自殺菌がかかわる犯罪
ということは、
「四半世紀以上経って、やっと完成した」
ということであり、それがどれほどの情けなさかということが言えるだろう。
「土地買収に手間取った」
という話もあるが、実際には、
「5駅を高架にする」
という計画だったのに、最後まで、買収に応じないところがあるということで、結局、そこは、対応されず、中途半端な形で出来上がったのだ。
外野から見れば、
「買収ができないのであれば、最初から、そこだけ後回しで、他を先に開業すれば、半分くらいの期間でできたはずだ」
と思えた。
しかも、開業してから、もう2年が経ったというのに、まだ、駅の改装であったり、高架下の工事であったりと、まだまだほとんど何もできていない状態である。
これだけ工事が遅れたのを、これはあくまでもウワサであるが。
「鉄道会社が、市や県に金を出させようとして、工事を渋っていた」
という話があった。
まるで、都市伝説のようだが、
「これは信憑性がある」
ということになるのではないだろうか。
何といっても、
「この街の市や県などの自治体は、殿様商売をしている、例の私鉄会社に頭が上がらない」
ということだからである。
鉄道会社に、完全に操られ、本来であれば、
「市民生活をよくする」
ということのための、高架工事が、まるで、
「鉄道会社と、自治体の駆け引きの道具」
に使われているわけである。
その狭間に置かれた市民は、
「板挟みにあっている」
と言ってもいいだろう。
そんな、
「鉄道会社の力関係」
ともいえる状態を知らなかった時は、
「国鉄がとにかくひどくて、私鉄は、ちゃんと県民のことを考えてくれている」
と思っていた。
実際に、
「人身事故というのは、まず、国鉄関係でしか起こらない」
という都市伝説があった。
それは、誰もが思っていたことのようで、
「人身事故のほとんどが自殺だ」
と考えていたからであった。
というのも、そもそも、
「鉄道を使った自殺」
というのは、
「割に合わないもの」
と言ってもいいだろう。
これも、実はおかしな話であり、
「鉄道の運行を止めた」
ということで、これは、罪に当たるということで、その保証金を、鉄道会社は、
「鉄道を止めた人に請求することができる」
というものだ。
「自殺したのだから、払わなくてもいい」
ということはありえない。
何と、
「本人が死んだのであれば、家族が払う」
ということになるのだ。
これは、
「鉄道法」
という法律に守られているので、
「そんな金はない」
と言ったところで、
「家族なのだから」
という理不尽な理由で、請求され、払わないと、
「給料や、土地を差し押さえられたりする」
ということだ。
それこそ、
「やくざ顔負け」
というもので、
「なるほど、鉄道会社というのは、やくざが経営しているのだ」
と言ってもいいだろう。
この保証金だって、
「すべては、鉄道会社に入る」
ということであって、本来であれば、
「いくら人身事故とはいえ、本来の鉄道会社の理念を守れない」
ということであるから、その保障は、
「鉄道の利用者」
に払われるべきものである、
しかし、人身事故の補償金を家族からもらっておきながら、自分たちの私腹を肥やす形になり、それこそ、昔であれば、
「あたり屋」
のごとくと言ってもいいだろう。
当たり屋というのは、
「わざと交通事故に遭い、保険から入院費が出る」
ということで、
「入院が長引けば長引くほど、儲かる」
という仕掛けになっていることから、
「当たり屋」
という人が、命がけで出てきたりするのだ。
それこそ、
「借金取りに借金を払うため」
ということで、
「当たり屋」
であったり、
「臓器売買」
などという、命を懸けたことでもしないと、結局は自殺することになるということである。
ということは、
「自殺をすることを思えば、命がけで、
「当たり屋」
であったり、
「臓器移植」
というもので金を得るということでもしないと、どうしようもないだろう。
当たり屋とは、事情がまったく違っているが、
「違法に金銭を得る」
ということであれば、
「鉄道会社が、人身事故で、保証金をもらう」
ということと変わりはないといえるだろう。
もし、鉄道会社が、
「災害保険にでも入っていれば、それこそ、丸儲け」
ということではないか。
もっとも、法律で、
「災害保険に入っていれば、保証金を請求できない」
というのがあれば別だが、逆に、そんな法律の文章はないだろうから、それこそ、
「丸儲け」
と言ってもいいだろう。
ちなみに、
「生活保護」
というものが、
「最低限の生活ができるための保証金」
ということで、実に、
「シビアに調べられる」
ということであるが、実際に、
「生活保護をもらっている人は、家族の補助があったりすれば、その分の支給額が減らされる」
ということである。
それは、もちろん、
「不正受給」
というものがあるからの措置ということになるのだろうが、考えれば、
「政府がしっかり対策を取っていれば、生活保護をもらわなければいけない人が増えることはないのだ」
つまり、
「政府役人の、贈収賄事件など、本来であれば、国民によってえらばれたということに胡坐を掻いて、結局、政府は、甘い汁を吸っている」
ということなので、本当は、
「そんな政府役人を正さなければいけない」
ということで、今の政府はまさにそれで、
「派閥と政治と金」
というトライアングルが、毎日のように報道され、
「平和ボケ」
なのか、それとも、
「政治家が舐めているのか?」
それとも、
「政治に興味がない」
という国民も、その責任の一端はあるだろう。
しかし、それ以上に、
「今のソーリが、辞めない」
というのは、
「信任がある」
というわけではなく、ただ単に、
「他にできる人がいない」
というわけで、今のソーリが決して、できているわけではない。
下手をすると、
「最低限の政治家の仕事すらできていない」
と言ってもいい、
なぜなら、
「世界的なパンデミック」
などの、後遺症ともいうべき状態で、国民が困窮しているのに、
「我が国とはまったく関係のない」
という、
「戦争をしている片方の国に対して、無償で金をばらまいている」
という状態だった。
そもそも、日本は、
「平和主義憲法」
があることから、
「戦争が起これば、その立場というのは決まっている」
と言っていいだろう。
「一早く、中立を表明し、どちらにも加担しない」
というのが、日本という国の立場なのだ。
確かに、
「表向きには、侵略された国」
ということになっている地域ではあるが、大統領が積極的に、諸外国に、自分たちが、
「侵略された」
ということを宣伝し、しかも、
「相手国が、民主主義国の敵対国」
という立場で、
「敵の敵は味方:
という論理から、
「金の無心」
というものをしているわけである。
そんな国に対して、日本が、
「お金を出す」
ということは、
「人道上」
作品名:自殺菌がかかわる犯罪 作家名:森本晃次