死ぬまで消えない十字架
「アダムとイブの話の中で、禁断の木の実を食べてしまうところ」
あるいは、
「ソドムとゴモラの話のように、振り向いてはいけないと言われているのに振り向いて、砂になってしまったという奥さんの話」
などが、その代表例であろう。
つまり、
「見てはいけない」
「開けてはいけない」
というものを開けたり見たりした場合は、その罰を受けるのが当たり前ということである。
その理屈というのは、
「神というものが存在していて、その神と、我々人間の間には結界があり、それを破ろうとすれば、報いを受ける」
ということを、遠回しに言っているということが、この、
「見るなのタブー」
に対しての、罰ということになるのではないだろうか?
「性癖」
というのは、何も、神と人間界の結界ということではない。
むしろ、
「人間が、種の保存をするためには、絶対に不可欠なものとして、行う性行為ということなので、決して辞めるわけにはいかず、永遠に続けていかなければいけないものなのである」
ということだ。
だから、子供から大人になるその過程において、
「性への好奇心」
というものが、爆発的にある時期がある。
それが、不安定な精神状態で、身体に我慢が利かなくなると、今度は、その性癖を抑えることができず。
「性犯罪に走ってしまう」
という人が多い。
しかし、これは逆に考えると、
「押さえつけようとするから、余計に興味を持つのであって、しかも、それを隠そうとすると、余計に知りたくなるという意味で、それこそ、見るなのタブーと同じことになってしまう」
ということだ。
本当であれば、
「ちゃんとした性教育をもたらすことで、余計な歪んだ好奇心を持たせることなく、性癖というものにまで言及すれば、少なくとも、性犯罪というものは減るのかも知れない」
といえるだろう。
「性犯罪というものを、いかに考えるか?」
というと、
「正しい教育をせず、いかがわしいものということで、すべてを抹殺するかのようなことをするから、感情だけが先に走り、それに身体が追いついてくると、身体が我慢できなくなり、今度は、その我慢できない身体に精神がおいついてくると、性犯罪というものに走るのではないか?」
ということになると思えてならないのだった。
片桐にとって、性癖というものは、
「人が俺のことを異常性癖と言っているが、言われてなんぼだと思っている。言いたい奴には言わせておけばいいんだ」
ということで、あまり気にしている感じではなかったのだ。
それよりも、片桐は、その時期、
「自分の性癖を楽しんでいた」
と言ってもいいだろう。
やつは、自分が、
「好奇心の塊だ」
ということを分かっていた。
やつにとって、
「性癖というのは、好奇心の裏返し」
と思っていた。
だから、身体の興奮もさることながら、頭の中に伝わってくる、ドーパミンのようなものが、快感を揺るがすと思っていたのだ。
前述の、
「プロと素人の扱い方」
というのも、やつにとっては、
「異常性癖と呼ばれるゆえんの一つ」
と言ってもよかった。
性癖というものを考えた時、
「かなりいろいろと手を出していたようだが、やつは。そのすべてを、元は一つと考えていたのだろうか?」
つまりは、
「性癖という言葉は、一つのものとして考えていいのだろうか?」
と思っていたふしがあるという。
片桐には、あまり、自分のことや、性格的なことを話す人間はまわりにいなかったということだが、それも無理もないだろう。
だからこそ、やつと、
「中途半端で曖昧な関係にある」
という連中が、訳も分からず、やつのことを、
「異常性癖」
と呼んでいたのだ。
確かに、
「誰が見ても、異常性癖だ」
といえるだろうが、
「どこまでが異常性癖で、どこからが、そうではないのか?」
それを、
「やつのカリスマ性」
というものを、
「どこまで理解できるか?」
ということが、
「一番の問題なのではないか?」
と考えるのであった。
同じ日を繰り返す
事件の第一発見者である桜井という男も、実は、
「異常性癖者」
ということであった。
彼の場合は、その性癖を、必死で隠そうとしている。
桜井には、家族もある。妻もあれば、子供もいるのである。
普段から気が弱い桜井は、とにかく、人とかかわることをしなかった。
「なるべく目立たないようにしよう」
と考えている方で、
「下手に目立とうものなら、何を言われるか分からない」
ということで、まわりからの、
「誹謗中傷」
というものに対して、不安に感じていたのである。
その思いは、
「結婚してから強くなった」
と言ってもいい。
結婚前は、
「あいつのことだから、亭主関白になるだろうな」
と言われるほど、好きになった女性を洗脳したいと考えていたのだった。
彼がそんな性格になったのは、
「自分に自信がない」
という気持ちが根底にあるからだ。
「自分に自信がないのであれば、相手に対して、高圧的な態度を取るなどおかしいじゃないか?」
と考えられるだろう。
しかし、実はそうではないのだ。
というのは、
「俺が、女性にモテるなどということは、よほどのことがないとないだろうな?」
と思っていた。
そして、だから、
「自分を好きになる女性というのは、ある意味。、異常性格なのかも知れない」
と感じる。
「それだけ、俺に対して陶酔しない限りは好きにはならないだろう。だったら、そんな女を離さないようにするには、足枷でもつけて、離れないように、隔離するくらいでないといけない」
と考えた。
もっといえば、
「厳重にしばりつけておかないと、余計なことを考える。だから、他の世界を見せないようにして、自分の世界の中で飼うという気持ちでいなければいけない」
と考えるようになったのだった。
それこそ、異常性癖というよりも、
「異常性格」
ということであろう。
ただ、自分に自信がない人間が、
「人に自信がない」
というわけではないということになるのかも知れないと考えると、
「この女は、俺を好きなんだ」
と思う女が絶対にいると、逆に考えたのだ。
そして、その女がどういう女なのかということを考えた時、
「自分が、この女にだけは自信が持てる」
と感じた相手だということになったのだ。
自分には自信が持てないくせに、他人に自信が持てるということは、
「自分の中に、その女にだけ自信が持てる何かがある」
ということを感じたからだろう。
それが、
「自分に自信が持てる唯一のもの」
ということであり、他の人が感じる。
「自分への自信」
というものなのだろうと考えるのだった。
そこまで考えると、
「一種の自信」
というものを、自分でも持っていると強く感じた。
他のことには、どうしても自信が持てないが、一つのことに関しては、
「誰にも負けない」
ということだ。
「俺はそれでいいんだ」
と、桜井は感じているようだった。
それが、女性に対してのことであり、その相手が見つかる前に、
作品名:死ぬまで消えない十字架 作家名:森本晃次