異常性癖の「噛み合わない事件」
「実は、私、次の日も、あの道を通って帰ったんです」
という。
「時間は?」
という桜井に対し。
「大体10時頃だったでしょうか、今日は私が仕事が遅くなったので、駐車場から家までのあの間ですね」
という、
「恵子さん、お仕事は?」
と言われ、またしても顔を赤らめて、今度こそ、
「どうしようか?」
という顔になったが、意を決して、
「実は私は風俗嬢をやっています。店舗型ですので、デリヘルのようなものではありません。だから、営業時間も、午前0時までの中のシフト制になっているので、その日は、9時までのシフトだったんです」
ということだった。
これも一種の、カミングアウトなのだろうが、それでも、さっき聞いた話からすれば、
「至極普通の話を聴いた」
としか思えなかった。
だから、桜井警部補も、そのことにいちいち言及することもなく、それ以上に、目の前の痛々しい傷が気になったのだ。
「その傷は、誰かにやられたんですか?」
ということだったので、
「ええ、その日のその時間に、誰かが出てきて、切りつけられたんです」
というではないか。
「どうして警察にいわなかったんですか?」
と桜井警部補は言ったが、
「そんな、もし、私が前の日に、彼女を目撃したことを犯人が私に供述されると困ると思って。私に警告のつもりで言ったのだとすれば、怖いじゃないですか。だから、とても、警察に通報する勇気はなかったんです」
とどこかヒステリックになって話をしている恵子の隣で、霧島が頷いていた。
「それは、あなたの考えですか?」
「いえ、私も少しは思っていましたが、彼もそういうので、二人の意見が揃ったということを考えると、やっぱり警察には言えないと思ったんです」
ということであった。
そこで、桜井警部補は一つ気になっていたことを聴いた。
「ところで、恵子さんは、被害者が誰だか知っているんですか?」
と聞かれ、一瞬ドキッとしたようだが、すぐに落ち着いて、
「事件の日は分かりませんでした。でも、翌日新聞に載っていた写真を見て、見覚えがあると思って思い出したんです」
という。
「思い出したというと?」
「ええ、彼女も私と同じ、風俗嬢だった時期があるようなんです。ただ彼女の場合は、大学生の頃のアルバイトだったようで、お金目的だったのかどうかまでは分かりませんが、この業界に入ってくる人には、いろいろな事情というものがありますからね」
というのだった。
これは後から聞いたことで、
「母親の里美は分かっていた」
ということであった、
分かっていて黙っていたのは、
「娘が、あまりにも生真面目に育って日惜しくはないと思ったんですよ。私のような道を歩んでほしくない」
と感じたからだということだった。
もちろん、それを詳しくを聴くことはなかったが、なんとなく、被害者であるみゆきという女のことが分かってきた気がする。
しかし、そうなると、
「彼女を殺したいと思うほど、恨みを持っている人はいない」
という、今までの状況から考えると、
「恵子が襲われた」
という事件がどういうことなのかということが、がぜんクローズアップされるかのように感じられた。
それに関しては、霧島が、
「何かを言いたいと感じているのか、喉のギリギリのところまで言葉が出てきているかのようだったが、決して答えてはいけない」
という感覚に襲われているように思え、ジレンマに苦しんでいると感じさせられるのであった。
二人が話してくれたのは、そこまでだったが、桜井警部補は、少し今までと違った見方が出てきたのだ。
最初に感じたのは、
「本当に、最初の殺人である、島崎みゆきというのは、動機がある殺人だったのだろうか?」
ということであった。
確かに、通り魔というには、少し違う気がする。
ただ、犯人が、通り魔と見せかけたいと考えたことで、恵子を襲ったのだとすれば、彼女が警察に通報することで、
「通り魔殺人」
ということにできたのだろうが、実際には、彼女は黙ってしまったことで、結果的に、
「通り魔ではない」
ということになった。
そうなれば、彼女が誰に恨まれているのか?
ということで、動機を探られるが、
「殺したいというところまでの動機を持っている人は見当たらない」
ということになった。
確かに、人は見かけによらないので、本人も、まわりが見ても、殺されるような動機を持っているということを感じさせる人がいないというのもあるかも知れない。
そして、
「殺害の動機は、怨恨だけではない」
ということだ。
怨恨と引っかかるかも知れないが、
「恋愛関係の縺れ」
であったり、
「金銭トラブル」
あるいは、
「見られてはいけないものを、見てしまった」
ということでの、
「図らずも、何かの犯罪に巻き込まれた」
ということである。
それらを考えても、ピンとこなかった。
彼女は以前、風俗にいたとはいうが、今はすでに辞めていて、真面目なOLだということであった。
ただ、一つ気になる証言として、
「彼女には、異常性癖的なところがあった」
ということを、一人の女性の同僚が言っていた。
「彼女、どこか、女性を見る目がトロンとしていて、レズビアンじゃないかって思ったことがあるんですよ」
と聞き込んだ。
実はその聞き込みをした女性も、
「以前、レズをしたことがあった」
というカミングアウトをしてうれたことで、
「その証言には信憑性がある」
ということで、一つ思ったのが、
「霧島との関係」
ということであった。
霧島との関係で、実際には、霧島が一方的に交際を申し込まれ、いい加減うんざりしていたということだった。
そこで、事件は、急転直下、霧島に強い調子でさ浦井警部補が問いただすと、アッサリ白状した。
「殺すつもりなんかなかったんだよ」
と言った。
どうやら、ちょっと脅すくらいのつもりでナイフで少し脅かすつもりだったのだが、元々が男だったことで、その力の制限を自分でも利かなくなったようだった。
「じゃあ、翌日の恵子の事件は、そのカモフラージュだったのか?」
と考えたが、それもどこかおかしいと思い、霧島に訊ねると、
「いや、恵子の事件は、まったく関係ないんだ」
というのだ。
もし、偽装工作であれば、何も警察に黙っておくことはない。
しかも、あとになって申し出るというのもおかしな話で、もっといえば、一緒に、霧島を連れて、警察に証人として出頭するというのもおかしなことになる。
そうなると、
「単純な事件に見えた、一種の殺人というよりも、傷害致死になるのではないか?」
という事件が、複雑になってくるのであった。
「じゃあ、恵子を襲ったというのは、誰になるんだ?」
ということであったが、実際には、意外と分かりやすいことであった。
実は、みゆきの行動について、かなり以前から、その一挙手一同に警戒をしていた人がいたという。
その人は、会社の同僚であったり、ましてや、
「恵子や、霧島」
というわけではなかった。
それを気にしていたのは、何と母親の里美だったのだ。
作品名:異常性癖の「噛み合わない事件」 作家名:森本晃次