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対となる能力

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「愛国心というものは、どこに行ってしまったのだろうか?」
 ということであった。
 独立国になった以上、かつての軍人や政治家に、
「汚名返上」
 という機会を与えることもしないというのは、それこそ、
「非国民」
 ではないだろうか?
 そんなことを考えると、
「細川ガラシャというのは、自殺だったのか?」
 ということになる。
 確かに。配下の兵士に殺させたから、自殺ではないということになるのだろうが、だからといって、自分はいいとしても、配下の人間からすれば、どういうことになるのだろうか?
「いくら命令とはいえ、殿の奥方を殺すことになるのだ」
 キリスト教の洗礼を受けていないから、信者ではないと言っても、それでは、
「人間を差別していることになるのではないか?」
 信者であれば、戒律を守らなければならないのだろうが、信者でないが、自分の配下の人間には、
「戒律を守らせない命令を出す」
 というのは、その人を制限することになり、それがキリスト教では許されるのか?
 確かに、戦国の世だから、
「一人くらい余計に殺した」
 といっても、関係ないともいえるかも知れないが、
「人を殺める行為」
 というものを強制させたわけである。
 他人であれば、
「教唆」
 ということになるのかも知れないが、自分であれば、
「ただの命令」
 そうなると、
「殺させた相手が自分」
 ということで、もし、これが法律にかかわる問題であれば、
「解釈が難しい」
 といえるだろう。
 それを考えると、
「細川ガラシャの行為は、本当に、美談といえるのだろうか?」
 ということである。
 歴史の逸話というのは、
「そもそも、勝った方の理屈で作られるもの」
 と言ってもいいだろう。
 特に、日本において、過去から続く、
「政権の移り変わりにおいて」
 その傾向が強いと言ってもいいだろう。
 秀吉など当たりから、その傾向は強い。
「豊臣政権」
 というものにおいても、秀次事件においても、秀次切腹の後、
「秀次がこの世に生きた証拠をすべて消し去る」
 ということで、親戚縁者の皆殺し、関白の執務のための建物としての、
「聚楽第」
 も、跡形もなく壊している・
 もっとも、これは、秀次が気の毒という話もある。
「いやいや、秀次が、ご乱行した」
 ということが原因だと言われているが、実際には分からない。
 事実として、
「関白を譲ったはずなのに。息子ができてしまったことで、秀吉が秀次に謀反の罪を着せて、暗殺した」
 というのが、大方の事実のように言われている。
 実際に、
「秀次が生きた証をすべて抹殺する」
 ということを行ったことからも。
「秀次が、ご乱行のうちのやむを得ない切腹」
 という説は怪しくなってくるというものだ。
 実際に、この辺りから、
「秀吉はおかしくなった」
 ということで、
「離宮切腹」
「朝鮮出兵」
 などというのが、その例といえるだろう。
 結果的に、話が合うかどうかわからなかったが、曖昧な中において、この、
「細川ガラシャ自害事件」
 というものに関しては、話が合った。
 それも、お互いに自分の気持ちを言葉にして、感情をぶつけ合うということで、その結論が得られたわけなので、
「細川ガラシャは、自害と同じ」
 という話になった。
 しかし、話は続きがあり、
「これは、確信犯ということなので、やり方としては、さらにたちが悪い」
 と、山本は思っていたが、その老人もそのことは感じていたようだ。
「キリスト教という言葉を免罪符に使うというのは、モノがキリスト教というだけに、まずいのではないか?」
 ということである。
 そもそも、免罪符というものが、
「カトリック教会がらみ」
 ということだからである。
 それを、老人に話すと、
「まったくその通り」
 という言葉が帰ってきた。
「キリスト教に限らず、宗教において、免罪符というものを使ってはいけない」
 ということにするのは、無理があることなのかも知れないが、
「免罪符というものを使って、人間を差別する」
 というのは、
「宗教というものを考えた時、いいのだろうか?」
 と考える。
 そもそも宗教というものは、そのほとんどが、
「生きている時に幸せになれない」
 ということを、
「死後の世界で幸せになれる」
 という理屈で補うことで、宗教じたいを、免罪符として考えているといえるのではないだろうか?
 それを考えると、
「生きている時代に生きがいを求める」
 ということで、
「文化の発展」
 というものは、それだけ、
「人間らしさの表れ」
 と言ってもいいだろう。
 宗教というものは、
「神であったり、仏」
 というものの存在によって、この世で、報われないことを、あの世で報いてもらおうという、
「実に都合のいい考えだ」
 ということになるだろう。
 だから、宗教というものが、いい悪いということは後回しにして、
「詐欺集団や、テロ集団」
 というような形で言われるのではないか?
 ということである。
 この老人も。宗教というものには、嫌悪感があるようで、特に
「死後の世界で。幸せになる」
 というたぐいのものは、
「信じられるものではない」
 と感じていたのだった。
 だが、この老人は、
「宗教に対しての、嫌悪感」
 という話をしながら、実際には、
「まるで神がかりではないか?」
 というような話をしていた。
「それがどういう話なのか?」
 というと、
「私には、国家の余命が見える」
 というものだった。
 それは、日本でいえば、政権というようなものであり、もっといえば、日本においては、
「内閣の生存期間」
 と言えばいいだろう。
 政治を見ていれば、
「今の政権は、時間の問題だ」
 ということくらいは分かるだろう。
 だからと言って、
「この内閣は、後何日だ」
 ということまでは分からない。
 内閣が変わるには、いろいろなパターンがある。
「任期満了」
 というパターン。
「支持率が低下したことで、内閣総辞職であったり、解散総選挙」
 というもの。
 これに関しては、
「野党との絡み」
 ということもあって、
「解散総選挙なのか、内閣総辞職なのか?」
 ということは、時代が混沌としていればいるほど分かりずらいと言ってもいいだろう。
 その後の総選挙において、
「別の党による政権交代」
 ということもあるわけで、そうなると、、
「世の中というものが、まったく変わる」
 といってもいいだろう。
 今の世の中において、
「よほどのことがない限り、別の党による政権交代」
 というのはありえない。
 特に、今ほど、
「野党が情けない」
 と言われている時代であれば、
「政権交代などが起こってしまうと、日本は、その時点で終わってしまう」
 と考えている人が一定数いるわけで、その人たちの分が、組織票となって、
「政権交代を許さないだろう」
 ということであった、
 かつて政権交代があった時、
「消えた年金問題」
 ということで、当時の政府の厚生労働省による、積年に渡るずさんな管理がもたらしたものであり、それが、
「年金制度の崩壊を決定的なものにした」
 と言ってもいいだろう。
作品名:対となる能力 作家名:森本晃次