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もう一人が犯人

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「国民の生活を守る」
 という公務員の給料に充てられる部分が大きいということになるので、
「公務員が、給料に似合う仕事をしてくれれば、納税の意味もある」
 ということになるが、今の日本において、
「誰が、国民のために仕事をしている」
 という公務員がいるというのか。
 政治家は、
「保身のためと、金儲けのためだけに、その地位にしがみついているわけで、その地位を維持するために、金をばらまく」
 という、一種の
「負のスパイラル」
 と言ってもいいだろう。
 だから、
「戦争をしている外国に、ポンと金を出す」
 ということになるのだ。
 本来であれば、国民の税金を国民のためではなく、海外にやるというのだから、その真意を問うという意味での、
「国民投票」
 というのがあってしかるべきなのではないだろうか?
 それもないままに政府は、海外に金をやり、さらには、国民も、そのことについて、最初は何も言わなかった。
 何度か繰り返されるうちに、政府批判をはじめ、それがやっと、
「内閣支持率の低下」
 という形で、実を結んではきたが、
「そもそも、最初の前例を作った時、国民が何も言わなかった」
 という意味で、
「国民も同罪」
 と言ってもいいだろう。
 何といっても、最初に前例を作ってしまったということが、大きな罪なのだ。
 前例を作ってしまえば、あとから何を言おうが、どうしようもない。
 国民からすれば、
「最初の一度だけだと思っていた」
 というのだろうが、
「海外に金をばらまく」
 という批判を始めたのは、
「物価上昇」
 という形で、自分たちが、直接的な被害を被ったことで、言い出したことだ。
 それがなければ、いまだに反対はしないだろう。
 それだけ、国民も、
「自分のことだけしか考えていない」
 ということだろう。
 そもそも、最初に何も言わなかったのは、
「人道支援ということで、仕方のないことだ」
 ということだったのだろう。
 しかし、その時はまだ、
「世界的なパンデミック」
 の影響を受け、国内が混乱している時期だった。
 それも、すべての人間が被害を被ってはいたが、実際の被害は人によって、
「ピンからキリまで」
 と言ってもいいだろう。
 だから、そこまでひどい仕打ちを受けていると感じていない人からすれば、
「お金を海外にやる」
 ということは、他人事だったということだ。
 それが、物価上昇などという、
「全国民に影響が出てくると、全員が多かれ少なかれ、文句が噴出してくる」
 ということであろう。
 そうなると、今度は、
「集団意識」
 というのも、芽生えてきて、
「誰かが文句をいうと、それがあっという間に広がっていき、それがやっと、政府批判、内閣の支持率低下」
 という形で実を結ぶことになる。
 しかし、これだって、
「国民がやっと気づいた」
 というだけのことで、
「気づかなかった方がバカではないか?」
 と思うのは間違いであろうか。
 それを考えると、
「結局、人間というのは、自分に関係がなければ、すべて他人事だ」
 ということになるのだろう。
 もちろん、その対象となる相手が、自分とものすごく近しい相手ということになれば、
「他人事で済ませるわけにはいかない」
 ということになるだろう。
 しかし、他の人からみれば、
「他人事でしかない」
 というわけなので。
「誰が本気で気にしてくれるというものか」
 ということになるわけだ。
 だから、
「人間というのは、なんて冷たいんだ」
 と考えてしまう。
 一度この思いをすれば、
「誰が人のためになどするか?」
 ということになるわけで、それが、身近なところで、
「近所づきあい」
 ということになるだろう。
 たとえば、マンションなどの共同住宅に住んでいると、
「隣に誰が住んでいるか?」
 などということを誰が気にするというのか、
「何年もすんでいるのに、隣の人の顔も見たことがない」
 ということだって、十分にあると言ってもいいだろう。
 それを感じるのが、
「町内の決まり事で、年に数回の、掃除」
 というものがたいていのところでは決まっていたりする。
 そして、その町内には、
「班」
 のようなものがあり、毎年交替制で、その班長に就任するということになるのだが、
「嫌々やらされることになる」
 ということで仕方がないと思ってやっている時、初めてその、
「他人事」
 ということを思い知ることになる。
 最初に、その班長をさせられた人は、嫌々であろうが、しなければならないこととして掃除の日にも出てくることになる。
 そのマンションが例えば20世帯くらいだったとして、そのうち出てくる家庭は、多くて、三軒くらいというのが、いいところであろう。
 しかも、
「子供がいて、町内会に参加しているという人」
 であったり、
「障害者がいて、デイサービスにお世話になっている」
 ということで、
「町内会の行事に参加しないと、自分たちが困る」
 ということで出てきているだけの人である。
 要するに、
「他人事では済まされない」
 ということだ。
 それ以外の人は、まったくの無関心だと言ってもいい。
 中には、
「町内の人が、こぞって掃除をしているのを横目に見ながら、表に出てきたので、参加するのかと思いきや、そのまま駐車場から車に乗り込み、どこかに出かけてしまう」
 という人もいる。
 仕事であれば、家族全員で車に乗り込むなんてことはしないだろう。
 そして、少しでも、申し訳ないと感じたり、白い目で見られることを気にしないというような、本当の他人事を思っているから、そういうことが平気でできるのだろう。
 そんなものを見せられると、
「今回は班長として仕方がなくやらされるが、任期を終えれば、俺も完全に他人事になるか」
 ということになるのだ。
 そして、次に班長になった人が、
「いかにまわりが、皆他人事なのか?」
 ということを、初めて思い知ることになる。
 自分たちもこれまで、散々他人事のように思ってきたくせに、他人事では済まされない立場になってしまうと、今までの自分のことを棚に上げて、
「なんでこんなに世間は冷たいんだ」
 と感じるだろう。
 それが、
「思い知らされる」
 ということであり、その思いが、世の中というものを恨む人を生んでしまうということになるのであろう。
 本当は、
「世間がそんなだから、公務員としての、警察や政府が冷たい」
 というのは、本当はお門違いだろう。
 そんな、世間というものが、
「警察や政治家のような連中を作ってしまったのか」
 それとも、
「警察や政治家が、自分たちのことしか考えないから、世の中も、皆他人事だとしか思わないようになったのか」
 いわゆる、
「タマゴが先かニワトリが先か?」
 という理論になるわけである。
 そんな世の中が、今の日本というものであり、そうなると、結局は、
「世の中全部が、他人事」
 と言っても過言ではないと思わせるのだろう。
 そうなると、犯罪が起これば、その当事者は、
「世間がどれほど冷たいものか?」
 ということを、いまさらながらに思い知ることになる。
 それは、坂本にとっても、
作品名:もう一人が犯人 作家名:森本晃次