異常性癖の「噛み合わない事件」
という人もいたが、それも、時代の変化が、
「そんな考えを許さない」
ということであった。
というのも、
「バブルの崩壊」
からこっち、
「母親も仕事をしないとやっていけない」
ということで、夫婦共稼ぎというのが当たり前の時代になった。
そんな時、子供を産むとどうなるかというと、
「おばあちゃんが見てくれる」
という時代であればいいのだが、
「離れて住んでいる」
ということもあったりして、子供を預けに行くのが不可能な人がどうするかというと、
「保育所に預ける」
ということになる。
すると、そんな親が急激に増えると、保育所の数にも保母さんの数にも限りがあるので、
「子供の数に比べて、全然対応が遅れている」
ということになるのだ。
そうなってしまうと、
「待機児童」
という問題が起こり、
「認可されていないモグリの保育所」
というのも出てくる。
その時はそこまで問題にはならなかったが、今の時代になると、その、
「無認可の保育園」
というのが、
「バスの中に幼児を忘れて、脱水症状で死なせてしまった」
などという事件を引き起こすことになり、そんな事態の種をその時に蒔いてしまったということになるのだろう。
だから、
「子供を作っても育てられない」
ということで、子供を作るという人が減ってきた。
となると、
「結婚なんて必要ない」
ということになるだろう。
だから、それが今の、
(いや、昔から言われてきた)という。
「少子高齢化問題」
に直結してくるということになるのだった。
「一人の老人を昔は五人くらいでっ冴えている」
と言われていたが、今の時代は、
「二人でも支えられない」
という時代になってきたのだ。
そうなると、昭和の頃は、
「定年退職を迎えると、めでたく、悠々自適の生活」
ということで、
「夫婦で世界一周」
などといっている人もいるくらいだった。
今の時代は、
「もらえるはずの年金が、働いていた頃の半分ももらえない」
ということで、
「年金だけでは到底暮らしていけない」
という時代になってきたのだ。
しかも、今ではその年金制度というのも、崩壊しているということで、
「老後はいくら今、厚生年金として納めても、年金がもらえない」
という時代が確実にやってくる。
ということである。
今でも、こんな状況なのに、将来は、完全に、
「定年退職後は、姥捨て山だ」
といってもいいだろう。
「今の政府だけが悪い」
というわけではない。
昔からの累積で、将来を考えない政治家ばかりだったということになるのだろう。
かといって、今の政治家に罪はないとはいえない。
「政治献金問題」
「裏金問題」
ニュースを賑わしているのは、そんな話題ばかりではないか?
そんな時代になり、
「実に生きにくい時代になった」
と言われるが、悪いことが減るというわけでもなく、犯罪というのは、
「決してなくなることはない」
という。
考えてみれば、
「新聞に書くことがない」
というほど、事件のなかった日などあっただろうか?
今日も今日とて、犯罪はどこかしこで起こっているということである。
今回の、
「通り魔殺人事件」
というのも、まさにそれであり、島崎みゆきが殺されたといっても、世間では、
「ああ、また通り魔殺人か、怖いわね」
とは言ってみたり、思ったりしても、結局は、
「他人事」
というだけのことである。
この辺りは、田舎というわけではない。平成の頃に、
「郊外型大型ショッピングセンター」
であったり、
「流通団地」
などというものが、郊外に作られるようになって、その近くを開発し、住宅街や、学校、病院などを作り、一つの街として、いわゆる、
「ドーナツ化現象」
と言われた時代を彷彿させるものであった。
要するに、
「都心部や、駅前というのは、家賃が高い」
ということだったのだ。
確かに、大きなターミナルの前というと、
「オフィス街」
というものが広がっていた。
しかし、バブル経済の時期、バブル崩壊後には、
「負の遺産」
と言われた、
「テーマパーク」
であったり、
「博覧会ラッシュ」
と呼ばれた時代があった。
博覧会などは、砂浜を埋め立てたりして、そこにパビリオンや遊園地などを作って、博覧会を盛り上げたというものだが、博覧会も、ほとんどが、半年ほどのことであり、問題は、
「その跡地をどうするか?」
ということであった。
つまりは、
「博覧会というものが終われば、そこを、住宅として使うか?」
と考えられたが、ちょうどその頃企業は、
「高騰してきた都心部の家賃に対して閉口していたので、郊外に、本部機能を移す方がいいだろう」
と考えていたので、博覧会跡地問題と、この、家賃問題というものを考えると、企業側と、博覧会委員会側の利害が一致したということで、
「郊外に本社機能を移す」
ということが主流になってきた。
しかし、今度は、
「物流の観点」
ということで、
「高速道路のインター近く」
というのが、一番便利がいいのではないか?
ということで、インターまわりの土地が、開発されるようになってきたのだ。
そこに、
「郊外型の大型スーパー」
ができたり、
「住宅地ができることで、学校。病院というものが移転してくる」
彼らにしても、家賃の問題が解消できるわけなので、ありがたいというものだ。
問題なのは、駅前も商店街の人たちで、中には、
「郊外型スーパーの中で、テナントとして営業している」
という人もいただろうが、しょせんは、
「昭和の時代の、商店街」
ということで商売が成り立っていた。
つまりは、
「ご近所での買い物」
ということであったが、これが、大型スーパー施設ということであれば、
「完全に場違い」
ということで、すぐに、閉店という憂き目にあったことだろう。
かといって、駅前で頑張っていても、しょせんは経営が成り立たないのは目に見えている。
彼らがその後どうなったのか。
人によって違っているから、明確には分からないが、今から思えば、
「分からないという方が幸せなのかも知れない」
今回の通り魔事件の起こったところは、
「閑静な住宅街」
ということであるが、そんな歴史によって作られた街ということで、ただ、
「通り魔殺人」
という昔からの犯罪が起こったということは、ある意味、
「皮肉なことだ」
といえるのかも知れない。
実際に、このあたりで、通り魔殺人がしばらく続いたということがあったというが、殺された、みゆきには、
「覚えのない」
ということだったのだ。
時代としては、
「みゆきが小さかった頃」
ということで、すでに、二十世紀が終わった時代であり、世の中では、
「凶悪犯罪」
というものが結構あり、昔から言われてきた
「神話というのは、まったく当てにならない」
ということがある程度確定したといってもいい時代だったのだ。
殺された女性
通り魔殺人というのは、閑静な住宅街で、一時期流行ったことがあった。
作品名:異常性癖の「噛み合わない事件」 作家名:森本晃次