパンデミック」
 が猛威を奮っていた時、
「これ以上ポンコツな政府はないだろう」
 といっていたものが、どんどん、
「負のスパイラル」
 というものを生んでくるということで、
「国家は亡国に向かっている」
 といってもいいだろう。
 そもそも、
「世界的なパンデミック」
 というものの初期がどうだったのか?
 ということを考えると分かることであった。
 そもそも、政府は、国民には、
「世界的に危険な伝染病が流行っているので」
 ということで、
「危険を喚起」
 しているにも関わらず、自分たちは、
「水際対策」
 というものをおろそかにしていた。
 それは、
「某国の国家元首を国賓として招待する」
 ということから出てきた問題だったからである。
 本来、
「伝染病の最初の政策というのは、水際対策だ」
 ということは、どんなにバカな政府でも分かるというもので、だからこそ、分かっているくせに、強引に押し通そうとしたのは、それこそ、
「確信犯」
 ということで、それが、どれほどひどいことになるのか?
 ということなのである。
 しかも、政府は、
「水際対策」
 というものを行わなければいけないタイミングで何をしたのかというと、
「学校閉鎖」
 というのを行った。
 公立の小学校、中学校はもちろん、高校大学と、その範囲を広げていった。
 しかも、一番問題となっている、
「保育園」
「幼稚園」
 というところにまでその食指を伸ばしたのだから、
「これほどひどいことはない」
 ということになる。
「共稼ぎが当たり前」
 という状態の今の時代。
「保育園」
「幼稚園」
 が休業するということになると、社会問題はハンパでは済まないということになるのだ。
 というのも、
「ソーリの一人の判断で決めた」
 ということで、それがどういうことかというと、
「側近に話せば、反対されるに決まっている」
 ということから、独断専行したのである。
 それが、国民や、側近までも敵に回すということで、ソーリとすれば、
「緊急性が問題」
 ということであっただろうが、それだけではない。
「ソーリが孤立した」
 ということになるのだろうが、これは、完全な確信犯ということで、国民や側近が起こるのも無理もないということであろう。
 その時の政策は、ひょっとしてうまくいったかも知れない。
 しかし、それはあくまでも、
「偶然うまくいった」
 ということになるのかも知れないが、そうではないとも、そうだともいえないといってもいいだろう。
 そうなると、
「国民がいかに政府に対して恨みを持っているか?」
 ということが、さらに、倍増する結果になるといえるだろう。
 何といっても、相手は、
「未知のウイルス」
 である。
「政府の政策がうまくいったのかどうか、その立証が政府の責任だ」
 といえるだろう。
 政府が国民のためにやったことが成功したというのであれば、
「政府は必至に、それを立証し、国民のために政府が成果を残した」
 ということを証明しようとするのに、やっていることは逆に、
「専門家委員会のいうことを三行為して」
 とは、
「お決まり文句であるか」
作品名:洗脳による変則事件 作家名:森本晃次