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自殺菌がかかわる犯罪

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 ということを名目にはしているが、冷静に考えれば、
「その金で、戦争している国は、武器弾薬を買う」
 というわけである。
 そんなことは分かり切っているわけで、それでも、戦争が始まった時、
「平和ボケ国民である日本人の一定数」
 というのは、
「人道的な支援なのだから仕方がない」
 と言って、政府のやり方に文句を言わなかった。
 しかし、その後、戦争の影響で、物価高騰の影響を国民生活の上で、もろに受けたことで、裏を返したように、
「日本人に金を配らずに、何で、関係のない国に金をやるんだ」
 と言い出した。
 本当は理屈が違うのだ。
 それを分からずに、
「自分たちが困ったから」
 ということで、裏を返して、政府を攻撃するというのは、まさに、
「日本人というのが、平和ボケの民族だ」
 ということになるのだろう。
 それを考えると、
「今のソーリは、外国に金を配ることで、日本という国の代表である自分の立場を、世界で立証しよう」
 とでもいう考えなのだろう。
 しかも、そのために、
「増税する」
 というのだから、ひどいものである。
 そもそも、
「国家予算」
 というのは、我々国民が、憲法で義務とされた納税によって出資したものではないか。
 政治家というのは、自分たちで、金を稼ぐわけではなく、
「我々の生活を保障する」
 ということで、収めた税金を給料として支払われるわけだ。
 しかも、
「誰よりも高い額」
 と言ってもいいだろう。
 国民の納税が義務ということであれば、
「政治家が国民を代表して政治を行うというのも、政治家の義務のはずである」
 しかし、実際には、
「総収賄」
 であったり、
「派閥による横流し」
 であったり、江戸時代から続く、悪代官のやり方が、今の政府をそのまま表していると言ってもいいだろう。
 そういう意味で、
「水戸黄門や、遠山の金さんの現代版と言われる人が、一人くらいは出てこないか?」
 ということになり、
「昔から時代劇が、安定の視聴率を誇っていた」
 ということも分かるというものである。
 要するに、政治家がそんな状態なので、無数にある企業で、まっとうな営業を営んでいるというのは、
「本当に微々たるものだ」
 と言ってもいいだろう。
 人身事故というものが、
「自殺によるものだ」
 ということであれば、確かに、交通機関を恨むのは、お門違いと言ってもいいだろう。しかし、だからと言って、何の策も講じないというのは、違うというわけで、特に、
「人身事故だから仕方がない」
 と言って、まるで他人事のように言って、愛想笑いをするというのは、あまりにもひどいというものであろう。
 客の方も、
「クレームをつけるのは、お門違いだとは分かっているけど、こっちは、金を払って利用しているわけで、金を払っている以上、責任ってものが存在する。しかも、決まった時間に乗客を目的地まで安全に運ぶというのが、やつらの仕事じゃないか。それを、他人事でもあるかのような態度を取られると、俺たちは、どうすればいいんだ?」
 ということになるわけである。
 だから、ついつい声を荒げるわけで、本当に憎いわけではない。
 何といっても、電車を利用して移動することで、
「目的地で、それぞれの用事があり、それを行うための、移動手段」
 ということなのだから、移動した先で、
「乗客の数だけ、用事というものが存在する」
 ということになる。
「ただ、人に遭う」
 というだけの人もいるだろう。
 しかし、その相手が、取引先の相手ということで、
「遅刻は許されない」
 という場合だってある。
 また、その日、
「入学試験」
 という人もいるだろう。
 その時は、

「遅延証明書」
 であったり、試験を行う主催者の方で、
「人身事故などの場合は、たくさんんお受験生が被害を被っているはず」
 ということで、
「追試などという善後策が取られる」
 ということになるだろう。
 しかし、中にはどうしようもない人だっているだろう。
 たとえば、
「親の死に目に会えなかった」
 という人。
 その人は、一生後悔として残るかも知れない。
「国鉄を信じなければよかった」
 と思い、
「他の交通機関を用いればよかった」
 と考えるかも知れない。
 しかし、もし、これが、ラッシュの時間帯なのであって、自分が、どこかのターミナルにいたとすれば、
「タクシーを使おう」
 と考えるかも知れない。
 しかし、
「考えることは皆一緒」
 ということで、そういう時に限って、タクシー乗り場は長蛇の列ということになっていて、とても、乗るまでに、相当な時間が掛かるということだろう。
 それも、これも、
「人身事故さえなければ」
 ということになる。
 そうなると、
「一体だれを恨めばいいのか?」
 ということになる。
 本来であれば、一番恨むべきは、
「自殺した人」
 ということになるだろう。
 しかし、自殺する人も、
「やむに已まれず」
 ということになるのだろうが、実際に自殺する人を恨んだとしても、
「自分には関係ない」
 と言っても、どうしても、
「電車を止めた」
 ということでの賠償金というものが、のしかかってくるということを考えると、むげに恨むこともできない。
 ただ、一つ言えるのは、
「死ぬんだったら、誰にも迷惑を掛けないように、誰もいないところに行って、死んでくれ」
 ということくらいであろう。
 鉄道を使うと、その利用者全員、そして、残された家族に大いなる迷惑がかかるということになる。そういう意味では、
「鉄道自殺」
 というのは、本来であれば、
「一番自殺の方法としては、野暮である」
 と言ってもいいだろう。
 また、人に迷惑をかけるという意味では、最近の中であった、不幸な自殺事件として、
「都心部のビルの上から飛び降り自殺をした」
 というものであった。
 これも、ちょっと考えれば、
「下にはたくさんの通行人がいる」
 ということが分かるというもので、
「飛び降りれば、そのうちの誰か、少なくとも数人を巻き込むことになる
 ということが分かるというものである。
 それなのに、なぜ、飛び降り自殺をするのか?
 邪推ではあるが、
「人がクッションになって、少しでも痛い思いをせずに死ねる」
 とでも思ったのだろうか?
 もし、そうだとすれば、
「すでに、思考能力がマヒしているのだろう」
 ということになる、
 もし、人がクッションとなって、死ねない場合だってあるだろう。そうなってしまうと、少なくとも飛び降りたのだから、無事に済むわけにはいかず、少なくとも、
「重症」
 ということになるだろう。
 しかも、死にきれなかった場合、後遺症が残ったり、
「植物人間」
 ということになってしまうとも限らない。
 そうなると、一番悲惨なのは、その家族や、主治医などである。
 家族は本当にたまらない。
「回復の可能性が、極薄なのに、生命維持装置で、生かし続けなければいけない」
 ということで、その生命維持装置の使用料が莫大な金額であったり、しかも、
「回復の見込みもないのに、いつまでしなければいけないのか?」
作品名:自殺菌がかかわる犯罪 作家名:森本晃次