死ぬまで消えない十字架
「俺は、自分を好きになる女性というものが、分かっていて、それに関しては自信がある」
ということであり、そして何よりも、
「その相手の女性に対して自信がある」
と感じたのであった。
そう感じて、それまでまったく自分に自信が持てなかったのがウソのように、少し自分に自信が持てるようになると、
「自分が、真剣になれるということに気づいた気がする」
ということであった。
「自分に自信が持てない」
ということは、裏を返せば、
「何事にも真剣になれない」
ということだった。
「真剣になれないから、自分に自信が持てない」
のであって、
「これも冷静に考えてみれば、当たり前のことだ」
と言ってもいいだろう。
ただ、桜井が見ている範囲が、
「あまりにも狭い範囲だった」
ということで、なかなか目指す相手が見つからないということに気づかなかったのである。
「範囲が狭い」
というのは、あくまでも、
「今まで自分が見ていた世界でしか、モノを見ない」
ということからであった。
今年30歳の大台を超えたところで、今までの人生は、あくまでも、
「ノーマル」
であり、真面目一本でしか、世の中を見ていなかったのだ。
学生時代も、女の子に興味を持ちながらも、性欲の高まりと、必死で抑えてきた。
まぁ、
「自慰行為」
くらいは、他の同級生と変わらないくらいにはしていたことだろう。
「精神と身体のバランスが崩れれば、いくら中学生といえど、どうなるか分からない」
ということで、
「破裂してしまいそうなところをギリギリで抑える」
という人もいたが、桜井には、そこまでの苦労は必要ないと言ってもいいだろう。
それだけ、身体と精神のバランスが、すぐに崩れるほど、やわではなかったということであろう。
そんな中学時代の彼が、
「性欲を抑えよう」
ということで考えたのが、
「何かの趣味を持つ」
ということであった。
もし、
「精神と肉体のバランスが、少しでもズレれば、病気を発症するかも知れない」
ということであれば、そんなことを考える、
「精神的な余裕」
というのはなかったかも知れない。
だが、
「少しでも、精神と肉体のバランスに余裕がある」
という考えからか、桜井には、
「何かの趣味を持つ」
という、
「精神的余裕というものがあった:」
ということであろう。
その趣味というのが、彼にとっての、
「お城」
というものであった、
そもそも、学校の勉強はあまり好きではなかったが、その中で興味があったのが、
「歴史」
という教科だった。
さらに、
「地理」
というのも好きだったことで、
「お城の分布」
というものが、地理的な発想でも見ることができた。
特に、戦国時代における
「藩であったり、大名の分布図」
というものから、
「城というものを、日本地図になぞらえて見ることができる」
と考え、普通であれば、
「平面の地図」
なのだろうが、
「彼の頭の中では、何か立体感覚で見ることができる」
というものであった。
「立体地図ということを、なぜ考えられるのか?」
ということを最初は分からなかったが、よくよく考えてみると、
「遠近感が分かる」
ということに繋がるのだった。
「群雄割拠の戦国時代」
ということで、一種の、
「国取り物語だ」
と考えることで、お城やそれぞれの藩というものが、切っても切り離せない関係にあることで、立体的に見えてくるから不思議だったのだ。
そんなお城というものを見るのが好きで、
「高校一年生の時には、これから迎える受験というものに立ち向かえるだけの根性を身につけたい」
ということで、
「自分の小遣いを貯めていけるだけの城」
というものに行くことに成功した。
「受験生」
と言われる時期は、
「その渦中にいる時というのは、なかなか時間が過ぎてはくれなかったが、終わってみれば、あっという間だった」
ということを感じた。
気が付けば、大学生になっていたわけで、
「大学に合格してから、入学までというのもあっという間のことだった」
ということである。
勉強を一生懸命にしていた時代は、
「わき目もふらず」
であったが、合格が分かると、完全に浮足立ってしまい、それまで、
「あれもしたい。これもしたい」
と思っていたはずのことが、
「一瞬にして忘れてしまった」
という感覚になってしまったのだった。
それを考えると、
「お城のことも、記憶になかったかも知れないな」
と、大学に入学するまで、感じていたことだった。
大学に入学すると、そこには、
「今までにない」
というこちらも、宙に浮くかのような気持ちになっていた。
それまでの、受験戦争から、打って変わって、まるで、
「地獄から極楽に行った」
ということで、
「ありえない気分に浸っている」
といってもいいだろう。
ゴールデンウイークくらいまでは、完全に浮かれていた。
しかし、言葉のごとくの、
「五月病」
のようなものに罹ってしまった。
何か寂しさがこみあげてくるというのだが、相変わらずの学校では、お祭り気分なのだが、なぜ、このような寂しさがこみあげてくるのかというと、実際には単純なことであり、
「一人でいるのが寂しい」
ということであった。
学校に来れば、誰かがいるので、別に寂しさなどないはずなのに、家に帰り一人になると、寂しさがこみあげてくるのだった。
その時には分からなかったのだが、もう一つ気になることがあるのだった。
というのは、
「一日が終わる」
ということに恐怖があったのだ。
「こんな生活が四年しかないんだ」
という思いが募ってくる。
そしてさらには、
「四年生になると、就活があるから、三年生までの三年間しかない」
と考える。
「高校生から大学生になるまでに、地獄から天国に行けた」
という夢のようなことを経験をしたが、それと真逆の、
「天国から地獄を、三年後には経験しなければいけない」
と考える。
しかも、その思いは、
「就職することで、定年まで続くことになる」
ということであった。
さらには、
「定年になっても、年金制度など壊れているだろうから、一生働くことになるかも知れない」
と思えば、
「ゾッとする」
と言っても過言ではないだろう。
そんな不安を感じていると、
「一日が終わることが怖い」
と思うようになると、その思いが通じたのか、
「一日を繰り返している」
という感覚に襲われるようになった。
もちろん、それは、
「夢の中での出来事」
なのであるが、
「一日が終わった瞬間、違和感が襲ってきて、すぐにそれが、
「同じ日を繰り返している」
という感覚だった。
「夢というもの」
ということで、いろいろな思いが去来しているのだが、その一つとして、
「夢は、目が覚める寸前に見る一瞬のことである」
という感覚。
そして。
「夢は、毎回見ているものなのだろうか?」
という思いであり、
「覚えている夢」
というのと、
「忘れてしまった夢」
というものの存在を考えると、
「本当は毎日見ていて、覚えているかいないかだけの問題だ」
作品名:死ぬまで消えない十字架 作家名:森本晃次