異常性癖の「噛み合わない事件」
と、彼女の部屋と思しき部屋の前にいって、確認しているようだった。
すると、すぐに、顔色を変えて、まるで断末魔の表情をしているような母親が帰ってきて、
「あの娘がいない」
と一言いって、その場で崩れ落ちてしまった。
刑事もさすがに、それにはびっくりして。
「大丈夫ですか? 奥さん」
といって、目の前で意識が朦朧としている女性を介抱しなければいけないと感じたのだった。
「ええ、大丈夫です」
とはいいながら、それまで、まったく信じていなかった刑事の言葉が、まさに信憑性を帯びたようで、足元が一気に抜けて、
「奈落の底に叩き落される」
ということになってきたことを自覚したのであった。
どうやら、っ状況を整理すると、
「娘は、その日、実家に帰ってきた。それは何かの目的があったのか、それとも、ただ、フラッと帰ってきたのかは分からなかったが、親とすれば、娘が帰ってきたというとで、素直に楽しい一日になると思っていたことだろう」
と考えた。
そこに何か理由があるとすれば、若い娘のことだから、最初に考えるのは、
「お金の無心」
ということである、
「お小遣いくらいほしい」
と思ったとしても、まだ。20代の娘であれば、それは不思議のないことだと思うのだった。
もっとも、
「若い娘」
ということで、親が一番最初に思うこと、そしてそれが、
「一番緊張する」
と感じることが親としては感じていたという、
それが、
「結婚相手を連れてくる」
ということで、母親の里美としては、
「ああ、私も若い頃にあったことだわ」
と、川崎とのひと悶着を思い出しているようだった。
われを、
「若気の至り」
と思うのか、それとも、それから、すぐに、今の旦那と結婚したことが、よかったのか悪かったのか? それを考えると、
「あまりいい人生ではなかったわね」
と、里美は感じるのだった。
だから娘が、
「よほど変な男でも連れてくることがなければ、その連れてきた相手をむげにすることはない」
と感じていた。
しかし、父親はどうだろう?
あの人は、反対しそうな気がすると、里美は感じていたのだった。
母親である里美の話を、娘のみゆきは聴いていた。
実際に詳しいところまでは聴いたわけではないとみゆきは思っているが、母親としては、
「話した気がする」
と思うのであった。
もちろん、子供に言っていい話だということもなく、話をしたのが、みゆきが大人になってからだった。
というか、高校生くらいだっただろうか。その原因は、
「父親との不仲」
という、母親にとっての、
「都合のいいタイミングだった」
といってもいいだろう。
だからみゆきとすれば、
「有難迷惑」
でしかなかった。
そもそも、そんな話を聴かされる方とすれば、
「ありがたいことでもなんでもない」
といっていいだろう。
みゆきとすれば、
「聞きたくない話をしやがって」
としか思っていないので、
「まともに聴く耳などなかった」
といってもいい。
しかし、里美とすれば、
「お母さんが、失敗したと思っていることを話してあげるんだから、心して聞きなさい」
といっているようなものだと思っていたのだ。
里美は、正直、その時は、
「こんなことなら、あの時、川崎さんと結婚していればよかったわ」
と思った。
里美が結婚した相手は、医者だったということもあって、川崎とのまるで、
「子供の恋愛ごっこのようなものに少し疲れていたので、大人の恋愛をしてみたかった」
というのも、本音だといってもいいだろう。
ただ、年齢的にすでに、
「自分がいつまでに結婚しよう」
として、自分として、決めていた年齢にある程度近づいていたということもあって、里美は、
「もう恋愛なんていいわ」
とまで思っていた。
だから、
「学歴」
であったり、
「金持ち」
という、確かな経歴を持っていることが、彼女にとっての、大きなポリシーに変わっていたのだ。
特に、川崎との恋愛などは、
「甘ちゃんな男で、今から思えば、一生懸命になった自分も子供だったということだわ」
と考えたのだ。
「確かに川崎という男は、自分の親もまともに説得できない男だ」
ということで、
「こんな子供を相手にしていたなんて」
と感じると、
「あの人を好きだったなんて気持ち、ウソに決まっている」
と自分で決めつけていた。
しかし、川崎としてみれば、言いたいこともそれなりにある。
というのも、
「いつも、あの女は気持ちが不安定で、今日、愛してると言った次の日、別れたいという言葉を口にする女だった」
ということで、
「若い頃は、俺がしっかりしていないからだ」
と、すべてが自分の責任だと感じていたが、考えてみればそうではない。
「あの女は、ああやって、自分の不安定な気持ちを俺にぶつけているだけではなく、俺を試しているんじゃないか?」
と感じたのだ。
そう思うと、
「俺をバカにしていたということか?」
と感じるようになると、
「あんな女にこっちの気持ちをコントロールされていたなんて、それこそ、洗脳されていたようじゃないか?」
と思ったのだ。
それまで、時々事件などで、
「洗脳」
というものを聴いたことがあった。
特に、宗教関係の事件が絡んだ時は、
「洗脳」
という言葉を意識させられ、洗脳されることが、どういうことなのかというのを考えさせられるのであった。
その時、川崎が感じたのは、
「洗脳されるというのは、一番悪いのは、もちろん、洗脳する方だが、される方にも、精神的に致命的な欠陥があるからで、それをどうにかしようとしないんだろう?」
と思うのだった。
だから、
「洗脳された人がかわいそうだ」
というわけではない。
その人が洗脳されたことによって、その人にかかわりのある人が、どれだけ困ることになるのか?
ということである。
特に最近の事件などで、
「ママ友と呼ばれる人が、同じ仲間と称する女性を洗脳することで、結果的に、子供に食事を与えないなどして、殺害するに至った」
という事件があった。
確かに、洗脳を行った女が一番悪いのは間違いない。判決も、その女が、洗脳された女よりも、重かったというのも、理解できるところである。
しかし、これがニュースとなると、
「一番悪いのは、洗脳というものを行った女が悪い」
ということばかりが注目され、どうかすると、
「実際に食事を与えずに餓死させた母親」
という人ほど、
「本当は犠牲者なのではないか?」
ということになる。
確かに、
「実行犯」
ということになるわけなので、
「被害者」
という認識はおかしいのだろうが、だったら、犠牲者ということであれば許されるのではないかという考えが、果たして許されるのかと考えると、
「それこそありえない」
といえるのではないだろうか?
「弱いから洗脳される」
だから、弱肉強食が悪いという考えに立つと、洗脳される方がかわいそうという発想になり、結局、
「その時の親は、犠牲者なんだ」
ということになるわけだ。
だから、
「弱肉強食」
というものは、
「すべてが悪い」
作品名:異常性癖の「噛み合わない事件」 作家名:森本晃次