洗脳による変則事件
ということで、逆に、
「余計なことを考えずに済んだ」
といってもいい。
それは、ゆり子にとっては、
「妹の後を追う」
という気持ちであった。
「旦那も子供もいるのに、何をバカなことを考えているのか?」
ということを、何度自分の心に確かめたことであろう。
だが、結局は何もできないこの時期、次第に、勇気はそがれていき、
「何もできない」
ということを免罪符にして、
「勇気を持たないようにしよう」
と考えるようになったのだ。
そんな時間の経過というものが、自分にとって、
「都合よく展開する」
ということを、いつの間にか学習したのかも知れない。
これは、恵三にも言えることであった。
特に、恵三は、
「自分の気持ちを偽って、墓場までもっていかなければいけない」
という思いに至るということになるのではないだろうか?
偽るという自分の気持ちが、
「持ってはいけない禁断の思い」
というものであることは、
「後悔しても、後の祭り」
ということで、ある意味、
「さつきに死んでもらって、本当は自分としては助かった」
ともいえると思うと、そんなひどいことを考える自分が情けないと思うようになり、さらには、
「男としては、これ以上卑怯なことはない」
とまで思うのだった。
それぞれの思いを、この4年という期間、ずっと繰り返してきた。
それが、次第に、
「うつと躁状態の間をクルクル回る」
ということで、
「躁鬱症になってしまったのではないか?」
と思ったが、医者に行く勇気もなく、いや、
「医者にいって、その原因」
というものが、
「墓場まで持っていこう」
と感じたことだと、他の人にも分かってしまうと、せっかく自分の気持ちの中に封印した努力が水の泡になってしまうということになるのだ。
そういう意味で、恵三にとって、
「この4年間は、決していい時期ではなかった」
と思う。
どんどん、いい方に向かっていたり、忘れられるくらいになっていればいいのだが、逆に、思いは募ってきて、
「躁鬱症」
という病気にまでなってしまっていて、しかも、
「その治療にあたることもできない」
というジレンマを感じることで、
「まわりに隠しておくことがある」
ということが、どれほど苦しいものであるかということを、思い知った気がしていたのであった。
それを思えば、
「この4年間、妻も同じような感じだったのだろうか?」
と思ったは、意外とそうではなかった。
どちらかというと、
「波風を立てずにいる」
ということが、苦しみを和らげることになってきていると思っていた。
そして、そのうちに、自分の感覚がマヒしていることに気づくと、
「楽になってきたことは、いいことなんだわ」
と思うようになり、
「それがどこから来るんだろう?」
と考えるようになったが、その感覚が、
「マヒしている」
ということを考えると、
「感じていることは、自分の本当の感覚なのだろうか?」
と思うようになった。
そう思うと、
「誰かに助けられている」
と思うようになったのだ。
それが、
「旦那でないことは間違いない」
ということだけは分かった。
しかし、
「だったら誰の影響なのかしら?」
と考えるようになると、今度は、本当に時間の感覚がマヒしてきていると考えるようになったのであった。
しかし、その原因が、
「琴絵にある」
ということは、おぼろげに分かっていた。
そして、何がありがたいのかというと、
「感情が表に出てこないような、感覚のマヒ」
というものが、
「いかに安心感を与えるか?」
ということを感じたからであった。
まるで、
「麻薬でもやっているかのようだ」
というところまで感じた。
だが、
「麻薬であれば、その後に襲ってくる禁断症状があり、そのために、抜けられなくなる」
という恐ろしいものだという感覚から、気持ち悪さを感じながら、その反面、感覚のマヒによる心地よさを、
「悪いことだ」
とは思っていない自分がいて、そして、その思いが、これまで一番の苦しみだとおもっていた、
「ジレンマ」
というものを解消してくれるものだと思うようになると、恐れていた、
「禁断症状」
というものもないことから、
「悪いことではない」
と感じるようになり、
「禁断症状のない、一種の媚薬に酔っているかのように感じるのであった」
そもそも、薬による効果というものではない。
「明らかに摂取している」
という感覚はないのだ。
だから、
「薬の効果が切れた」
というものはないので、次を接種しないといけないという感覚もない。
そうなると、
「このそよ風のような心地よさに、身を任せるだけでいいんだ」
と感じるのであった。
ゆり子にとって、今のその気持ちがどこから来るのか分からなかったが、
「まもなく目の前に天国がある」
という気持ちになってきた。
旦那の方は、
「明らかに躁鬱症」
ということで、本人が、
「地獄に落ちていく感覚を味わっている」
などということを、まったく知る由もなかった。
そもそも、
「他人のことを気にするなどということもなくなり、それまで気遣っていたと思っていた旦那に対しての気持ちも、すでになくなっていたのである。
第一の殺人
夜中の通り魔事件というのが、ここ最近では結構起こっていた。
それは、実際には、
「警察によって、検挙されている」
ということであったので、実際には、
「模倣犯」
というものの出現から起こっている事件であった。
「連続通り魔事件」
というのも恐ろしいが、犯人はアッサリと検挙されたにも関わらず、
「一向に収まることはない」
というのは、恐ろしいものだ。
だとすれば、
「もし検挙されなかった場合は、どんどん犯人が増えてきて、下手をすれば、同時多発的に事件が起こっていた可能性がある」
ということになるのではないだろうか。
ということは、
「警察が何人いても足りない」
ということになり、市民は、
「警察を信用できない」
ということになり、
「警察に対しての不信感というものが、いかに大きな問題か」
ということをクローズアップすることになる。
犯人逮捕も重要だが、
「市民が警察を信用しなくなるということの方が、実は大きな問題だ」
ということになる。
警察の捜査が、聞き込みなどからその初動が始まるわけで、国民の協力を一切得られず、下手をすれば、
「興味本位でウソをつく」
などという人が出てくれば、それこそ、
「無法地帯」
と化してしまうということになるといえるであろう。
そんな状態を考えると、特にパンデミックの時代などから考えて、
「政府や公務員というものがどれほどひどいものだったか?」
ということを体感したではないか。
公務員として、自治体の中で、
「間違って、補助金を一人の人に振り込んでしまい、その男が、ごねて、社会問題になった」
ということがあった。
それも、ごねた理由が、
「対応が悪かった」
ということで、何といっても、高飛車な態度だったということであろう。