死ぬまで消えない十字架
特に、夜間勤務の警らを、早朝まで行ってきて、
「もうすぐ終わりだ」
と思うと、安心感と、けだるさが複雑に襲い掛かってくることで、微妙な身体のだるさを醸しだしていて、
「もう、何も起こるなよ」
という願望がこみあげてくる時間帯であった。
そんな時間帯に限って、ろくでもないことは起こるというもので、
「余計なことを考えなければよかった」
と感じさせる。
その日も、案の定、なかなかボランティアの人が来てくれないので、自然と、延長警らということになってしまった。
「もう、夜が明けてきたではないか?」
と感じさせると、その日の朝の陽ざしはいつになく眩しさを感じさせることで、植物の葉っぱなどに夜露が残っているのを感じ、それが光っている眩しさを同時に感じると、お約束の、けだるさが襲ってきたのだった・
そんな時は、
「何となく。頭痛を感じさせる」
というもので、頭の痛さがどれほどのものか、本当は、
「頭痛薬を飲みたいくらい」
だと感じるのであった。
しかし、
「頭痛薬は空腹状態で飲むものではないしな」
ということで、飲むとすれば、勤務終了後に朝食を済ませてということになるだろう。
この城址公園から交番まで戻り、そこから着替えて食事にいくまで、警らを終えてから公園を出てから、一時間近くかかると見積もっている。
本当はなるべく早く終えたいと思っていた。
時間が遅くなればなるほど、出勤ラッシュの時間に引っかかり、朝食を食べる店も、人が増えてくるのは分かっているからだった。
田島巡査は、
「人込みは嫌いだ」
と思っていた。
子供の頃から、どうしても、
「孤立してきた」
ということもあり、
「孤独が自分の中で一番落ち着ける場所だ」
と感じていた。
孤立が孤独というものを呼ぶもので、
「孤立することで、孤立する」
というのは、他人が考えれば、
「かわいそうだ」
と言われるような感覚を覚えるのだが、田島巡査とすれば、
「孤立した場合、孤独の道を進むのは当たり前のことで、それをいかに、自然なことだ」
と自分で納得することができるか?
ということが問題だと思っていた。
孤独の道が悪いわけではなく、
「孤立してしまえば、孤独の道を行くのが当たり前のことだ」
と考えると、今度は、
「いかに孤独を自分のものだとして受け入れるか」
ということが問題であり、孤独を嫌悪しないように考えると、
「自分の時間をいかに有効に使うか?」
ということになるのだ。
「趣味を持つ」
などというのも、その一つであろう。
なかなか、
「趣味を持つ」
というのは、サラリーマンなどをやっていると、
「まるで他人事」
ということで、意識しない人が多いことだろう。
趣味にもいろいろあり、文字通り。
「人の数だけある」
と言ってもいいかも知れない。
もちろん、人の数だけあるわけではないが、同じ趣味でも楽しみ方が違うというものだ。
例えばスポーツなどで、団体競技にもなると、
「同じ趣味の人が集まって」
ということになるので、
「人の数だけ趣味がある」
というのは、いささかおかしな、矛盾した言い方だということになるかも知れない。
だが、実際には、同じスポーツでも、その役割分担は別々である。
野球などでは、守備の時には、それぞれにポジションというものが別れていて、さらに、攻撃井の際には、
「打順というものがあり、全員同時に同じシチュエーションで打席に立つ」
ということもできないのだ。
しかも、
「一番打てる人が、すべての打席に立つ」
などということができるわけではなく、
「チャンスだ」
という時に、下位打線だったりして、チャンスを棒に振るということだって往々にしてある、
「だからこそ、スポーツというのは楽しいんだ」
ということで、
「やる方も、見る方も楽しい」
といえるだろう。
その日は、
「何となく、帰りが遅くなるな」
という少し嫌な予感を感じさながら、朝の上りの時間を待っている状態だったのだ。
そんなことを思いながら、それでも、
「もうすぐ終わりだ」
ということを思いながら、時間的にも、惰性のタイミングに入りかかっていた時だった。
「本当だったら、ここで終わりくらいなんだけどな」
と思っている。
「公園全体のパトロール」
というのを、最後に一度していこうと考えたのだ。
一周すると、大体30分というところであろうが、一度割り切ってしまうと、ちょうどいいくらいのものだった。
距離的には、約三キロというくらいであろうか、割り切ってしまえば、苦痛でもなかったのだ。
割り切っていると、普段気にもしないところに意外と目が行ったりする。
それは、
「もうこの時間になると、何も出てくるはずはない」
という油断があったからではないだろうか。
公園の中を歩いていると、ぼーっとしているわりに、時間がなかなかすぎてくれないような気がしたのだ。
だから、普段は目が行かないところに目が行ってみたりして。それが、普段であれば、まるで、
「石ころ」
というもののように、何も感じないという効果を呼ぶと思うのだが、その時は、何か最初から予感のようなものがあったかのように、あとから思えば感じるのであった。
人もそろそろ散歩しに出てくることであったので、歩きながら、挨拶をしてくる人に、笑顔で挨拶を返していた。
実は、これが、警官になって、
「一番楽しい時間」
ということを感じさせられるのであった。
最初から、
「刑事になって、刑事ドラマのように、犯人を捕まえる」
というような仕事に就きたいなどと思っていたわけではない。
どちらかというと、今の交番勤務のように、
「街の人たちに役に立つ警察官を目指す」
ということであった。
何を気張って、犯罪の最前線にいて、危険を顧みず、市民の安全と、街の治安を守らなければいけないのだ?
と思っていたのだ。
確かに、刑事としての活躍は、
「せっかく警察官になったのだから」
と、若い頃には一度は夢見る。自分の職業に対しての希望というものがあるのであろうが、
「実際に、勤務に就くと、巡査のような仕事もあるんだ」
ということで。巡査の仕事が楽しいと思えることも多かった。
さすがに、昔のように、
「交番の前に立っていると、道を聴いてくる老人」
というようなシチュエーションはまずない。
何といっても、
「交番の数が減ってきていることと、人手不足から、パトロールに出かけた時は、交番の中が留守になる」
ということが当たり前のようにあることで、
「昔の派出所」
というようなものは、それこそ、
「どこかの山の中の過疎地の交番」
というところでくらいしかないだろう。
それも、今では、テレビドラマであるくらいで、なかなか見ることはできないと思えるのであった。
田島巡査が、パトロールを続けていると。
「キャー」
という叫び声が聞こえ、それは一瞬で朝の空気の中に消えていったようなl気がした。
「気のせいか?」
と思ったくらいの一瞬で、同時に、
「聞かなかったことにしたいくらいだ」
作品名:死ぬまで消えない十字架 作家名:森本晃次