自殺菌がかかわる犯罪
ということが分からないまま、その費用は、家族持ちということになるのだ。
そうなると、家族は悲惨なことになる。
これを、
「安楽死」
という形で、生命維持装置の機械を外すということは許されない。
家族であっても、それは、
「殺人罪」
となってしまうからだ。
これほど悲惨なことはないだろう。
これが、
「事故による、致し方のないこと」
というのであれば、しょうがないということもあるだろうが、
「自殺」
ということになると、家族も浮かばれないということになる、
それこそ、残された家族は、借金地獄に陥って、
「自殺の道を選ぶしかない」
ということになるだろう。
そう考えると、
「自殺というのは、連鎖性がある」
といえるのではないだろうか?
「乗り物による事故」
というのも、
「連鎖性がある」
と言われる。
「人身事故は数日続いたりする」
ということも、その連鎖性のせいであろうか?
それを考えると、
「人身事故が数日連鎖するということは、何か、曰くがあるのではないだろうか?」
と考えるのも、無理もないことで、そこで考えられることとして、あくまでも、
「都市伝説のたぐい」
ということであろうが、
「一種の自殺菌なるもの」
というものの存在が、クローズアップされるのではないかと思うのだ。
「本当に不思議なことに、自殺というのは、連鎖がある」
と言ってもいいだろう。
確かに、
「自分の身近で、自殺者が出ると、その人が何をもっての自殺を思ったのかというこも、死にたいと思った人の数だけあるのだろうが、何かの原因で、数人が同じような立場に追い込まれ、そのうちの一人が死んでしまった」
ということであれば、
「その人が死んだことで、楽になったんだ」
と考えたりして、
「俺も楽になりたい」
と思い、自殺を試みる人もいるだろう。
そういう場合は、人間の感情というものが、どうしても、楽な方に向かうということで、それこそ、
「一思いに」
と感じることでの連鎖も考えられる。
だが、
「まったく因果関係のない人が、身近で自殺として続くとすれば、それは、どこかで、死にたいという気持ちが、増幅するのかも知れない」
ということだ。
例えば、
「タミフル」
のように、
「副作用によって、自殺するつもりもないのに、フラフラと飛び降りてしまった」
ということだってある。
それと同じで、
「何かの副作用のようなものが働いて、死にたいという気持ちになるのかも知れない」
と考えると、伝染病のようなもので、その感染が、
「空気感染のようなものだ」
ということになれば、
「自殺をしたくなるという人が連鎖しても、まったく信憑性のないことだと言い切れるであろうか?」
それを考えると、それを、
「自殺菌」
という、
「ウイルスなのか、菌なのか」
あくまでも、都市伝説のたぐいということになるので、それを実際に信じる学者がいて、それを証明するということをしてくれないと、いつまで経っても、その信憑性は、
「都市伝説でしかない」
ということになるだろう。
記憶喪失
今回の人身事故で、電車に飛び降りた男は、名前を、
「川崎弥太郎」
という、
川崎という男の、今回の自殺に関しては、不思議なことが多かった。
実際には、死亡したわけではなく、
「電車に飛び込んだ割には、奇跡的に、命には別条がない」
という状態で、病院に担ぎ込まれた。
ただ、最初の数日は、何といっても、
「列車に飛び込んだ」
ということで、意識不明だったということもあり、意識が戻っても、集中治療室で、
「絶対安静」
そして、
「面会謝絶」
ということになったのだ。
確かに、その時の状況を見る限りは、
「自殺に間違いない」
という証言しか出てこなかった。
結構、ラッシュの時間の駅のホームから飛び降りるということで、
「大衆の面前」
ということだったのだ。
「フラフラと、ホームから線路に近づいていくので、危ないなと思った」
という人もいれば、
「何か寝ぼけているのか、それとも、薬物でもやっているのかって思いましたよ」
という人もいて、、その人がいうには、
「私には、自殺というよりも、薬物中毒だと思いました」
という証言から、病院に担ぎ込まれ、意識不明の状態の時に、
「身体から薬物反応が出るか?」
ということも調べられたが、
「この人には、その兆候はない」
ということになったのだ。
それを考えると、
「薬物による副作用での事故」
という可能性はないということであった。
しかも、
「大衆の面前」
ということで、
「誰かに突き飛ばされた」
ということもないということで、
「殺人という可能性もない」
ということになると、後考えられることとしては、
「自殺」
ということしかないのであった。
そこで、一応自殺として処理するにしても、その原因を捜査する必要があった。
「死んでいないのだから、意識が戻ってから本人に確認すればいい」
ということであったが、
「早く処理できることはしないといけない」
という警察の立場もあるだろうが、もし意識が戻ってから事情聴取ができて。
「理由が分かった」
ということであっても、
「裏を取る必要がある」
というのは当たり前のことなので、
「どうせ、捜査する必要があるということであれば、できることを先にしておけばいい」
ということになるのであった。
この場合に、
「被害者」
という言葉を使っていいのかどうか分からないが、一応、被害者という表現を使うが、今回の被害者の身元は、
「すぐに分かった」
ということである。
何といっても、あれだけの、
「大衆の面前での出来事」
ということで、その中に、彼を知っている人が一人くらいはいても不思議はないということなのだ。
確かに、数人が身元を知っていて、その人は、会社関係の人だったのだ。
それで、
「被害者についての聞き込み」
というのは、スムーズにすることができた。
ただ、数人からの聴取であり、その人たちが、それぞれに、
「被害者との人間関係」
というものを築いていたので、もし、その内容に差があったとしても、それは立場上の問題であり、
「誰が正しい」
ということはいえないだろう。
それだけに、事情聴取をする警察の方も、
「果たして、その立場と証言から、その信憑性というものを探る」
ということになるのであろう。
実際に、
「同じ部署で、一緒に仕事をしている」
という人のいれば、
「会社は同じだけど、まったく話もしたことがなくて、同じ会社の人が、同じ駅から電車に乗って通勤している」
というだけの情報しか得られないという人もいるのであった。
ただ、それぞれの立場の人から話を聞いた中において、
「彼が自殺をするところまで追い詰められているというような様子はない」
ということであったり、
「そんな話やウワサも聞いたことがない」
というような話しか聞くことができなかったのである。
つまり、
「被害者には、自殺をする動機というものが、見えてこない」
作品名:自殺菌がかかわる犯罪 作家名:森本晃次