死ぬまで消えない十字架
「その中で、現存天守と言われるのが、12あるわけだが、それが多いのか少ないのかというのは、判断が別れるところであろう」
ちなみに、現存天守と言われるのは、
「江戸時代以前に建てられた天守で、その天守が現存しているものをいう」
ということで。
「実際に最初に建てられた天守が残っていなければいけないということではない。だから、立て直された天守で実際に現存天守と呼ばれている城は、たしか、3つくらいはあったのではなかっただろうか?」
しかも。
「まったく違う形に生まれ変わっている」
という城もあり、そもそもの、
「現存天守」
という定義は、
「曖昧なものではないか?」
といえるのではないだろうか?
この街のお城は、現存天守のような史跡がたくさん残ったところではないし、天守の再建もされていない。しかも、地元に残る歴史書にも、天守があったのかどうか、八切ると示すものがあったわけではない。
ただ、天守台なるものはできていて、
「たぶん、建設予定はあったのだろう」
という話にはなっていた。
やはり、
「改易が恐ろしくて、天守を作るまでには至らなかったのだろう」
というのが、地元の研究家の話だということであった。
ただ、城郭としての設計は、公園という形で残っている。
「本丸から、二の丸、三の丸」
と、それぞれに仕切られた場所のさらに外壁には、石垣と水濠が残っている。
そのうちの一つには、大手門址というものがあり、その横には、櫓が設けてあり、そこから敵の侵入を阻むことができる仕掛けになっているようである。
大手門も、櫓も再建されたものということで、現存ではない分、どうしても、その価値に疑問はあるが、それでも、唯一現存として残っているのが、お堀から石垣の最上部にある、
「櫓と櫓を結ぶ塀のようになっているところに、鉄砲の狭間が、丸や、四角、三角形とそれぞれの形をして、一定の距離で並んでいる」
というのを見ると、
「いかにも、厳かな城郭だ」
と感じさせられるものであった。
実際に、この城址公園は、県が管轄の、
「県指定の重要文化財」
ということになっている。
だから、公園自体は、その整備は、県の税金によって賄われていることから、
「県民の憩いの場所」
ということで、整備も行われ、昨今の、
「お城ブーム」
というものにあやかってか、整備もかなり進んでいるということであった。
実際に、天守台の近くには、
「城郭ミュージアム」
というものができていて。城が存在したとされる。南北朝から、幕末までにかけての歴史を垣間見ることができるのであった。
しかも、この城の建設者は、戦国時代において、
「築城の名手」
と呼ばれた人で、城の随所にその特徴が残っているということであった。しかし、悲しいかな、
「現存があまりにも少ない」
ということで、なかなか全国的には、知名度的には低い。
それでも、
「お城ブーム」
ということで、城郭番組では、結構取り上げられることが多かったのは、
「ここの県の営業努力」
と言ってもいいだろう。
以前であれば、町おこしの一環ということで大きく取り上げられたかも知れないが、それも、観光ということで訪れる人が、以前に比べればかなり増えたことも確かである。
それを思えば、
「城址公園として整備が行き届いている」
というのは、十分な町おこしだと言ってもいいだろう。
昔から、
「城というと、天守」
というのが、どうしても言われてきたことなので、
「天守のないところを敢行するのは、時間の無駄」
というのは、ある一定の年齢以上の人が思い込んでいることなのかも知れない。
だが、櫓や門も立派なお城。石垣だっていろいろな種類があり、歴史を垣間見るということでは、十分だといえるだろう。
そんな歴史好きの人が、お城巡りをする中で、このお城に目をつける人も結構いたりする。
今の日本には、
「日本100名城」
あるいは、
「続日本100名城」
というものが制定されているが、ここの城も、
「続日本100名城」
というものにノミネートされたが、残念ながら、僅差でその拝命には至らなかったということである。
それについては、県の担当者も、非常に残念がって、
「何が悪かったのか?」
ということを研究し、もし、次に、
「100名城」
のようなものが催された時、少しでも、全国にその名をとどろかせるかのようにできればいいと考えるのであった。
最初は、
「現存が少ないから、しょうがない」
というのが、大方の意見であり、実際に、続日本100名城の時も、
「現存が少ないからな」
ということで、落選覚悟という人も多かったようだ。
しかし、
「最初からあきらめるのは、どうかと思う」
ということで、最後まであきらめることをしなかった人たちにとっては、その悔しさは、審査委員だけではなく、同僚にまで向けられた。
「自分たちが自信をもってノミネートしたのではなかったのか?」
と考えると、情けなくなってくる。
確かにノミネートは、県民の熱い支援と、その熱狂的な声というものに押されたのことだったのだが、実際に県の代表として、選ばれた人たちは、
「あくまでも、仕事の一つ」
ということで、
「そこまで思い入れがなかった」
ということであろう。
なるほど、実際に熱心だったのは、
「県の職員というよりも、城に対して持ち上がった後援会の人たち」
ということで、確かに、県政に関しては素人の連中であるが、
「お城の知識や情熱」
ということでは決して負けることのない人たちということであろう。
それを思えば。
「おらが村の自慢」
ということで、勝負に出したものが負けるのは、許されることではないのであった。
一人の警察官
しかも、支援者の代表ということで出てきているので、皆の期待を裏切ったという意識が強いのだった。
だから、彼らもある程度までは分かっていたが、
「結局は、どうせ、公務員の仕事の一つ」
というだけで、勝ち負けは関係ないということだったのだ。
それが、
「温度差」
というもので、かたや、
「やる気のない連中」
と、
「いかがしても、入賞したい」
と思っている人たちとの熱い思いの差は。その差が激しければ激しいほど、審査委員には分かるというもので、そういう意味では、、審査委員に対して恨みを持つのは逆恨みというもの、それくらいであれば、仲間なのに、簡単に仲間を見捨てるという連中に、情けないという言葉だけで片付けられるというものであろうか?
それが、
「公務員」
というものなのだろう。
この城には、そんな思惑があり、城の管理は、
「県」
ということになっているが、実際には、
「有志のボランティア私設」
としての、
「城郭保存委員会」
という団体が、財団法人として認可を得て、やっているのであった。
県とすれば、
「やってくれるのであれば、それに越したことはない」
ということであり、有志団体としても、
「腫れて県に雇われている」
ということで、その存在意義も、
「県からお墨付きをもらっている」
作品名:死ぬまで消えない十字架 作家名:森本晃次