自殺菌がかかわる犯罪
「薬が開発されてから、その治験を重ねなければいけないことから、数年は、治験に要すると言われているのに、パンデミック発生から、突貫にての、緊急開発ということで、一年足らずで、開発されたワクチンを、ほとんど、治験なしということで、世界中にばらまき、そこで、
「予防のワクチン」
として、接種されることになった。
「強制はない」
と言いながら、
「ワクチンの接種照明がなければ、何もできない」
という状況に追い込むのだから、当然、
「反強制」
と言ってもいいだろう、
しかも、政府は、国民にできるだけ接種を促すために、
「何かあった時は、政府がその責任を負います」
と言って、接種させたのだ。
そして、実際に、
「ワクチン接種のために、死亡した」
ということが、その前後の状況から明らかになっているにも関わらず、
「因果関係が認められない」
などということを盾に、その保障を拒否したのだった。
確かに、死亡した人皆に保障していれば、お金がいくらあっても足りないということになる。
そもそも、ワクチン代だって、国民はただだし、治療費もただということで、そのお金は、政府がもつということになるのだ。
それを考えれば、
「保障まで、政府に押し付けられると、政府の金がなくなってしまう」
ということになるだろう。
政府としても、
「ワクチンが原因で死ぬ人というのを、あらかじめ、何人ということで予想をしていることだろう」
その人間、全員にいちいち保障していれば、お金がいくらあっても足りないということになるのは当たり前のことで、政府には容認できないといえる。
確かに、
「政府が破綻してしまうと、国民は混乱するだけで、誰も何もしてくれない」
ということから、
「政府の破綻は、国民の滅亡を意味する」
と言ってもいいだろう。
だから、政府の破綻は、
「絶対に阻止しないといけない」
ということになるに違いない。
それを考えると、
「政府を破綻させてはいけない」
というのが、一番の基礎ということになり、それを盾に、政府は生き残りをかけるのだろう。
しかし、だからと言って、
「国民の一部の人を犠牲にしてまで、国家を助ける」
ということであるから、国家はそれにこたえる必要がある。
完璧な政治手腕を示してもらわないと、
「破綻させないということを最優先にする」
という理屈が成り立たないということになる。
実際に。
「国民のための政府であるはずなのに、今の政府は、本当に、国民のためになっているのだろうか?」
という、当たり前のことが問われるのだ。
特に、
「世界的なパンデミック」
の最中は、その正体すら、世界的に分かっていなかったのだから、余計に大変だったと言ってもいいだろう。
しかし、いくら
「緊急事態だ」
ということであったとしても、ワクチンを一年やそこらで開発し、
「治験らしいことを、ほとんどすることなく、世界で配布し、各国政府の主導の元、速やかなる接種が行われた」
ということを考えると、
「何かおかしい」
と思う人もいるだろう。
というのは、
「最初から、パンデミックの正体を知っていて、その時、つまりは、パンデミックが起こる前から、その開発および、治験が行われていたのではないか?」
という恐ろしい発想である。
「世界的なパンデミック」
というものが、あくまでも、
「不可抗力」
であったのかも知れない。
しかし、いきなり原因も分からずに、急に飛び出してきたわけではないだろう。
それを思えば、
「いろいろと不可解なこと」
というのも説明がつくというものだろう。
だが、これはあくまでも想像というよりも、妄想に近いもので、そんな
「世界的なパンデミック」
というものも、
「すでに過去のこと」
ということで、今では、
「歴史の一ページ」
ということなのかも知れない。
ただ、インフルエンザというものの猛威は毎年のように起こっていて、
「冬場における。季節性の伝染病」
ということで、国民とは、
「切っても切り離せない」
という病気だということであった。
そんな病気も、あくまでも、
「季節性」
すでに、
「卒業シーズン」
という頃には、ほとんど収まってきていて、
「花粉所さえなければ、いい時期なんだがな」
ということになるだろう。
しかし、実際に、猛威を奮っていた時期というのは、受験生にとっては、本番ともいえる、入試期間中だったりする。
当然のように、その時期、気を付けていたとしても、インフルエンザに罹ってしまい、せっかく準備していた受験を受けることもできず、
「浪人生」
ということになる人も、かなりいることだろう。
いくら気を付けていても、勉強を優先するあまり、睡眠不足になったりして、体力を落としてしまったことで、抵抗力を低下させ、それが、
「インフルエンザに罹る」
ということになったという人も多いことだろう。
人によっては、
「自分をコントロールできていない」
という厳しい意見をいう人もいるだろうが、
「試験に合格するためを目指して勉学に勤しんでいた」
というわけなので、それを、
「自己管理がなっていない」
と言われると、それこそ、
「身も蓋もない」
ということになるのであろう。
厳しい言い方をすれば、
「自己管理ができないほど勉強しないと合格できないところを狙うというのは、それだけ、自分というものを分かっていない」
という人もいるだろうが、そんなことを言ってしまうと、
「少しでも上を目指そうとして頑張っている人のやる気をそぐ」
ということになりかねない。
実際に、
「いい悪い」
という問題ではなく、
「自己分析ということも、大きな受験ということへの挑戦には、大切なことだ」
ということになるのだろう。
受験というものだけに限ったことではない。
それは、会社員であれば、
「出世のチャンス」
などというのは、学生でいうところの、
「受験のようなもの」
といえるもので、
しかも、それが、その後の運命を決めるということから、
「受験と並び、大きな問題」
ということである。
それが、
「上司から与えられた命令」
というものであったり、
「本人が、会社のために、自分から考えて行動する」
ということであったりもするだろう。
それらを考えると、
「社会人というものを知らない学生から見れば、受験というものがすべてだということになるのだろう」
ということであった。
その季節が、ちょうど、
「学生であれば、受験の時期」
ということになり、
「社会人であっても、三月で、ちょうど期が終わるということで、上司が部下を採点する」
という時期になることであろう。
だから、年が明けると、何かとあわただしくなる。
そのため、時間というものがあっという間に過ぎるということで、
「いく。逃げる、去る」
などということで、
「年末から、年度末にかけては、実際には、閑散期というイメージが大きいが、ある一定の人たちにとっては、あわただしい日々」
と言ってもいいだろう。
作品名:自殺菌がかかわる犯罪 作家名:森本晃次