悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(山陰(前編))
■11/8(旅の7日目):兵庫県香美町余部 ⇒ 鳥取県若桜町(道の駅「若桜(わかさ)」)
【走ったルート】 道の駅「あまるべ」周辺を見て回り、少し戻るがJR鎧駅へ、そして鳥取県のシンボル「鳥取砂丘」を十二分に味わい、鳥取市の南に位置する山間の田舎町の若桜(わかさ)の道の駅で車中泊。【走行距離:87km】
【忘れられない出来事】 客車が落下した「余部鉄橋」を下から見上げ、そして鉄橋の上から下を見下ろし、信じ難い事故のひどさを想像したこと。もうひとつ、日本一の「鳥取砂丘」を歩いて、その広さを体感したこと。
【旅の内容】 昨夜は早めに寝たことで、5時半にトイレに行きたくなり、目が覚めたが、そのまま寝てしまい、起床したのは6時、昨夜からの雨はあがっていた。
着替えてから、一杯のコーヒーを飲みながらバナナを食べて、デジカメを首から提げ、昨夜乗ったエレベーター「余部クリスタルタワー」に向かった。
その手前と奥には、旧余部鉄橋の朱色の防錆色の橋脚が残されていた。旧余部鉄橋は11基の橋脚、23連の橋桁を持つ鋼製トレッスル橋だが、橋脚は意外に細い4本の鉄骨から成り、それらがプラット構造(トラス構造?)で連結されていることで、橋梁全体の強度が十分に確保されていたのだろう。
見上げると鉄橋はかなり高く、その隣の「余部クリスタルタワー」に乗り上昇した。
全面ガラス張りのため、すぐ手前の民家から見え始め、そして余部湾、最後に日本海が見えた頃に、旧鉄橋の上の展望台「空の駅」に到着。ここには、「道の駅」、「空の駅」そして「JR餘部駅」の3つの「駅」があることに気付いた。
そこから橋梁側に向かうと、当時の線路や枕木が旧橋脚の上に数メートルほど残っていた。
余部鉄橋といえば、そのフォルムの美しさが人を惹きつけていたが、やはり、列車転落事故を思い出す。それは昭和61年の年末に起きた信じられない事故だった。
ディーゼル機関車DD51が牽引する回送中のお座敷列車「みやび」が、橋梁中央部を通過中に日本海からの最大風速約 33 m/s の突風に煽られ、全客車が転落し、真下の水産加工工場と民家を直撃、工場が全壊、民家が半壊した事故だった。
それがきっかけとなり、新しく架け替えられたのが現状の鉄橋だ。
以上は、事のあらましだが、その現場に立つと、この高さから、全客車が落下したとは想像を絶する内容で、身震いするほどだった。
反対側に歩いて行くと、無人駅の餘部駅のホームに出られ、小さな駅舎が佇んでいた。
帰りは、エレベーターに乗らず、駅舎の横の坂道を下り始めると、鉄橋の写真撮影ポイントの案内標識があり、少し登って、そこから鉄橋の全景の写真を撮ることができた。
「ジル」に戻ると、1時間ほども見て回ったことに驚くと同時に、空腹に気付いた。
電子レンジで、肉まんとカレーまんをチンして、湯を沸かし、温かいコーヒーを淹れて、ゆっくりと朝食を取った。
突然だが、私はNHKの朝ドラのファンだ。
2007年の前期に放送された「どんど晴れ(主演:比嘉愛未)」以降、全ての朝ドラを視聴している。紀行文を執筆している2025年3月の今、放送されている朝ドラは「おむすび」で、連続36作品も見続けている。
「どんど晴れ」以前の朝ドラの再放送も全て視聴しているので、ディープな朝ドラファンなのかもしれない。
以前は確か、民放でも朝ドラ(昼間の放送の再放送?)の放送があり、大学の後輩の宮崎美子が出演した「元気です!」も欠かさず見ていた。半世紀前の思い出だ。
ちょっと長い話になってしまったが、そこは朝ドラファンの私に免じてお許しを。
伝えたかったのは、餘部駅のひとつ東側に、NHKの朝ドラの再放送で見た「ふたりっ子(主演:岩崎ひろみ)」のロケ地のひとつだった鎧駅(よろいえき)があるので、そこに行ってみることにした。
R178を少し戻り、山陰近畿自動車道の余部ICの前を通過して直進すると県道に変わった。そこは、その自動車道ができる前まではR178だったので、格下げになった(?)道だ。
山間の県道を少し走ってから左折して、海側に続く道路幅の狭い道に入っていった。
ジグザグした道を下るとポツンポツンと家が見えたあたりで道が二股に分かれ、山裾の道は鎧駅には続いている。
何故か、その道に入らず、その下の狭い路地に入ってしまった。その先で鎧駅に続く道があるので、そのまま路地を進んで行った。
ところが、駅に続く道の幅は狭く、「ジル」は入って行けない。そのまま直進して漁港まで行ってUターンしようかと思ったが、山陰本線の下を通過するトンネルはあまりにも低く、狭く、先に進めず、袋小路に入った状況になってしまった。
バックモニターを見ながら慎重にバックして、途中で、民家の広い駐車場を使わせて頂き、何とかUターンして、先ほど入り損なった山裾の道を走り、鎧駅にたどり着いた。
駅舎はコンクリート造りで鄙びた感はなく、朝ドラの「ふたりっ子」のロケ現場だったかもしれないが、その雰囲気は感じられず、やっとたどり着いた駅だったが、少し残念な気持ちになってしまった。そのため、「ジル」から降りずに、来た道を引き返した。
この日の夜、鎧駅の画像検索をしたところ、対面式ホームの海側の、かつて使われていたホームの海側には公園があり、そこは標高40mの崖上で、リアス式の鎧湾や港を見下ろせることが分かった。
何故、「ジル」から降りて、ホームまで行かなかったのかと後悔した。
餘部駅がまだない頃、余部の人たちは鉄橋を渡り、トンネルを抜けて、この鎧駅まで歩き、列車に乗車したとのこと。道の駅の駅舎内に掲げられていたポスターにそう書かれていた。彼らにとっての餘部駅は悲願だったのだろう。
そのことを現地で偲ばずに立ち去ったことを後悔した。
ここでは、「何故か」と「後悔」をそれぞれ2回ずつ経験してしまったが、これからの旅に向けての反面教師にすることにした。
県道に戻る途中、かなりの枯れ葉が山側から降ってきた。ホンダの除雪機の看板や民家の玄関の横に置かれた小型の除雪機が見えた。道の中央には融雪水の噴出口も見えた。
それらは、間もなく冬を迎える景色なのだろう。福岡県の私の実家や静岡県の自宅の周辺では決して見られない景色だったことから印象的な風景として、しっかりと記憶に残った。
余部ICから無料区間の山陰近畿自動車道に入らず、R178の方を選び、走り始めた。国道沿いには道の駅があり、そこで情報を収集できるためだ。
ちょうどその時、R178を跨ぐ余部鉄橋を気動車が渡り始めたので、急いで路肩に駐車して、その写真を撮ることができた。そういう写真を撮りたかったので、ラッキーだった。
ところが、ラッキーは続かない。R178を西に向かって走っていると、「通行止め」の看板があり、結局、余部ICから山陰近畿自動車道に乗り、鳥取砂丘方面に向かうことになった。
そのような情報は道の駅にあるはずなのだが、昨日も今日も、道の駅内では余部鉄橋の情報ばかり見ていたので、その情報を見落としたのかもしれない。