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もう一人が犯人

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 ということに関しては、そう簡単に理解できるというものではない。
 それを考えると、今の社会問題は、
「いろいろなことが絡み合ってきているのではないか?」
 といえるのではないだろうか。
 昭和から、平成、そして令和に至るこの時代において、変わりつつある時代背景は、
「最初の問題を解決しなかったり、その解決を中途半端に終わらせてしまったというツケが、今回ってきている」
 と言ってもいいだろう。
 だから、坂本少年のように、
「バブル崩壊後」
 の時代の人間と、その父親である、
「高度成長期」
 というものを歩んできた人間との間には、かなりの差があると言ってもいいだろう。
 父親の時代は、
「モノは今ほど豊富ではなかったが、上を見て、希望を持つことができる時代だった」
 しかし、バブル崩壊後の時代というと、
「モノは豊富にあるのだが、上を見ることも、希望を持つということもできない時代になってきた」
 ということで、
「まったく、世の中を見る目が変わったし、世の中がどのように人間社会を見ているかということも変わってしまった」
 ということになるのだろう。
 そんな時代が、親子の間の確執を生んできたということになるのだ。
 特に父親がいう、
「理路整然とした理論」
 というのは、ある意味、
「間違ってはいない」
 というものであった、
 それを息子としても分かるだけに、文句が言えない。
 かといって、
「はい、そうですか」
 と言えないのも事実で、
「逆らうこともできない」
「逆らってしまうと、子供として、育つことができない」
 ということになるのだ。
 何をするにも、
「親の親権者としての許可であったり、同意が必要」
 ということになる、
 だから、
「子供が一人では生きていけない」
 ということになるのだ。
 しかし、それも、あくまでも、親が子供の人権を守るというのが、大前提となる。
「親の考えを押し付ける」
 ということ、そして、それが、
「児童虐待になる」
 ということが、昭和の昔であっても、令和における、
「児童虐待」
 ということに変わってくるということになるのであった。
 年齢としては、坂本探偵は、今、45歳になったところであった。
 バブル崩壊の少し後くらいに、社会人になる人たちと同じくらいの年齢だった。
 坂本探偵は、学生時代から、
「バブル崩壊」
 を予期していたわけではない。
「公務員になりたい」
 と思ったわけでもない。
 バブル崩壊前」
 という時代には、
「公務員というのは、給料が安く、ただ、時間から時間の楽な仕事だ」
 というイメージが強く、どちらかというと、
「公務員は嫌だ」
 と感じている方であった。
 しかし、実際に就職したのは、警察だった。
 そもそも、
「勧善懲悪な気持ちがあった」
 ということから、
「ある意味、子供の頃から、警察官を目指したい」
 と思っていたのであった。
 ただ、それも、ずっとそう思っていたのだが、途中で、
「警察官になりたい」
 と思った時期の狭間で、
「どうして警察官になりたいと思ったのか?」
 ということを失念していると感じる時代があった。
 それは、時々訪れるもので、自分では、
「そんなことを考えている時に、うつ状態に陥っていたような気がするな」
 と思っていた。
 要するに、
「躁うつ病なのではないか?」
 と感じていたのだ。
 実際に、その気はあったようで、
「何をやっても、面白くない」
 という時期と、
「何をやっても、うまくいく」
 と感じている時期が、交互にあると感じていたようだ。
 それは、
「そのほとんどは学生時代だった」
 ということで、自分の意識としては、
「余計なことを考えている時が、躁鬱状態の時期だったのではないか?」
 と思っていたのだ。
 特に警察の仕事をしていると、
「自分のことを考えるよりも、それ以外のこと」
 というのが大きかった。
 これが、一般企業であっても、そこは変わらないと思ったので、
「余計なことを考える暇もないほどになると、躁状態になったりうつ状態になったりということはないのではないか?」
 と感じるようになったのだ。
 特に。
「躁鬱症ではないか?」
 と最初に感じたのがいつだったのかということが分かっていないだけに、あとから思い出そうとしても、なかなか思い出せないというのが、自分で感じているところの、
「躁鬱症」
 というものの特徴ではないかと考えるようになったのだった。
 確かに、うつ状態になると、
「何をやっても、うまくいかない」
 あるいは、
「うまくいく気がしない」
 ということであり、その証拠に、
「不安に思うことばかりが頭をよぎる」
 ということになるのだ。
 それが、ネガティブな発想というもので、
「そんなネガティブな発想を口にする人と、関わり合いになりたくない」
 と言ってもいいだろう。
 そんなうつ状態と、
「今なら何でもできる」
 と考える躁状態とでは、
「まったく正反対の状態だ」
 と言ってもいいのかも知れないが、完全な正反対というわけでもない。
 例えば、
「うつ状態の時にも、躁状態の時にも、一日の中で、一番気になっている時間帯というのが、夕方だ」
 ということであった。
 ただ、その時間帯に感じることに差があることで、その感覚を立証するという意味での、
「正反対」
 ということであれば、同じ時間を意識していると言っても、
「まったく正反対だ」
 とは言えない気がするのであった。
 うつ状態の時、夕方になると、
「まるで、塵が舞っているように見える」
 ということを感じ、身体のだるさがこみあげてくる。
 それは、真夏の暑さを彷彿されるもので、身体に暑さがみなぎる気分になるのだ。
 これはあまりいい傾向ではない。意識が朦朧としてきて、本来なら噴き出してくるはずの汗が出てこない。
 そのため、汗で身体のけだるさを出させるという効果がないことで、
「身体がいうことをきいてくれない」
 ということを思い知らされるのであった。
「塵が舞っている」
 という感覚と、
「汗が吹き出さない」
 ということから、意識が朦朧としてくることで、目の前に見えている色が、ハッキリとしてこないのであった。
「昼間もそうであったが、信号機の青い色が緑に、赤い色が、ピンクのような色に見えてくるのだ」
 という感覚を覚えるのであった。
 だが、これが、躁状態の時は、
「夕方が、鬼門だ」
 という気分にはなるのだが、それも、
「今日一日が、充実した一日だ」
 と感じることができれば、
「夕方が、鬼門ではない」
 といえるのかも知れないが、いくら、躁状態だとはいえ、そう毎日、
「充実した一日だった」
 と思えるわけでもなく、そのために、鬼門が余計に気になるということでもあるのだった。
 そして、躁状態における夕方というのは、
「信号機の見え方」
 としては、うつ状態とは違った見え方であり、それは、
「青信号は、本当の青に、赤信号も、深紅といってもいい色に見えるのであった」
 これは、
作品名:もう一人が犯人 作家名:森本晃次