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対となる能力

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 というのは、タイムリープの場合にも言ったが、
「どれが正しいのか?」
 という答えは、誰にも分からない。
 ということである。
 実際に過去に戻ってやり直したとして、やり直したことが、本当に正しいのかどうか、誰に分かるというのか?
 しかも、何度もやり直しがきくということなので、ひょっとすると、五回、やり直すことができるとして、五回やり直した中で、
「一番よかったのは、三回目だった」
 などということで、やり直した結果、
「やり直さなければよかった」
 といって、後悔しても、後の祭りというものである。
 歴史というものは、やり直すことはできない。つまり、
「過去を変えることはできない」
 ということになる。
 もし、やり直したとして、そのやり直しが、
「パラレルワールドの別の道」
 ということになるのではないだろうか?
 もし、
「パラレルワールド」
 というものを否定しないのであれば、
「タイムスリップ」
 というものが起こっても、
「タイムパラドックスというものはお子あらない」
 ということになるだろう。
 つまり、
「タイムパラドックス」
 というものは、
「並行世界」
 と呼ばれるもので、
「同一時間ではあるが、次元が違っている」
 ということになり、そもそも世界が違うのであるから、出会うことも、別の世界なのだから、そちらの世界に影響を与えることはない。
 と言ってもいいだろう。
 もっといえば、
「それぞれの並行世界の中に、自分という存在はいるわけで、その自分の中に入り込む」
 つまりは、
「タイムリープのように、精神だけが入り込む」
 ということになるのだろう。
 それがどういうことなのか、いろいろ考えてしまうと、
「タイムトラベル関係というもので、いろいろとあるが、結果的には、どの考え方であっても、最終的には、一つに集約されるものではないか?」
 と思える。
 つまり、
「それぞれの発想には、一長一短というものがあり、その矛盾を解決するために、新たな考え方が生まれてくるが、結局は、その中でいい部分だけを切り取って、一つの結論に至ることになる」
 というのが、
「タイムトラベル」
 というものの発想だといえる。
 そう考えると、歴史というものも、同じ発想で考えた時、
「歴史とは、いろいろなパラレルワールドが存在するが、どの道を通っても、結果的に、最後は同じところに来るのではないか?」
 という考えであった。
 それが、
「運命」
 というものであり、
「その運命からは逃れられない」
 ということになるのではないだろうか?
「人間というのは、最初と最後の運命から、逃れることはできない」
 というものである。
「最初と最後」
 つまりは、
「生まれ落ちる時と、死ぬとき」
 ということで、
「生まれる時は、自分の意志でどうすることもできない」
 ということだ。
 そして、死ぬときも、寿命というものがあり、大往生であれば、その運命から逃れることはできない。
 もし、パラレルワールドというものが、今の世界の、
「並行世界」
 ということであり、
「同じ自分が、パラレルワールドには、必ず存在している」
 ということであれば、
「パラレルワールドというものは、登場するそこで生きている人間には、まったく変わりはない」
 ということになるだろう。
 同じ人間が同じように存在するが、生き方の可能性が違うというだけのことであるとすれば。
「パラレルワールドであっても、生まれる時と死ぬ時は変わらない」
 ということになるだろう。
 ただ、
「生まれる時、同じ親から生まれてくるのかどうか」
 あるいは、
「死ぬ時というのは、同じシチュエーションで死ぬ」
 ということになるのかまでは分からない。
 しかし、無限に広がる世界で、どこで切ったとしても、そこにいる人の数に変わりはないということになるのだ。
「それぞれに可能性があるのだから、生まれる時も、死ぬ時も、同じになるというのは、普通に考えるとおかしな気もするが、
「パラレルワールド」
 というものの発想が、
「並行世界」
 というものである以上、
「人間の生き死には、運命で決まっている」
 ということになるだろう。
 そこだけは、
「パラレルワールドであっても変わらない」
 ということになるのだろう。
 だとすると、歴史認識というのも、
「人の生死」
 というものが、基本になっていて、あくまでも、それが、
「歴史の原点ではないか?」
 と考えたとすれば、
「パラレルワールドというものは、本当に存在し、実際に、行き来できるものではないか?」
 とも考えられる。
 SF小説の中で、
「タイムスリップをして、過去に戻る」
 というものも結構ある。
 その中で、作者がどのような結論を出すかということで、興味深いものがあるが、作品には、それぞれのパターンが存在する。
 まず、
「タイムスリップは、不可抗力だ」
 ということから始まる。
「タイムマシンを作って、自分から別の時代にいこう」
 と考えたものではなく、いわゆる、
「ワームホール」
 のようなものに落ち込むのか、あるいは、磁気嵐のようなものに巻き込まれて、タイムスリップしてしまう場合である。
 そのタイムスリップした人は、
「タイムスリップに対しても、史実にしても理解しているという前提である」
 ということで、自分に起こってしまった状況を把握することで、
「理由は分からないが、歴史が、自分に何かをさせようとしている」
 と考えるだろう。
 そうなると、主人公は悩むはずだ。
「歴史に逆らって、過去を変えてしまっていいのだろうか?」
 ということである。
 というのは、
「戻った過去は、自分たちの未来に対して、汚点を残すということが分かっている」
 ということだからである。
 例えば、戦争の場面に立ち戻り、自分の国が攻撃されるということが分かっている場合に、タイムスリップしたのが、
「未来の軍隊の一部」
 ということであるから、
「自分たちの兵器をもってすれば、十分に、攻撃を阻止することができる」
 と考える。
 しかし、それは歴史を変えるということであり、タイムパラドックスを考えると、できることではない。
 中には、それを分かっていて。
「しかし、自分たち軍は、国民を守る義務がある」
 というのだ。
 最終決定として、
「自分たちは軍なのだから、国民を守ることが最優先」
 ということで、
「歴史を変える」
 ということに挑戦することになった。
 実際に、作戦を実行しようとした時、またしても、磁気嵐が巻き起こり、結局、元の時代に戻ってくるということになるのだが、要するに、
「歴史は自分たちに何もさせなかった」
 ということで終わるのだ。
 ただ、疑問はいろいろ残る。その作品ではラストに、一人過去に取り残された人が年を取った姿で会いに来るというサプライズ的な話があったが、それがなければ、疑問だらけである。
 要するに、
「過去に戻った」
 ということは、
「パラレルワールドを見せた」
 ということで、
「歴史を変えようとした」
 ということになるのだろう。
作品名:対となる能力 作家名:森本晃次