悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(山陰(前編))
道は海沿いから山の中へと入り、トンネルを抜けると半島の北側に至り、そこは白木(しらき)漁港だった。
漁港の奥の北側の高い防波堤の手前まで進み、「ジル」を停めてあたりを見渡すと、漁港の東側1kmあたりに、テレビか何かで見た特徴的なフォルムの高速増殖原子炉の「もんじゅ」らしいものが見え、そう思いながらも自信がなかった。
ちょうどその時、ランニングしていた男性が私の前を通過しようとした際に訊いたところ、やはり「もんじゅ」だった。
高い防波堤に登ると、かなり強い海風が吹いており、海は一面白波が立っていて、堤防の高さと風の強さに多少の怖さを感じながら、目の前に「もんじゅ」などの写真を撮った。
私の高速増殖炉「もんじゅ」についてのおおよその理解は次のとおりだ。
原理の詳細は知らないが、使った以上の核燃料が取り出せて、それを再利用する「核燃料サイクル」を回せる「夢の原子炉」と期待されたが、相次ぐトラブルや不祥事で、廃炉が決まったということ。
ネットによると、22年間で1兆円かけて稼働したのはわずか250日だが、多分、得るものがあったものと思うが、今現在、新しい試験研究炉をつくる計画が進んでいるという。
先ほど登った堤防の内側には、「密航・密輸・不審船を見つけたら110番、118番(敦賀海上保安部)に」の内容の看板が貼られており、「不審船」の記載から、日本海を隔てた向こう側は北朝鮮、そのことを改めて認識した。
防波堤の内側の漁港内には波はなく、底が見えるほど澄んでいて、あちらこちらに、小さな魚が見えた。
ちょうど昼食の時間になっていたので、カップ麺とイカの缶詰を食べた。
もし釣りに興味があれば、釣り糸を垂らして、小魚が釣れたならば、どう料理すればよいのか分からないが、多分、昼食のおかずになるのかもしれない。
白木漁港をあとにして、山の中を走り、トンネルを抜けると、丹生湾越しに再び、「美浜原発」が見えた。
そこからの車窓風景は海水浴場が続き、「水晶浜」の南は「ダイヤ浜」、それ以南も幾つもの海水浴場が続いた。
国内最多の14基の原発が集中するここ若狭湾の地を指して使われる言葉が「原発銀座」だ。
今回の「キャンピングカーの旅」で敦賀半島内を走っていると、コーナーを曲がるといきなり原発が見えたり、眺める景色の中に原発が入っていたり、確かに、原発のある景色が何度も繰り返していた。これから走る若狭湾の西側でも、原発を身近に感じることだろう。
という訳で、少しだけ、若狭湾の原発について整理してみた。
若狭湾の東側から、敦賀半島北部の「敦賀原発」と「ふげん」、そして「もんじゅ」、その西海岸には「美浜原発」、大島半島の北端の「大飯(おおい)原発」、そして福井県の西の端の音海半島(おとみはんとう)の付け根の「高浜原発」、確かに、これだけの数の原発が集中しているのは、全国では福井県のみで、「銀座」の名称が付いてしまうのも無理はない。
ちなみに、原発による電力量を県別にみると、福井県は全国1位で、全体の約4分の1を占めている。
ついでに、福井県に原発が多い理由をネットで調べたところ、ネガティブな内容が多く、総じて、多くの電力を必要とする大都市と、そこからほど近い地方の地域振興のための原発誘致の利害も含め、一致した結果のようだ。
その大前提として、万が一の場合を想定した安全対策を施しているものの、原発は危険ということを完全に払拭できないことから、原発誘致に反対の意見はあったが、結果的には誘致が決定された。
大都市には原発用の広い土地が殆どないのは理解できるが、原発のある大都市はないのも事実だ。
少しどろどろした内容になってしまったが、その替わりでもないが、若狭湾の美しい車窓風景を楽しみながら、R27を走って、道の駅「若狭おばま」に向かうことにした。
ところが、先ほど見た「水晶浜」の美しい風景を思い出し、午前中の曇り空であまり良い写真が撮れなかった「気比の松原」に今行けば、良い写真が撮れるのではないかと思い、かなり戻ることになるが、そう決めた。
自宅を発ってもう4日目で、ゴールの九州まではかなりの距離があるのだが、自由な時間がたっぷりあるセカンドライフの「キャンピングカーの旅」ならではの行動なのかもしれない。
金山バイパス(R27)に乗り、最短距離で「気比の松原」まで走り、砂浜まで下りて、写真を撮った。
晴れてはいたが、太陽光が松原の南側から当たり、砂浜に影を落としているような状況で、ここは、朝陽の当たる松原と砂浜の風景の写真が良いのかもしれない。それでも、数枚の写真を撮った。
そう思いながら、また来ることに決めた。といって、明朝ではないが、今後の旅の時にでも、また立ち寄りたい場所だ。そのときは、美味しいものを求めて、敦賀の街の中を歩くことにしよう。
再びR27金山バイパスに乗り、西に向かって走り始め、やがて、「三方五湖」の中の最も南側の「三方湖」の湖岸を走るR162に入り、「若狭三方縄文博物館」を過ぎた先にあった道の駅「三方五湖」(福井県若狭町)に立ち寄った。
ここの駅舎は細長い長方形のような建屋で、短辺側が三方湖に面している。駅舎の隣には「福井県里山里海湖(さとやまさとうみ)研究所」があり、それも同様な形の建屋だが、その長辺側が湖に面している。その2階は「自然観察棟」の看板が掲げられていた。
ここ「三方五湖」は、特に野鳥が多く見られるとのことで、その様子を観察できるのだろう。その棟の1階はピロティ(2階以上の建物の1階部分に柱を残して外部空間とした建築形式)になっており、そこを抜けて湖畔に出ると、小さな桟橋があり、小舟が係留されていた。多分、野鳥の観察に使用されるものだろう。
湖畔から見える景色は全て自然物で、湖面にはさざ波が立っていた。
残りの4つの湖がどの方角にあるのかさっぱり分からなかったが、そんな時に思い出すのはやはり、パラモーターで上空から俯瞰した「三方五湖」の景色だったが、その北部にある「三方五湖レインボーライン」のことを思い出した。
その「レインボーライン(この旅の時は有料だったが、2022年10月1日から無料)」の第1駐車場からリフトなどで上がった先の標高400mの梅丈岳(ばいじょうだけ)の展望台からは、「三方五湖」や反対側の若狭湾の展望が広がっているとのことだが、半年ほど前に、その高さより高い600m上空から見ていたので、今回はパスした。
そして、この「三方湖」だけではもったいないので、ひとつ北側の「水月湖(すいげつこ)」まで行ってみることにした。
R162から湖岸沿いの県道に入り、「三方湖」を見ながら走っていると、湖側に幾つかの合掌造りの茅葺き屋根の小屋が並んでいたので、近くに駐車して、小屋を見に行った。
それらは江戸時代からあったといわれる古い船小屋で、朽ちた櫓舟が梁からロープで吊るされている船小屋もあれば、古いFRP船がそのまま地面の上(水のない湖の浅瀬の底)に置かれている船小屋もあった。茅葺き部分の層の厚さがかなり厚いようで、その結果、船小屋の風化(経年劣化)が防止されているのだろう。