死ぬまで消えない十字架
「人数が多ければ多いほどいいというものではなく、限られた範囲で、袋のネズミとなれば、ハチの巣になってしまうというのも当たり前だというものだ。
だからこそ、
「戦国の三大奇襲」
ということで、
「桶狭間の戦い」
「河越夜戦」
「厳島の戦い」
というような、戦いが多かったりする。
特に、厳島の戦いなどは、
「相手の大軍を、限られた厳島というところで、身動きを取れなくする」
という作戦が有効だったりしるのだ。
同じような戦いとして、
「籠城戦」
というものを得意としたのが、
「真田家」
であった。
「表裏比興の者」
と、秀吉に言わしめただけのことがある真田昌幸が、
「あの徳川軍を二度退却させた」
という、
「上田合戦」
などでは、何度も、相手の数の多さを逆手にとって、翻弄したことで、勝利を得るという作戦を取ったのだった。
だから、
「戦では、必ず数が多い方が勝つ」
という、
「数の理屈が必ず通用する」
ということはないのであった。
このお城も、戦国時代では、
「策士」
と言われた武将が領主として入っていたので、さぞや、そういう作戦が取られたことであろう。
詳しいことまで勉強はしていなかったが、
「戦国時代において、戦では、作戦勝ちが多かった」
ということは聴いていた。
それが、
「籠城戦だったのか?」
あるいは。
「攻城戦だったのか?」
ということは分からない。
それでも、どれだけ相手を屈服させたかということで、歴史本の中でも、この武将についてのものが結構書かれているのは知っていたのだ。
もちろん、
「地元の勇士」
ということで、地元コーナーには特集を組むくらいの武将である。
「いずれ大河ドラマの主役にでも」
ということが言われるくらいであった。
城址は、それだけの逸話がある武将の城としては、そこまで大きな城郭ではない。
しかし、前述のように、戦術的には、
「それほど大きくない方が好都合」
ということもあり、
「作戦面において、ちょうどいい大きなに設計されているのだろう」
ということであった。
そもそも。この武将には、軍師として、
「かなり立派な参謀」
というのもいるようで、そのおかげで、
「戦国の世を生き抜いてこれたわけだし、徳川時代の初期に、
「改易」
ということにならず、うまく世渡りができたことで、明治維新まで、
「この土地の大名」
ということで生き残ることができたのだ。
江戸時代では、改易も結構あったが、それに伴って、
「転封」
というのも多かった。
「世継ぎがおらず、お家断絶のために、改易」
という処分になったり、
「謀反を企んでいる」
などという濡れ衣を着せられての改易であったりというものが頻繁だったこともあって、そこに、ぽっかり空いた穴に、他の大名を転封させるというのは当たり前のことで、一つの城に、明治までの間に、数個の大名家が入れ替わり立ち代わりで入城するというのも、普通にあったりしたものだ。
ただ、そんな改易という問題も、四代将軍くらいから、今度は別の問題となって襲い掛かってきたのであった。
というのも、
「家光公の時代」
くらいまでは、
「幕府の基礎を築く」
ということで、
「有力大名を潰し、その権威で、幕府に逆らわせない」
ということでの改易を頻繁に行ったことで、大きな問題となったのが、
「浪人問題」
ということである。
つまり、
「お家断絶」
ということは、今でいえば、会社が潰れたと言ってもいいだろう。
そうなると、引き受け先のない社員は、家族含めて路頭に迷うということである。
大名が、他から転封してくると言っても、その大名には、ちゃんと召し抱えている家臣がいるわけである。
「当然のごとく、改易というのは、そのまま社員の失業」
ということで、改易された家臣のほとんどが失業するということで、失業者が、街に溢れるということになるのだ。
しかも、
「士農工商」
という身分制度があることで、
「他の商売に鞍替え」
ということもできない。
武士としてしか生きられない浪人たちは、召し抱えてくれる大名があって、そこから禄がもらえないと、本当に路頭に迷うのであった。
当然のことながら、街の治安は悪くなり、安心して生活ができないということになるだろう。
当然、幕府に恨みを持つものも出てくるわけで、
「一体、どうすればいい」
ということになるのだ。
幕府でも。職業訓練などで、内職の手習いのようなことをさせたようだが、どれだけの浪人がいたというのか、江戸に集まってくる数といっても、ハンパではなかっただろう。
そういう意味で、この城の代々の城主は、藩政に関しては。素晴らしかったのであろう。江戸から明治維新までにかけて、ほとんど一族だけで時代を駆け抜けたというのは、実に幕府から何も言われなかったという証拠であろう。
ただ、さすがに、幕末あたりでは、
「討幕派」
ということで明治維新にも一役買ったということであった。
「時代を見る目もあった」
ということになるであろうか。
江戸時代には、
「参勤交代」
というものがあり、どうしても、
「藩主は、半分は、江戸表に行かなければならない」
ということで、その留守居役として、城では、
「城代家老」
「主席家老」
「次席家老」
などが国を治めることになるわけで、こちらも、参謀として、しっかりしていないと、それこそ、
「お家騒動」
ということになりかねない。
それも、ほとんどなかったということから、江戸時代の中でも、
「模範的な藩だった」
と言ってもいいかも知れない。
しかも、明治維新による功績や、土地が、産業をいつくしむにふさわしいところだということで、都心部も、
「この地方の中での、一番の大都市」
ということで、かなりの人口も増えてきた。
昨今では、時代の移り変わりに際して、少し落ち着いてきたということもあって、
「観光地」
ということを前面に押し出した、目立たないが、落ち着いたいい街として、全国でも、相変わらずの観光地であった。
ただ、今の時代は、どうしても都心部の賑わいが、県政としては一番であり、
「天守のなかった城」
ということで、さすがに観光地としては、目立たないものとなっていた。
それよりも、神社仏閣の方が人気のところが多く、
「本来であれば、天守を観光用に作ればいい」
という話もあるのだが、県知事が、
「予算の問題」
ということで、何度も、議題には上がるのだが、最終的に、再建問題は、尻切れトンボになってしまうのだった。
そんな城址公園であったが、最近、
「観光客キャンペーン」
ということで、最初は、
「老朽化」
という問題であったり、
「観光客への配慮」
ということで、補修工事などが頻繁に行われていたが、それはあくまでも、
「現状維持によっての、集客」
という、
「専守防衛」
のような消極的な作戦であった。
しかし、最近、
「県知事が引退する」
ということが言われ、今までは、保守に走っていたことで、保守が強い県政ということであったが、その知事が引退するということで、
作品名:死ぬまで消えない十字架 作家名:森本晃次