死ぬまで消えない十字架
「改革派」
というものが、力を持つようになったのだ。
改革派は、街の改造だけではなく、観光地として、
「城址公園を、大体的に改造する」
ということを公約に掲げて、選挙で初当選したのだった。
さっそく、彼は、街中の改造から始めた。
「都心部のビルの半分は老朽化ということで、作り直す必要がある」
ということで、
「数年かけて、少しずつ建て替えていく」
と計画していた。
実際に、その計画は、軌道に乗ってきた。
それまで保守ということで、抑えられてきた大企業が、改革派に対して、全面的にバックアップするということになったのだ。
本当であれば、
「これまで使うはずだった金をプールして、この時とばかりに使うということを、企業間で話をしていたので、その改革派へのバックアップによる、
「金の力」
というのは、
「破壊力」
という意味でもすごいものだったのだ。
城址公園も、以前の城の別名である、
「舞鶴城」
というのを公園につけて、
「舞鶴公園」
ということで大々的に宣伝し、元々あったサクラなどの花見の名所として売り出すことも忘れなかった。
そもそも、
「日本サクラの名所100選」
というものに選ばれていたにも関わらず、それほど有名ではなかったのは、それだけ、今までの保守が、宣伝ということで怠けていたといってもいいだろう。
この時とばかりに、改革派は躍進した。だから、今の城址公園は、ところどころ、工事中のところが多かったりする。
「それも仕方のないこと」
ということであろうが、
「観光地としてすべてを一気にしようとは思っていない。新しく建設するところは、一気に行うが、元々あった部分は、ゆっくりときれいにするというのが目的だった」
ということである。
舞鶴公園は、隣接するところに、大きな池を模した公園があった。
そこは、元々、大名屋敷があったり、御殿が、まるで別荘のようにあったりしたのだ。
そもそも、本当の武家屋敷であったり、御殿は、
「本丸であったり、二の丸あたりに作られていた」
ということであったが、大手門の向こうに作られているのは、大名家における別荘のようなところであった。
そこには、日本庭園のようなものが広がっていて、それは、
「天下泰平の時代に、幕府には逆らわない」
という思いを込めたものだと言われている。
その公園は、昭和になってから、
「城とは別管理」
ということで、市民公園として、独立した形になっていたが、しかし、最近では、それも、同じ県の、
「城址管轄」
ということで一緒にして。
「かつての、威風とよみがえらせよう」
という計画をしていたのだ。
「まだまだ。いろいろな資料が不足していたり、読み取れないところがあったりして、学術研究というものが行き届かないとうまくいかない」
ということであるが、近隣の大学で、県から依頼され、考古学や歴史研究チームというものが組織され。
「県から補助金も出る」
ということで研究に勤しんでいるのであった。
その姿勢は、いつしか話題となり、
「舞鶴公園というものを持っているH県では、県政と同時に学術研究が進められていて、観光地として生まれ変わるプロジェクトが動いている」
ということで話題となり、それを、テレビも大々的に宣伝していた。
地元の話題から、次第に、全国での、
「モデルコース」
ということで、取材に来たり、研究員が訪れるということも増えてきたのだった。
それだけでも、
「県のイメージアップにつながる」
ということで、最初は渋っていた一部の県議会の連中も、次第に、このプロジェクトを信用するようになり、
「全国アピール」
というものに、
「自分たちから躍起になっている」
というのが実情であった。
そんな城址公園では、その助成金をめぐって、ひと騒動があったということは、最初に発覚した時、
「なるべく内密に」
ということを県の一部で示し合わせていたということが、マスゴミにバレたことで、問題となった。
最初は、何とか丸く収めるつもりだったものが、結局露呈してしまったことで、
「痛くもない腹を探られる」
ということになったのだ。
実際には、簡単に済ませるつもりだったのが、簡単にいかなかったことで、その責任を一身に受けることで、失脚してしまった人がいた。
本来であれば、
「そんなに力があるわけではなかったはずの人なのだが、この混乱の中、結局責任を一人に負わせてしまったことで、
「トカゲの尻尾斬り」
というものが行われたのであった。
もちろん、ちょっと考えれば分かることであったので、
「誰も気づかなかった」
ということはないはずだ。
もっとも、
「それだけ混乱が激しかった」
というのは分かり切ったことであったが、それにしても、ここまで大変なことになろうとは、思ってもいなかった。
そこには、実際にひと騒動に一役買っていたという人たちが、本来ならお咎めを受けるわけだが、それができないのは、
「県としては、今、その連中を失うわけにはいかなかった」
という事情があった。
下手をすれば、
「他の県から、こちらの県に、他から臨時で収める人がやってくる」
という形になったかも知れない。
「このような騒ぎを起こしたのだから、第三者委員会の査問委員に提訴し、この状態をいかに納めればいいかということを論議するためにも、臨時で、第三者に見てもらうことが必要だ」
ということであろう。
そうなってしまうと、
「県の内情がバレてしまうことになり、さらなる混乱が起こるのは必定ということであろう」
そんなことになってしまうと、どんどん悪い方に行ってしまい、結果としては、県の状勢としては、結局、
「県民が困ることになる」
というもっともらしい理由で、丸く収めようということになるのだ。
実際には、県の状勢は、それこそ、時代劇の、
「悪代官」
なみのことをやっていて、今の時代であれば、
「水戸黄門」
であったり、
「遠山の金さん」
もいないということで、正してくれる人がいなければ、やはり困るのは県民ということになる。
もちろん、次の選挙でいい人を選べばいいのだろうが、ここまで混乱すると、
「誰がいい人なのか分からない」
ということになる。
それどころか、
「この県に、まともな政治家がいるというのか?」
ということになる。
さすがにいないわけではないだろうか、
「県知事ができるほどの人にいるのだろうか?」
ということになると、
「それは、っまずいないだろう」
としか考えられなくなり、県政は地に落ちると言ってもいいだろう。
それを考えると、最初に、
「何とか、内輪で収めよう」
と考えたのも、無理もないことで、そうなると、
「特ダネ欲しさにスクープしたマスゴミが、一番悪い」
ということになるかも知れない。
しかし、
「火のないところに煙りは立たない」
ということで、それこそ、
「誰が悪いのか?」
ということは、根本の人間が悪いというのは当たり前だが、
「県政をここまで腐らせてしまった、これまでの政治家のせいだ」
と言ってもいいだろう。
作品名:死ぬまで消えない十字架 作家名:森本晃次