死ぬまで消えない十字架
ということで、お互いに、損のないことということであった。
特に、
「城内の清掃であったり、治安というものに関しても、委員会のボランティアの人が、順次警備に回り。城内を管理していた。
もちろん、県としても、警察としても、治安という意味では、団体だけに任せておくわけにはいかず、若干、人数を割かなければならないが、それでも、かなり、人足を取られることはないということになるのだ。
夜になると、この辺りは、静かすぎるのだが、季節によっては、
「カップルが多い」
ということから、
「痴漢」
であったり、
「スリ」
などというのも現れるということで、警察も目を光らせていた。
だが、ボランティアとの絡みもあり、早朝は、ボランティアが、
「出てこれる人は全員」
ということで、清掃に当たることになっている。
だから、朝のパトロールは、警察の管轄外ということであった。
もちろん、何かあれば、直通の通報が、警察に入るようになっている。
この城址公園は、お濠のまわりが、ジョギングコースになっていて、城郭といえる惣構えの外は、人が結構いるのだが、大手門から中の、三の丸から内側は、めったに人が入ってくるところではなかった。
人が来るというと、
「桜の時期」
ということで、三月から、四月の頭くらいの数週間くらいは、花見ということで、早朝でも、人が一定数いるというものであったが、それでも、夜明け前ともなると、まず人がいない。
しかも、夜桜見物において、花見ともなれば、ごみがかなり散乱しているのは、これまでの覚悟の上であるが、なるほど、
「これは、ひどいものだ」
と目を覆いたくなることも、少なくはなかった。
こんなものを審査委員に見られると、なるほど、
「日本100名城」
などに選ばれようなど、おこがましいことなのかも知れない
と思うのだった。
だが、このような惨状は、他の、
「日本100名城」
であっても同じことであろう。
彼らの方でも、
「他の100名城のところに見られると恥ずかしい」
という思いがあるのは必定で、何といっても、
「100名城ともなれば規模が違う」
ということで、その荒れようもハンパではないだろう。
ただ、これも、言い訳できるくらいに大きなところであれば、いざ知らず、
「中途半端な規模のところで、ひどいというのは、市民の心構えが最初からひどい」
ということで、そうなると、
「俺たちボランティアが頑張るしかない」
ということだったのだ。
当然、
「ごみは持ち帰るように」
などという立て札を建てても同じこと、
何といっても、酒に酔っている連中には、何ができるわけでもない。
「俺たちがきれいにしたって、他の連中が荒らすだけだ」
とばかりに、昔の漫才師が言っていた言葉が思い出されるというもので、
「赤信号、皆で渡れば怖くない」
という、
「一種の集団意識の悪いところ」
というべきであろう。
そんな中で、
「有志のボランティア」
は、どんどん集まってくる。
最初は、数人から始めたものだったが、ここ数年の間に、数十人となり、その成果もだんだんと現れてきた。
特に地元のケーブルテレビのインタビューを皮切りに、最近では、民放の地元コーナーとして、彼らがレギュラー出演し、
「城址公園の近くにて、毎日朝と夕方に、天気予報を中継する」
ということで、その天気予報の中で、宣伝もさせてくれるということで、昨今の、
「お城人気」
と相まって、
「公園のボランティアに参加したい」
という人が増えてきたということであった。
それを思えば、
「地元の放送局の力も、まだまだ侮れない」
ということであった。
「県のような公務員に比べれば、地元法相局の、マスコミとしての力は、それこそ腐っても鯛」
ということであろう。
一時期、マスコミは、
「マスゴミ」
と言われ、世間から総すかんを食らっていた。
何といっても、
「風見鶏的な態度を取るところが多い」
ということは、昨今のいろいろな事情から分かるのであった。
特に、数年前に起こった、
「世界的なパンデミック」
というのは、そのひどさが、あまりあるほどだと言ってもいいだろう。
政府に踊らされ、世間のデマや誹謗中傷にも踊らされ、しかも、デマを自分たちで流すという体たらくであった。
それを知った政府は、どうすることもできずに、
「何とか自分たちの保身を」
と考えるだけで、本来であれば、
「この危機を政府が陣頭指揮を執って、混沌とした世の中を正す」
ということをしなければいけないのに、
「この時」
とばかりに、
「まるで、時代劇の悪代官のように、自分たちがいかに営利を貪るか?」
ということだけに賭けているということであった。
特に、世界的に何も分かっていない」
ということで、政府は、手探り状態であるが、逆にいえば、
「世界的に、何も分かっていないのだから、政策に失敗しても、自分たちが責められることはない」
と思っていて、たかをくくっていたかも知れない。
しかし、実際に蓋を開けてみると、本当に、
「やることなすことが、あまりにも後手後手に回っていて」
素人が見ても、
「誰がこんな情けないことをするんだ」
というようなお粗末なことしかできないというほどひどい政府であれば、救いようがないというわけだ。
実際に、政府がやった政策で、
「バレない」
とでも思ったのか、
「ある業者に不足しているものの手配をさせた」
ということであるが、実際にその製品は、ひどいもので、
「不良品による、返品の山だ」
ということになった。
しかも、良品であっても、小さすぎるなどの理由で、実際に利用価値のないものを作っていたということであった。
要するに、
「国家予算を、しっかり使わなければいいけないという。国民の命に係わるものを、原価の安い。しかも、政治家のお友達といえるような業者に作らせるということをするのだから、これほどひどいものはない」
ということであった。
特に、
「マスゴミというのは、こういう非常事態の政府には、目を光らせていることだろう」
ということで、実際に、
「デマを流す」
ということでは、あまり褒められたことではないが、
「政治家を見張る」
ということでは、役に立っているということで、ありがたいといってもいいだろう。
そんな政府において、このマスゴミ、それこそ、
「大同小異」
ということで、
「どちらもお互い様」
ということになるのであろう。
そういう意味では、その時くらいから、国民の中には、
「マスゴミは、利用できるなら、利用すればいい」
と思っている人も多かった。
それだけ、
「ひどいことをする連中ではなるが、利用価値はある」
というもので。もっといえば、
「利用するのは簡単」
と言ってもいい。
特に。
「特ダネ」
などという言葉をちらつかせれば、
「勝手に寄ってくるハイエナのような存在だ」
と言ってもいいだろう。
やつらを利用するのは、お城の保全委員会のようなボランティア組織にとっては、
「赤子の手をひねるも同様だ」
と言ってもいいだろう。
作品名:死ぬまで消えない十字架 作家名:森本晃次