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対となる能力

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 などという言われ方をするのだ。
 そもそも、
「毎年、代わり映えのしない季節」
 ということの方がおかしなもので、相手が自然現象ということを考えると、
「毎年違っている」
 という方が自然であろう。
 そんな季節を、
「自然現象なので仕方がない」
 と言ってしまっていいのだろうか?
 そういう意味では、
「花粉症さえなければ、今の時期が一番過ごしやすい時期なのかも知れない」
 といえるだろう。
 山本進は、元々花粉症になったことはなかったので、
「春先が、一年で一番過ごしやすいという時期なんだろうな」
 と思っていたのだ。
 ただ、
「花粉症というのは、いきなりなるというものだ」
 と言われるようで、
「ひょっとして、花粉症になった時期があったのかも知れないな」
 と感じた年がないでもなかった。
「鼻がムズムズして、熱っぽい」
 と感じて、体温計で測ってみると、熱があるわけではないのだ。
 ただ。ボーっとしていて、
「風邪気味だ」
 という思いがあり、
「この間まで、コートにマフラーだったのにな」
 と考えてしまうと、その温かさが、余計に意識を朦朧とさせるのであった。
 一年の中で、最初の三カ月というのは、あっという間に過ぎる」
 と言われ、
「行く逃げる去る」
 などと言われ、まるで、日光東照宮の、
「見ざる聞かざる言わざる」
 と言われる、
「三匹のサル」
 というものを思わせるということであった。
 年末の喧騒とした繁忙期のあわただしさから一気に年が明けると、その反動から、今度は閑散期がやってくる。
 この時期というのは、毎日忙しく、
「早く過ぎてくれないか?」
 と感じた年末から比べ、打って変わって迎えた閑散期であるから、逆に、
「ゆっくりと過ぎてくれればいい」
 と思う中、気が付けば、
「あっという間に過ぎている」
 というのが、そんな一月だったと言っていいだろう。
 二月というのは、そもそも、日数も少なく、
「一年でもっとも寒い時期」
 ということで、
「静かに過ごす時期」
 ということであった。
 それは、自然現象による寒さによって、
「余儀なくされた静寂」
 ということであろう。
 なるべく、波風の立たないという時期ということであり、
「急いで過行くのも、致し方がない」
 と言っても過言ではないだろう。
 今度は三月になると、それまでの寒さが一変し、あたたかな空気に、
「春の匂い」
 というものが漂っているように感じさせられる。
 しかし、最近では、この春も、いきなり夏のような暑さがある時があり、花によっては、
「狂い咲き」
 と呼ばれる時期を迎えることもあるのであった。
 梅であったり、桜と言った。
「春の花というものには、春の匂いが醸し出されるというもので、ただ、花粉症というものが影響してくることで、果たしてこの時期が一番過ごしやすいのかと、考えさせられる」
 というものであった。
「この間までマフラーをしていた」
 という意識があることから、三月というのも、あっという間に過ぎてしまう時期だということになるだろう。
 そして、時期としては、学校であれば、
「卒業シーズン」
 そして、会社であれば、
「転勤シーズン」
 ということで、一年の中で、一番切実に、
「別れというものを感じさせる時期」
 ということになることで、余計に、あっという間であってほしいと考えさせられる時期と言ってもいいだろう。
 しかも、この時期は、
「三寒四温」
 と呼ばれる時期、下手をすると体調を崩しやすい時期。
 そこに、花粉症などが重なると、
「花粉症なのか、風邪なのか。その区別がつかない」
 と言ってもいいだろう。
 今までに、何度卒業というものを繰り返してきただろうか?
 何も卒業というのは、
「学校での卒業」
 というものだけではない。
 社会人になっても、
「何か卒業するものは、目に見えない形でも潜んでいる」
 と言ってもいいだろう。
 学校のように、
「修了」
「卒業」
 というものがあって、
「進学」
「進級」
 というものが明らかに見えているものだけではないといえるのではないだろうか。
 そんな、毎年微妙に違っている一年間、
「今年は、どんな年になるというのだろう?」
 ということで、昔は、
「期待と不安が半分半分くらいであっただろうが、今であれば、明らかに不安の方が大きい」
 と言ってもいいだろう。
 今年の長期予想というものが発表された中で。
「今年の夏は、相変わらずの暑さが襲い掛かってきて、逆に、梅雨が短いのではないだろうか?」
 ということであった。
 ただ、
「梅雨が短いと言っても、それなりにはあるのであって、毎年恒例の水害が起こる確率は、これまでにも増して高い」
 ということだったのだ。
 全体的に見ると、
「あまり期待できない年」
 といってもいいだろう。
 ただ、夏というものが暑いのは当たり前で、そのバランスが崩れると、農作物収穫のバランスが崩れて、不作となり、
「食糧問題に発展しえない」
 ということになってしまう。
 実際に、去年一年の長期予想は、おおむね当たっていた。
 最初は、それを聴いて。
「本当にそんな状態になると、世の中、パニックだ」
 と思っていたが、
「気が付けば、季節は廻り。一年が経っていた」
 ということであるのだ。
 実際に、期待に対して不安が大きくなると、
「その年があっという間に過ぎてしまうことが、理屈として当たり前だ」
 と言われるようになっているのだった。
 山本が住んでいる街には、市の中心部からやや北の方、つまりは、小高い山の麓に、
「鎮守様」
 と言われる神社があった。
 ここは、麓というよりも、中腹と言ってもいいくらいのところにあり、石段から見下ろす光景は、
「結構きれいだ」
 と言われていたのだ。
 その鎮守様は、昔から、
「街の守り神」
 と言われていたが、ここ十年くらいの間に、立て続けに、神社近くで事故が発生したことで、
「疫病神ではないか?」
 というような、罰当たりなことをいう輩も出てきたりした。
 事故というのは、あくまでも、
「すべてが神社のせい」
 とは言えないことも当然のごとくあったわけで、
「近くで、交通事故が起こった」
 ということで、
「たまたま発生場所が神社に近かった」
 という偶然までもが、
「鎮守様」
 ということで、なまじ、地鎮ということで慰められていると思っていることから、
「余計な役目」
 というものを押し付けられた気になるのであった。
 事故が起こっても、
「人身事故」
 というものは一つもなく、そのすべては物損事故」
 ということであった。
 けがをした人がいても軽傷ということで、事なきをえていたのだ。
 本来であれば、
「鎮守様が守ってくれたから、軽傷で済んだんだ」
 と言われてしかるべきなのだろうが、なぜかこの神社においては、
「神社に何かの因果があるのではないか?」
 と言われるようになったのだ。
 それだけ、
「街が平和で、普段から、何事もなかった町だ」
 と言ってもいいのかも知れない。
 それも、本来であれば、
「鎮守様が守ってくださっている」
作品名:対となる能力 作家名:森本晃次