「共犯の因果応報」と「一周回った完全犯罪」
「彼は、今まで子供の頃から、ずっと道を踏み外しているように見えますが、それは、最初に踏み外した道が、すべてに対して影響しているといえるのではないかと思うんです。だから、今の人生もその延長線上であり、ただ、今は、その根本に、チンピラとしての考えがあるということで、その二つを考え合わせれば、誰かに命を狙われているか何かがあって、それを逃れるために、一番今では安全ともいえる、警察の中と考えたのではないですかね?」
というのであった。
それを聴いて、清水刑事も、納得の表情になった。
そのことを、果たして鈴木刑事が分かっているのかどうか、そこまでは分からなかったが、清水刑事とすれば、
「それが合っているかどうかは分からないが、少なくとも、俺と考えかたの路線が違うということはない」
ということで、
「これからの捜査では、鈴木刑事の考えをある程度優先してもいいかも知れない。しかし、増長させないように、コントロールはしていかないといけないな」
というところまでは考えていた。
清水刑事と、少なくとも、方向性としては違っていないということで、多数決で考えれば、かなり、
「圧倒的な差になるだろう」
ということが分かったので、ある程度までは、その路線で考えてもいいはずである。
それを考えると、鈴木刑事だって、
「自分の考えが間違っていない」
と思うだろうから。それが、そのまま自信につながる分にはいいが、増長であったり、うぬぼれであったとするならば、誰かが制ししないといけないということは分かっているのであった。
「じゃあ、何から逃げているというのかね?」
と、清水刑事がいうと、さすがに、鈴木刑事も、言葉が出てこなかったが、
「そこまではまだわかりませんが、捜査をしているうちに、次第に明らかになっていくことなのではないでしょうか?」
と力強く言った。
清水刑事としては、
「この言い方は、この時点であれば、一番正解に近い回答だ」
と感じた。
要するに、
「自分が少しでも正しいと感じたことは、自信を持ち続けることで、それが、正解になる」
ということを感じたのであろう。
自信を持つということは、
「自信過剰であっても、慢心出ない限りは悪いことではない」
と思っていた。
清水刑事は、
「自信過剰」
ということを嫌いだとは思っていない。
むしろ、
「営業などが、自分に自信の持てないものを売りに行くということはありえない」
と思っているからだ。
その売るものが、本当にいいものかどうか分からないが、
「売るものは、そのものではなく、自分自身である」
ということを考えていれば、
「それが自信というものに繋がる」
と考えているのであった。
「ところで鈴木君は、今回の事件をどう思っているのかな?」
と、清水刑事に言われた鈴木刑事は、
「清水刑事が何を求めて質問したのか?」
ということを気にするということはなく、少し考えてから、
「とにかく、不思議な事件だと思っています。清水刑事が以前に言われていたように、事件なのか事故なのか? ということになれば、死体の場所が変わっていることであったり、どうしてあの場所だったのか? または、早朝のあの時間に死体が発見されたということも不思議の一つですよね」
と鈴木刑事は、答えた。
ちなみに、第一発見者である牧田刑事を訪ねたが、牧田刑事は、不思議なことに、
「自分は通報していない」
ということであった。
その日の当直が、まだ経験の浅い鈴木刑事だったことで、その声が誰だったのかということを疑うことはなかった。
もっとも、他の刑事でも、いきなり、
「人が死んでいる」
などと言われると、相手の声に聞き覚えがあるかということも考えないだろう。
しかも、話がすべて終わった後で、鈴木刑事が、
「あなたは?」
と聞いたから、
「私は以前、そちらの署の生活安全課にいた牧田です」
と言ったのだから、それ以上、誰も何も言わないというのは、相手には想像がついたことなのかも知れない。
その人物が牧田刑事だったのかどうかというのは、どっちみち、分からなかったことであろう。
もし分かったとしても、それをいちいち聞くこともしないだろうし、何といっても、
「通報してきたのだから、通報者は当然その場所で待っていることだろう」
と考えるからであった。
「まさか、通報者がいないなんて」
と思ったのは、
「相手が刑事だったから」
ということであり、
「通報はしてきたが、本当にいるかどうか、それが一般市民であれば、分からないだろう」
と言ってもいい。
その人に、他に事情があるのかも知れないし、それ以上に、
「厄介なことに巻き込まれたくない」
ということで、
「通報はしたが、後悔している」
という人もいたり、あるいは、
「関わりたくはないが、通報しないと、その人が死んでしまうと、自分が罪に問われてしまう」
という、反対の考えもあってしかるべきであろう。
どちらにしても、
「普通なら、第一発見者なんかになりたくはない」
と思っているに違いない。
下手をすると、警察に通報したことで、
「見てはいけない何かを見た」
と本当は見てもいないのに、相手に勝手に勘違いされたり、
「無意識に相手が見られたくないものを見てしまった」
ということで、
「それこそが厄介なこと」
として相手に警戒され、結局は、
「命を狙われる」
ということになるかも知れないからである。
そういう意味では、
「通報はしたが、第一発見者がその場にいない」
ということは、
「あってしかるべきだ」
と警察とすれば、十分に考えられることである。
さらに、今回の事件で、
「なぜ、出頭という形にしなければいけなかったのか?」
ということである。
別に放っておけば、警察の方で、それなりの捜査をすることになるだろう。
そこで考えられるのは、
「警察による通り一遍の捜査をされると、困る人がいる」
ということになるからではないだろうか?
であれば、そこで矛盾が生じてくるのだ。
というのは、
「死体をわざわざ放置した」
ということがおかしいというのだ。
死体の処分もせずに、放置しているということは、
「死体が見つかっても構わない」
ということである。
「今の状態で捜査をされると困る」
ということであれば、
「最初から見つからないようにしていなかったことを後悔している」
と言ってもいいだろう。
最初は、
「死体が見つかっても、おかしな方に捜査が向いてしまう可能性があると思わなかった」
ということであれば、その理屈も通るのだが、警察の今の捜査は、ほとんど情報がない中で、しかも、分からない不思議なことが多いことで、
「警察がどのような捜査をするのか、正直分からない」
と言ってもいいだろう。
そんな状態で、どちらに転ぶか分からない時、
「本来なら、何も手が打てない」
といってもいい時、
「替え玉なのかも知れない」
という男を出頭させるということになれば、辻褄が合わないだろう。
もし、本当に彼が犯人だったのだとすれば、自分から出頭するということで考えられることは、
作品名:「共犯の因果応報」と「一周回った完全犯罪」 作家名:森本晃次