自殺菌がかかわる犯罪
などということは、それこそ、夢物語でしかないということになるのであった。
それが、
「夢というものの正体」
であり、さらに、
「潜在意識」
というものの正体だと感じると、
「夢と潜在意識は切っても切り離せないものであり、潜在意識は、夢なくして、存在しえないものだ」
といえるのではないかと考えるのであった。
そう思って、医者の話を聴いている中で、川崎という男との、
「初対面」
を果たすことになるのだが、果たして、彼は確かに記憶を失っているようだった。
その中で彼が何度か繰り返していうのが、
「高いところから飛び降りた」
という意識を持っているようだ。
「高いところから飛び降りた?」
確かに、ホームから線路に飛び込もうというのは、
「少しだけだが、高いところであることに違いない」
といえるだろうが、どうも違うようだ。
「高いところから飛び込むということは、電車の飛び込むのと、どっちが怖いのだろう?」
ということを刑事は考えていた。
実際に、
「列車に飛び込もうと考えていたとすれば、それは、こっちの方が恐怖心を少しでも和らげられる」
と感じたからであろう。
「高層ビルから飛び降りるという場合は少しでも、死ぬまでに時間が掛かるということで、列車であれば、あっという間に死ねる」
ということである。
その
「微妙な長さが、まるで、地獄の苦しみと感じたのだということで、列車への飛び込みを決めた」
ということであれば、分かるという。
しかし、
「自殺というのは、他にもたくさんあるはずだ」
ということで、特に借金を苦にしての自殺ということへのイメージであれば、
「首つり自殺」
ということに相場が決まっているといえるのではないか?
敢えて、
「首つり自殺」
を考えなかったというのは、ひょっとすると、列車に飛び込むということは、衝動的な行動で、最初から計画性があったということではなかったのではないか?
と考えられる。
そして、衝動的なことであれば、やはり、
「飛び込み」
というのが、一番考えられるということで、
「その次は?」
ということであれば、考えられることとして、
「高いところからの、飛び降り自殺」
と考えれば、
「電車に飛び込むということが衝動的だった」
と考えれば分からなくもない。
今度の自殺が、
「衝動的なこと」
であり、そうなると、
「計画性がないということだということだ」
とすれば、方法はやはり、
「飛び込み自殺」
か、
「飛び降りしか考えられない」
と言ってもいいだろう。
川崎という男が、
「意識は取り戻したが、記憶を失っている」
ということで、今の状態でいろいろ考えると、
「自殺しか考えられない」
といえるであろう。
「事故という可能性が消えたわけではないが、警察としての捜査の中で、事件性はない」
ということであれば、
「そろそろ、引き際だと言ってもいいだろう。
ここから先は、
「鉄道会社」
であったり、
「自治体による、善後策として、何かの対策を講じられることを願うというだけのことだった」
ということである。
しかし、それから数日もしないうちに、また、自殺者が出た。
今度の自殺者は、
「ビルから飛び降りた」
ということで、この間まで、川崎という男の、
「自殺」
ということの、
「裏を取っていた」
ということで、気にしていた
「飛び降り自殺だった」
ということが、ただの偶然なのかと思えば少し怖くなった。
その怖さの正体というのが、
「自殺菌と呼ばれるもの」
ということであり、
「自殺菌というものが、空気感染するかどうか分からないが、偶然としては、あまりにも近い状態」
ということであり、
「これを連鎖と呼ばずして、何と呼ぶか?」
ということであった。
この男は、年齢的に、まだ二十歳前後くらいの若い男だった。
川崎という男は、40代だということであるので、年齢的には離れている。
川崎は、
「自殺をしなければいけない」
というような、切羽詰まった理由に関しては、聞き込みの中では出てこなかった。
ただ、精神疾患を患っていて、それが、
「双極性障害」
ということで、医者の話では。
「躁状態であれば、衝動的に自殺をするということも考えられないわけではない」
ということであったが、
「その可能性は、そこまではない」
という話でもあった。
しかし、
「自殺をするということが、自殺菌によるものだ」
というのを、医者から、
「彼もその考えを持っているようでしたよ」
と言っていた。
そして、医者がその後に言っていたのは、
「これは都市伝説のたぐいかも知れませんが、自殺菌の存在を信じることのできる人間ほど、自殺の可能性が高いといえるかも知れません」
と、それまでの医者の言い方に比べれば、
「断言しているのではないか?」
と思えるほどであったのだ。
自殺をするということに、自殺菌がかかわっているという場合は、衝動的でしかない」
といえる。
と医者は考えていた。
それを聴いた時、刑事が考えたのが、
「なるほど、鉄道自殺が後を絶えないのは、自殺菌の影響か?」
と考えたのだ。
というのも、
「鉄道自殺というのは、自殺をすることでのリスクを考えると、計画的な自殺としては、考えにくいことだ」
といえるだろう。
前述のような理由で、
「自殺であろうが、死んでしまったからと言って、その賠償金は家族に至る」
ということで、自殺をする方法としての、理由としては、
「一番愚かなのかもしれない」
といえる。
確かに、
「賠償金を課す」
ということは、自殺者であっても、その家族であっても、実に理不尽なことだといえるだろう。
その自殺をする人が、
「どんな理由で自殺を考えたのか?」
ということはまったく関係ない。
「電車を止めた」
ということがすべてであり、
「理由のいかんに関係なく、電車を止めれば、そこに賠償金というものは絶対に存在する」
ということになるのだ。
その金額が何によって決まるというのか?
「理由に関係ない」
ということで、
「情状酌量」
というものがないのだとすれば、そこで考えられることは一つしかない。
それは、
「被害を受けた鉄道会社の金額に相当するもの」
ということである。
例えば、
「電車を一時間止めたのか、三時間止めたのかということ」
と考えれば、単純計算したとして。
「前者よりも、後者は三倍の賠償金」
ということになるという。
そうなると、
「旧国鉄」
のように、
「事故の処理をダラダラしてしまうと、その分、賠償金も余計にかかる」
ということで、
「それじゃあ、国鉄がダラダラするのは、たくさんの賠償金をふんだくろうとするためなのか?」
と考えれば、
「ありえない」
という考えと裏腹に、
「国鉄なら十分にあり得ることだ」
といえるだろう。
特に、今は、国営ではなく、民営化されているのだ。
根性は。国鉄時代と同じかも知れないが、今は営利を目的としているので、
作品名:自殺菌がかかわる犯罪 作家名:森本晃次