自殺菌がかかわる犯罪
と言われるかも知れない。
だが、鉄道の場合、
「どうして私鉄が存在するのか?」
というその理由としては、
「国鉄というのは、最初は私鉄だった」
ということである。
それぞれの地域に。それぞれ、鉄道会社ができて、地域ごとに運営していたので。明治の当初は、
「すべてが私鉄だった」
ということである。
しかし、鉄道が全国を結ぶということになった時、鉄道の利権を国が買い上げ、
「国営鉄道」
ということで、整備されたのであった。
もちろん、それ以外の鉄道は、潰すというわけにもいかず。
「私鉄として残った」
ということである。
だから、政府には、
「鉄道省」
というものができて、
「国鉄は省庁管理」
ということになったのだ。
だから、時代によっては、昭和の頃には、
「国電」
と呼ばれていたものが、
「省線電車」
という言われ方をしていた時代があったという。
戦後、政府が新政府に変わった時、
「鉄道省」
というのはなくなったが、
「国土交通省」
ということで、国鉄を管理するところができて、昭和の終わりまで存続した国鉄を管理していたのであった。
だから、鉄道の治安を守るという今の、
「鉄道警察隊」
というのは、国鉄時代には、
「鉄道公安官」
という形で呼ばれていたのだ。
あくまでも、
「治安を守る」
ということで言えば。その名称は、
「いかにも」
と言ってもいいだろう。
国鉄時代というのは、今から考えれば、
「信じられない」
というような状況だったりした。
「さすが、国営」
というくらいに贅沢なことをしていたりもした。
何といっても、その一番の例として、
「国鉄職員というのは、全員に、無料パスというものが支給されていた」
ということであった。
確か、家族も有効だったということであったが、国鉄がなくなってから、そろそろ40年が経とうとしていることで、ハッキリとした記憶も記録もないだろうが、実際にあったのは間違いないことであった。
他にも、
「国鉄職員は特権階級」
と言っていいほどのものがあり、それが国会などで社会問題にもなり、結局、
「三公社は民営化する」
ということになったのだ。
その一番の理由は、やはり、
「国鉄の赤字問題」
ということであっただろう。
「このままであれば、100年以上経っても、その借金を解消できない」
ということで、民間に借金ごと、押し付けるということになり、国鉄を含めた、
「三公社」
というものは、
「株式会社」
として生まれ変わったということだ。
私鉄と同じ
「株式会社」
ということであるにも関わら、いまだに、
「JR以外の私鉄」
のことを、
「有力私鉄」
などという言い方をして、
「JR」
と区別しているのは、
「民営化はしたが、国鉄は特別だ」
ということを言っているのと同じではないだろうか。
それは、
「国鉄というものの存在が大きかったからだ」
ということなのか、それとも、
「いまだに、国鉄時代の力がある」
ということなのか、それとも、
「国鉄は民営化はしたが、他の私鉄とは違う何か組織的に特別だ」
というものがあるからなのか?
ということで、微妙に解釈は違っているが、
「国鉄は、今でも生き残っている」
ということに証明ではないかと思えるのだった。
だから、今でも。
「国鉄根性が消えていない」
ということで、JRというものを、国鉄とみなして毛嫌いしている人は一定数いると言ってもいいだろう。
しかし、国鉄が存在したのは、
「昭和時代」
までであった。
「平成になるか、ならないか」
というギリギリくらいの時期に民営化したことで、今の若い人は、
「国鉄という言葉は知っている」
という程度である。
ちなみに、
「電電公社」
などは、なんとなく、
「電話に関するところ」
ということで分かるかも知れないが、
「専売公社」
に至っては、
「何なんだ、一体?」
という程度のものである。
特に今の時代のように、
「目の前でタバコを吸っている」
という人がほとんどいなくなったことで、
「タバコってなんだ?」
と言われる時代が近づいているということで、
「昔は、電車の中や、会社の事務所でタバコを堂々と吸っていた時代があった」
と言っても、
「そんなバカな」
という人が多いことだろう。
それを考えると、
「国鉄もそのうちに、誰も知らない」
という時代になるんだろうなと思える。
それでも、
「昔、JRが国営だった」
と言ってもピンとこない人も多いのも事実だ。
しかも、
「私鉄は私鉄として存在しているのに、どうしてJRだけは、私鉄の仲間ではないのか?」
ということを不思議に感じないという人、さらには
「私鉄という言葉、何に対して私鉄なのか?」
ということに疑問を持たないというのも、今の若い人が信じられないと言ってもいいだろう。
「確かに、私鉄がある以上。公鉄という言葉があってしかるべきではないか?」
ということである。
私立というものがあれば、その対象物があるのは当たり前のことで、学校などで考えれば、
「私立」
というものがあれば、
「公立」
「国立」
というものが存在する。
そうなると、
「昔は、公立や国立があったが、それがなくなって、その名残で、私立という言葉だけが残った」
ということになるはずだ。
だったら、
「公鉄であったり、国鉄であったりというものがあったはずだ」
ということになり。
「ああ、国鉄というものがあったということを聴いたことがある」
ということで、
「なるほど、国鉄に対しての私鉄だ」
ということになるわけだ。
だからそこで、
「じゃあ、昔の国鉄が今のJRだ」
ということで納得できるということになるのだろうが、それで本当にいいのだろうか?「というのは、
「国鉄の累積赤字を解消する」
という、政府が
「自分たちのツケを、民間におしつけた」
という黒歴史である、
「国鉄民営化」
というものが、
「あからさまになる可能性がある」
ということを分かっていないということになる。
これが、
「後から考えれば」
ということになるのかも知れないが、それにしても、
「お粗末だ」
と言ってもいいだろう。
そんな国鉄時代から、JRという新しい会社に生まれ変わった。
元々、明治初期は、
「それぞれの地方に、それぞれの産業に似合ったような鉄道の線が敷かれ、それぞれの土地だけを皮切りにして、地元の鉄道ということで、独立していた」
というものを、
「全国を鉄道で結ぶ」
ということでの、一種の、
「インフラの整備」
ということが行われ、その一環ということで、
「国有鉄道の建設」
ということになったのだ。
そんな明治時代の古い歴史までは、なかなか知ることはできないが、
「昔はすべてが私鉄だった」
ということを、普通に考えれば分かるだろうが、
「その途中に、国鉄が存在していた」
ということを後から知った人の中には、
「国鉄というものが、最初からあったのだ」
と言われると、
「はい、そうですか」
作品名:自殺菌がかかわる犯罪 作家名:森本晃次