自殺菌がかかわる犯罪
ということであった。
ただ、自殺をするような追い詰められていることを、
「軽々しく、人に話すなどということはしない」
という人もいるだろう。
いや、実際にはそういう人の方が多いかも知れない。
実際に、
「自殺を思い立った時、止められたりして、決意が鈍るというもは困ったものだ」
という考えもあれば、逆に、
「いざとなれば、本当は止めてほしい」
ということで、
「自分なりの伏線を敷いている」
という考えでいる人もいるかも知れない。
それを考えると、
「被害者が、自殺をしようとしたが、その原因をまわりから知ることはできない」
というのも、仕方がないことなのかも知れない。
かと言って、
「命に別条がない」
という人のプライバシーをどこまで警察が踏み込めるか?
ということであるが、少なくとも、自殺を図り、
「たくさんの人に迷惑をかけた」
ということであったり、
「今後、似たような自殺者を出さないために、自殺をする人の心理状態を解明する」
ということに尽力するということは、大切なことだといえるのではないだろうか?
それこそが、鉄道会社においての、
「再発防止」
というのが、まったく考えられていないということと比較すれば、警察の捜査は、
「いかがなものか?」
ということになるだろう。
警察が、川崎という男を捜査すると、彼は、以前にも自殺未遂をしたことがある。
そして、調べれば調べるほど、
「あの男は、自殺未遂の常習犯ではないか?」
という疑念が生まれてきた。
それを聴いた時感じたのは、
「精神疾患というものを持っているのではないか?」
ということであった。
若い女の子が、よくリスカなどと言って、手首を切っての自殺未遂を繰り返すという人がいるが、そういう人の多くは、精神疾患であったり、
「自殺未遂を繰り返すことで、自分の存在を主張しようと考える人もいたりする」
ということをよく聞いた。
だから手にはためらい傷が、まるで、昔の背比べのような、
「柱の傷」
であるかのように残っているというものであった。
もちろん、それとこれとを、単純比較できるものではないだろう。
「自殺未遂を繰り返している」
と言っても、その具体的な方法までは、正直分からない。
しかも、今回は、
「鉄道への飛び込み」
ということだ。
死ななかったのは、
「運がよかった」
というべきであろうか。
ただ、これを単純に、
「運がよかった」
というべきであろうか。
少なくとも電車を止めたという事実が残っている以上、賠償金の問題などがのしかかってくるのは間違いない。
「そもそも、彼が自殺を考えた理由が何か?」
ということである。
自殺を思い切った理由として、
「借金だ」
ということであれば、死ねなかったことで、その借金がまたのしかかってくるということで、
「何の解決にもなっていない」
というだけでなく、言い方としては、問題があるに違いないが、
「時間を無駄に使ってしまった」
というのは、無理もないことであり、しかも、お金の問題として、さらに、その上に、
「賠償金」
という問題が上乗せされることになる。
しかも、鉄道会社からの賠償金というものは、まったく容赦のないというものだ。
何といっても、
「鉄道法で決まっていることで、完全に合法である」
それだけに、その徴収には、情け容赦がない。
だから、
「もし、死んでいれば、その責めは家族に及ぶ」
というもので、それこそ、
「やくざ顔負け」
ということになるだろう。
金銭的にもかなりのものであることは間違いない。
それを考えると、今でこそ意識不明であるが、その意識が戻った時、我に返ると、それまでの自分よりもさらに、のっぴきならないところまで追い込まれていることに気づき、愕然としてしまうことであろう。
川崎の今回の自殺の原因は、今のところ、調べれば調べるほど、分からないと言ってもいい。
確かに、生きていると、
「悩みの一つや二つはあり、中には、自殺したくなるようなこともあるという人も結構いるだろう」
しかし、実際に自殺をしないのは、
「今が最悪な状態で、それを乗り越えると、きっと、光が見えてくる」
ということを感じる人もいる。
ということであったり。
「精神的に、うつ状態に陥っている時、何を考えての、悪い方にしか考えられないということで、思い切った」
という人もいるだろう。
いや、
「躁鬱症を患ってしまい、逆に躁状態の時に、自殺を思い切ってしまった」
と考える人もいるようで、その理由というのも、精神内科の先生から言わせれば分かるということであった。
「躁鬱症と呼ばれたのは昔のことで、今では、双極性障害と言われることが多い」
という。
「この双極性障害というのは、うつ状態と躁状態を、定期的に繰り返しているというもので、一定期間、うつ状態であれば、ある時期から、うつ状態を抜けて躁状態に入る。今度は、逆に躁状態を一定期間続けると、今度は鬱になってしまう」
ということで、要するに、
「普通の状態というのが、極端に少なく、普通の状態はないと言ってもいいくらいになる」
というのが、双極性障害というものであった。
うつ状態というのは、
「何を考えても悪い方にしか考えられないので、極度に怖がってしまい、内にこもることが多い」
それとは別に、躁状態というのは、
「何を考えても、いい方に考えてしまい、事態がどうであれ、怖いもの知らずというような状態になる」
ということであった。
だから、一見、
「病気は治った」
と勘違いしてしまう場合がえてしてあると言ってもいいだろう。
だから、医者から処方された薬を飲むのを、自分の勝手な判断で辞めてしまったりするというのだ。
しかし、この、
「双極性障害」
というのは、
「自然治癒」
ということは、ほとんどないという。
「脳の病気だ」
ということで、精神科医のいうことを充実に聞かないといけない病気である、
医者が処方してくれた薬を辞めてしまうと、どんどん病気が悪化していき、どうなるか分からないということになるということであった。
しかも、
「躁状態というのは、物事をいい方にばかり考えようとしてしまう」
ということで、
「なんでもできる」
と勘違いしてしまうのだ。
しかも、
「ちょっと前まで、考えれば考えるほど、悪い方にしか考えられなかっただけに、その反動で、余計に、なんでもできると感じるようになる」
ということであった。
だから、
「自殺をする」
という衝動に駆られる時というのは、
「うつ状態というよりも、むしろ、躁状態の時の方が多く、躁状態の時の方が、危ない」
と言われているということであった。
それが、
「双極性障害」
というものの、一つの特徴であり、だからこそ、
「衝動的に自殺をしてしまった」
ということがえてしてあるということであった。
そういう意味では、
「彼も双極性障害のような、精神疾患を病んでいたのではないか?」
という考えが成り立つ。
「タミフル」
のように、
「薬の副作用」
作品名:自殺菌がかかわる犯罪 作家名:森本晃次