異常性癖の「噛み合わない事件」
いつくらいだったのかということは正直覚えていないが、あれは、確か、
「どこかで大きな地震があってから、しばらくして」
ということだった。
その時代というと、地震のような、
「自然災害」
以外にも、それまでは信じられないと言われたことが起こったりした。
そもそも、
「危険な組織」
ということで、注目はされていた、
「新興宗教団体による、テロ事件」
というものであった。
それこそが、
「神話の崩壊」
と言われるもので。
「日本という国は、世界一治安がいいところだ」
と言われていたのが、一気に怪しいものということになったのだ。
何といっても、
「鉄道で毒ガスが撒かれる」
という事件である。
世界でも未曽有の大事件といってもいいだろう。
ただ、世界でも、大事件が頻発した。
特に、
「大都市の高層ビルに、旅客機を突っ込ませる」
という
「自爆テロ」
ということで、
「同時多発テロ事件」
と呼ばれたものだった。
それこそ、
「神話の崩壊」
と世界中で言われる時代だったのだ。
そういう意味では、
「何が起こっても不思議ではない」
と言われた時代であり、それが、この街では、
「通り魔事件」
ということだったのだ。
この街に住む人からすれば、
「新興宗教によるテロ事件」
「同時多発テロ事件」
などという世界を揺るがす大事件よりも、目先の、
「自分たちの街で起こっている殺人事件」
というものの方が。よほどリアルで、大変なことなのかということを、当事者として思い知らされているということであった。
さらに、通り魔事件というものが、ある程度収まってきて、
「人のうわさも75日」
ということで、
「喉元過ぎた」
と言われるくらいのタイミングで、今度は別の事件が出てきたのだった。
それが、
「幼児誘拐」
というもので、ほとんどは、
「未遂」
という形で終わったので、被害者は一人も出なかったが、
「未遂」
であったり、
「未遂のさらに未遂」
ということまで含めると、
「頻繁だった」
と言わざるを得ないかも知れない。
「幼児を狙うというのは卑怯だ」
ということであったが、実際に誘拐に成功した人もいたが、結局は何もなく、帰ってきたのである。
だから、被害者の方も、
「帰ってきたからよかった」
ということで、必要以上に騒ぎ立てないということに終始し、やり過ごしたいという気持ちになっているのだろう。
なるべく波風を立てたくないという気持ちは分からなくもない。
特に、当時は、
「何が起こるか分からない」
ということで、下手に騒ぐと、世間のさらし者となり、被害者側の考えとは違った方向に話がいってしまうということになりかねないということであった。
ただ、もう一つは、
「子供がいる家が少なくなった」
ということもあるかも知れない。
前述のように、
「子供を育てることが大変だ」
というのは分かり切っていることで、政府が子育て問題を真剣に考え、
「育児休暇」
というものを男にも認めさせるなどという政策は、そのまま額面通りに見ていいのだろうか?
と考えさせられるのであった。
途中で、
「有休を年に数回使うことを義務化する」
ということであったり、
「やたらと、休日を増やしたり、変更できるものを、月曜日にずらす」
などという政策などの、
「働き方改革」
といって、あたかも、
「国民のため」
というような触れ込みになっているが、その実その本音は、違うところにある。
というのは、
「休日を与えて国民に金を使わせるようにする」
ということで、経済を活性化させ、
「不況の打開」
ということになるのだ。
しかし、それは悪いことではないのだが、あからさまに、
「国民のため」
というような欺瞞を使うことが国民を欺いているとして、許せないと考えると、
「政府は信じられない」
と考えるようになるのであった。
確かに、経済復興は、政府の大切な役目であるが、そのために、
「国民を欺いてもいいものか?」
と考えると、
「政府の言っていることは、いちいち信じられない」
という逆効果を生むということに、
「気づかない政府」
というものが、危ないと考えるのであった。
そんな時代を超えてきたこの住宅地も、ところどころ、がたが来ているところも多く、
「立て直しまではいかないまでも、補強工事というような、修復を試みる」
という人も結構いるようだ。
そんな中でも、まだまだ、
「分譲住宅」
だったと思えれる場所が、そのままになっているところもあった。
さすがに、公園となって整備されたり、倉庫のようなものであったり、ちょっとした店舗になっているところもあり、一応、大体は埋まっているといってもいい。
元々がすべて、住宅になるなどということを、最初から考えているわけではなかっただろうから、それくらいのことは考えていただろう。
そんな中、公民館になったところもあり、その近くにバスの停留所があった。
このバスというのも、市バスというようなものではなく、
「自治体が運営するコミュニティバス」
と言われるものであった。
実際にバス自体は、市バスなどのように大きなものではない。
「十人前後が乗れればいい」
というくらいで、それも、死の主要なところを、数か所、上りと下りという感じで走らせているだけであった。
だから、バス本体は、
「私鉄が運営しているバス会社から、すでに廃車寸前という車体を、安く買い受けて、色を塗りなおすなどして、きれいにすることで運営している:
ということであった。
旧国鉄でいえば、
「第三セクター」
といってもいいだろう。
それを考えると、
「住宅地があったりするような、都心部へのベッドタウンのはずなのに、ここまでバス路線を少なくして大丈夫なのか?」
と考える。
そもそも、
「郊外型の街」
というものを考えた時、公共交通機関に最初から頼るわけではなく、そもそもが、
「自家用車」
というものを使ってくる人をターゲットにしているというわけだ。
だから、駐車場は、
「これでもか」
というほど広く取っていて、平日などは、ガラガラであったが、
「さすがに土日、祝日ともなると、便利のいいところは、待ち状態が続いている」
といってもいいだろう。
それにしても、ちょっと離れたところであれば、土日祝日であろうが、そんなに混んでいないというのに、
「どうして、わざわざ待ってまで近くに留めようというのか?」
と考えてしまう。
それは、
「人それぞれ考え方が違う」
ということからきているのであろうが、それだけではないような気がする。
「俺たちは、待つことを思えば、少々遠くてもいいと思うんだがな」
と思うのは、
「時間というものをいかに考えるか?」
ということであろう。
「スーパーであれば、駐車場内であれば、少々遠くても、カーゴ車を引いていけるのだから、別に重たいなどということを気にしなくてもいいのに、いつ悪か分からないという状態で、どうして、待たなければいけないのか?」
と考えるのだ。
作品名:異常性癖の「噛み合わない事件」 作家名:森本晃次