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もう一人が犯人

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「鮮やかな色であり、塵が舞っていないという状況で見ることができる光景ということでは、最高の状況なのではないだろうか?」
 ただ、このような、
「躁状態における夕方」
 という感覚は、
「うつ状態での、夜のとばりが降りた時」
 ということで感じることができるとも感じていたのだ。
「うつ状態の時も、夕方を通り過ぎれば、次第に汗が出るようになり、夜のとばりが降りてくると、汗が冷えてくるのを感じ、風邪をひいてしまうという感覚よりも、汗が出てくれたという感覚の方が強い」
 と感じるのではないだろうか?
 夜になると、そんな躁鬱が、
「いかに違った夕方だったのか?」
 ということを感じさせる、ホッとした時間になるのだ。
 夕方との違いを考えると、やはり、その思いは、
「うつ状態の方が強い」
 といえるものであろう。

                 殺害された男

 躁鬱症というものを、学生時代まで感じていた坂本少年であったが、警察に入ると、
「躁鬱なと感じている場合ではない」
 と思ったのか、それでも、最初の一年くらいは、まだまだ学生気分が抜けていないという指摘を受けても仕方がないくらいであった。
 ただ、警察に入ってからの、一年一年は、あっという間に過ぎていった。
 特に、30代くらいまでは、相当早かったような気がした。
 確かに30代も早かったが、本人とすれば、
「20代の方が長かったような気がするな:
 と感じていた。
 それは、錯覚なのかも知れないが、まわりがいうほど、
「やっぱり、それほどでもないんだよな」
 ということであった。
 それだけ、毎日に変化のある日々だったのだが、
「確実に成長している」
 ということが実感できないのだ。
 学生時代であれば、
「勉強すればするほど、それが身についてきたという意識を持つことができるのだが、刑事の仕事をしていれば、日々、別の仕事をしていようが、
「同じ毎日ではない」
 と感じるわりには、
「成長というものを感じない」
 と思わせるのであった。
 それは、
「感じない」
 ということなのか、それとも、
「感じさせない」
 という、
「自力いなのか、他力なのか?」
 ということが分からないということでもあった。
 ただ、
「毎日が充実している」
 と考えるだけの余裕がなかったことが、
「あっという間の20代だった」
 ということになるのではないか?
 と感じるのであった。
 学生時代は、
「週単位や月単位と、日々とを比較すると、その感覚に大きな違いを感じることが多かった」
 と思っていた。
「一週間があっという間だったのに、日々の感覚というのは、結構時間的にかかったのではないか?」
 と感じる時があれば、逆に、
「日々の感覚があっという間なのにも関わらず、一週間がなかなかすぎてくれない」
 と感じることも多かったということであった。
 そんな感覚が、今となって考えれば、
「20代にもつながっていたかも知れない」
 と感じる。
 今が40代なので、それを考えると、
「30代になると、今度は、20代の感覚が、30代にスライドされて考えられるようになるのかも知れない」
 と考えた。
 それは、まるで、
「尺取虫」
 のように、自分が先に進むと、身体の後ろが勝手についてくるという感覚で、それが無意識というよりも、
「本能によるものだ」
 という考えになるのではないかと思うのであった。
「警察の仕事は、他のサラリーマンとはまったく違う」
 と言われるかも知れないが、そもそも、同じ会社であっても、
「営業と、事務。さらに物流とでは、まったく違うのではないか?」
 ということになる、
 一般企業の新入社員は、だいたいが、最初の研修期間において、
「会社の大方の流れというものを知ってもらい、その間を研修期間ということで、その適性を見極める」
 という勉強に、
「それぞれの部署を経験してもらうように、サイクルと決めての研修」
 ということになるのが普通である。
 一般社会人と、警察ではさすがにまったく違っているので、どこまで研修をするかということは一般社会人からすれば分からないことだろう。
 しかし、それは、警察からしても同じことで、結局は、
「交わることのない平行線」
 ということで、土台分かりあうということが無理な世界なのではないだろうか?
「同じ世界」
 と考える方が無理があるということになるだろう。
 坂本は、40代になると、
「このままでいいのか?」
 と考えるようになった。
 そもそも、40代というと、
「不惑」
 と言われる年齢ということで、
「惑ったりはしない」
 ということになるだろう。
 ただ、これを寿命という形で、一緒に考えていいものか迷うところであるが、
「今の時代は、平均寿命がかなり延びて、人によっては、100歳まで生きるというのが当たり前」
 という時代に突入した。
 これこそが、
「少子高齢化」
 という問題の根本なのかも知れないが、だからと言って、
「老人はある程度の年齢になると、死んでくれ」
 というわけにいくわけはないではないか。
 しかし、人によっては、
「金もなくて、惨めな状態で、このまま生きながらえるというのは嫌だ」
 と思っている人もいるだろう。
「一番いいのは、80を過ぎたくらいで、苦しまずに大往生できればいい」
 というところであろうが、そうも簡単にはいかない。
「もっともっと生きていたかった」
 と思っている人が、
「志半ばで、病気で死んでしまう」
 ということもあるので、
「生きながらえているのに、贅沢だ」
 という人もいるだろう。
 しかし、
「生きながらえるだけが、喜ばしいことなのか?」
 というとどうであろうか?
 それこそ、今の時代がそのまま、少子高齢化ということで、ちゃんとした対策も打たずに、時間だけが浪費されていくこといなれば、
「まるで、将来は姥捨て山だ」
 とばかりに、
「生きていることが、苦痛だ」
 ということになってしまうだろう。
「そんな思いまでして生きながらえたくない」
 という思いは、
「若者の間にもある」
 ということであるが、
「老人となった方でも、こんな思いまでして、生きていたくない」
 と感じることであろう。
 それを分かったうえで、
「自分で自分をどうにかできない」
 という以上、
「人の一生というものが、社会という枠組みの中で、雁字搦めだ」
 ということになるのであった。
「植物人間になった人がいて、その人の家族が、その負担を余儀なくされるのであれば、本人も、このまま生きながらえたくない」
 と思っているのではないか?
 という考えを示すことができない状態で、しかも、
「意識が戻る可能性は、非常に低い」
 ということで、いわゆる、
「尊厳死」
「安楽死」
 という考えが、もう少し進んでもいいと思えるのに、残された家族が悲惨な目に遭っても、誰も、そうすることもできないという状態で、
「人間は、死を選ばせることもできないのか?」
 ということになる。
 それは、時代が変われば変わるということであろうか?
 昔であれば、
「人柱」
作品名:もう一人が犯人 作家名:森本晃次