対となる能力
と言ってもいいくらいなのであろうが、それを簡単に口にできないというのは、
「鎮守の伝説だけで、本当にいいのだろうか?」
ということからであった。
迷信めいたものを、あたかも、
「当たり前のことだ」
と言わんばかりであれば、
「事故が起こるというのが偶然でないとすれば、これも、当たり前のことだ」
と言ってもいいのかも知れないと感じるのであった。
だが、今となっては、若い連中は、街に鎮守があり、昔から守ってくれているという思いがあったとしても、大人になれば、その存在を意識するわけではなく、
「まるで石ころのような存在だ」
と思うようになると、
「鎮守というものの存在が、どのようなものであるか?」
ということを考えさせられるというものであった。
普段は、ほとんど誰もその場所にいることはない。これも、
「それが当たり前のことだ」
ということであれば、
「街全体が、当たり前のこととして、当たり前の時系列を共有するかのように過ごしている」
と考えると、
「鎮守様というのは、表裏に考え方を持つ」
というものであった。
交通事故に遭った人は、確かに軽傷ではあったが、それは、
「肉体的に」
ということで、精神面では、少々の後遺症を残したのだった。
それは、
「記憶を一時的に失う」
というもので、
「段階的な記憶喪失」
というものであった。
最初は、
「記憶喪失になってしまったんだ」
というほど、ほとんどのことを忘れてしまっていた。
自分が誰であるかということや、自分のまわりの人が誰なのか分からない」
ということ。そして。
「自分が交通事故に遭った」
ということであるが、その交通事故に遭ったというその時の記憶なども、なくなってしまっていたのである。
だが、それも一週間もすれば、
自分が誰であるかということや、自分のまわりの人が誰なのか分からない」
という記憶はよみがえってきた。
家族の人たちは、それこそ、手を叩いて喜び、
「やはり、鎮守様が守ってくださったんだ」
と思ったようだが、警察とすれば、捜査に肝心なところが記憶喪失のままということで、苦々しい重いは隠し切れないというところであろう。
それでも、被害者が、
「これからの生活で不自由をしないという程度まで、記憶が回復したということは、喜ばしいことだ」
ということである。
ある意味、
「最悪の事態は免れた」
と言ってもいいであろう。
それでも、交通事故に遭った時の記憶も、またしばらくして思い出すことができて、警察に話しをすることができた。
医者の最初から、
「記憶のどれか一つでも戻ると、そこから芋ずる式に他の記憶も戻ってくるということも、十分にありえますからね」
と言っていた。
これは、記憶が戻る過程においての、いくつかのパターンを、
「可能性」
ということで分類し、警察に話しをしたものだったが、まさに、医者の言う通りだったと言ってもいいだろう。
交通事故に遭ったことで、いくつもの、
「記憶を取り戻すパターンがある」
ということだが、彼が取り戻したパターンは、オーソドックスなものではなく、レアなものだったと言ってもいい。
そんな鎮守の近くで起こった最近の事件として思い浮かぶことだったのだ。
レトロな喫茶店
この街は、昔からの情緒を残した部分と、現代風の街という、それぞれの顔を持ったところがあった。
「小高い山の麓にある、鎮守様と言われる神社」
というのも、
「昔からの情緒を残す場所」
と言ってもいいだろう。
そして、この神社が、
「市のやや北の方にある」
ということは、昔からの情緒を残す場所というのは、市の北側を閉めているということであり、逆に南川は、住宅地であったり、学校や病院などの、
「普通の生活の匂いを感じさせる場所」
というところであろう。
山本は、そんな南部の、住宅地と呼ばれるところに住んでいるわけではなく、
「昔からの情緒あふれる場所」
に住んでいた。
もっとも、山本が、
「元々、そんな情緒のあるところに住みたかった」
というわけではなかったのだ。
たまたま部屋を探している時、予算と部屋のバランスを考えた時、探し当てた部屋が、
「北部にあった」
というだけのことであった。
北部に、情緒のあるところが集中していると言っても、待ちすべてが、情緒のあるところしかないというわけではない。
住宅などは、南部と変わらないところが多いのだった。
それでも、住宅も、住む人も南部に集中する。
というのは、その理由としては、公共交通機関の駅や路線というのが、南部に集中しているということからであった。
北部を通る路線もあるが、何といっても、本数は激減し、最終電車や最終バスの時間も、圧倒的にこっちの方が早いのだった。
しかも、
「南部には、繁華街も、歓楽街もあり、飲みに行くにしても便利がいい」
ということになる。
しかし、北部は、そもそも、
「観光地」
ということでの町おこしのようなものである。交通の便も、
「昼間よければそれでいい」
というもので、
「歓楽街も必要はない」
ということであった。
もっといえば、
「この市の場合、元々、北部と南部との間で確執があり、お互いに競争をしていたのだ」
だから、それぞれに、まったく違った経営によって張り合っているわけで、
「相手と同じようなことをしていたのでは、埒が明かない」
と考えていた。
それこそ、まるで、
「大日本帝国時代の、陸軍と海軍のようではないか?」
ということであった。
まるで、今の時代の、
「警察における、縄張り意識のようではないか?」
というほど、陳腐なことで争っていた」
と言ってもいい。
同じ運営機関でありながら、海軍と陸軍とでは名前が違っていたり、また、使う単位まで、微妙に違っていたりする」
ということであった。
というのも、
「軍の作戦を立案する本部と呼ばれるものを、陸軍では、参謀本部と呼ぶが、海軍では、軍令部と呼ぶ」
というものであったり、単位も、
「陸軍では、センチと呼んでいるものを、海軍では、サンチと呼んでいる」
ということであった。
「まるで子供の喧嘩のようだ」
ということであるが、それも、陸軍と海軍とでは、
「お互いに予算をどれだけたくさん取れるか?」
ということで争っているのだ。
だから、当然、いがみ合いのような形になっても無理もないということであろう。
今の時代の警察が、どういう意識になっているのかということは分からないが、要するに、
「どの時代においても、似たような組織は、まるで子供の喧嘩のような醜い争いというものを引き起こす」
というものであろう。
そんな、
「旧日本軍であったり、警察組織のような、対抗意識がどこまで、この街に存在したのかというのは分からないが、それぞれの街では、まるで南北朝時代のような確執があるのではないか?」
と思うのだった。
しかし、それぞれにライバル意識があるということは、そこには、
「意地」
というものが存在している。
それこそ、
「老舗の店」