「共犯の因果応報」と「一周回った完全犯罪」
さすがに子供も気持ち悪いと思うのか、井戸を避けて遊ぶようにしているようだった。
話としては、近くにお城があったようで、そこの殿様に危険が迫った時、天守の裏手から、ここに逃げてこれるようにということでの、
「抜け穴だった」
ということであった。
そのお城も、明治維新の際に発布された、
「廃城令」
ということで、天守をはじめとした、本丸から、二の丸くらいまでの建物は、破却されたということであった。
しかし、
「町おこし」
ということで、お堀の近くにあった櫓のいくつかと、大手門は復元されたのであったが、さすがに、天守ともなると、
「予算が足りない」
ということで、復元されてはいない。
それでも、
「町おこしの一環」
として、
「天守再建」
の声は、いまだに根強く受け継がれていて、市長選などという時、その公約の中で、再建派と、慎重派との間で、いつも候補が立てられる。
再建派が市長になっても、次の市長選で、すぐに入れ替わることで、
「再建案が議会を通っても、次の市長が握りつぶす」
などということで、
「そう簡単には、話が進まない」
ということで、こちらの問題も、
「一進一退だ」
といってもいいだろう。
お城の再建」
というものが、市民の重大な関心事ということは間違いないようで、実際に、設計図の原案くらいはできていた時期があったのだという。
境内の広さは、それなりにあったが、裏にまわると、最近は、荒れ放題に近くなっていた。そもそも、すぐ売死語に山がそびえていて、この境内は、確かに、小高い丘の上にあるように見えるのだが、上がってくると、その後ろには山がそびえていて。まぁまぁ高い山の様相を呈していた。つまりは、この境内は、
「山の中腹にある」
といってもいいくらいだった。
神社や社務所によって、裏からさらに奥の山を意識させないような造りになっているのは、昔の戦国時代の知恵だったのかも知れない。
戦国時代などでは、武家屋敷や街は平地にあり、敵が攻めてくると、山に築いておいて出城にこもり、そこから反撃したという話を聞いたことがあった。
織豊時代のような天守を持った城というのは、戦国初期にはなく、そのほとんどは山城で、近くの山にも砦のような支城を築くことで、強固な守りと電光石火の攻めとができるということであったのだ。
普段から相手に悟られないような城を築くということで、神社の裏に作っているというのは、作戦としては、なかなかいいだろう。
それを考えると、裏庭に築かれた雑木林は、
「城を隠す」
という意味で、重要な効果があったことだろう。
もちろん、それから、何百年も経っているので、その間に何度も伐採が行われ、整備されてきたことであろうが、最近では、荒れ放題に近くなっているのを見ると、昔の人が悲しんでいるのではないかと思うのも、無理もないことなのかも知れない。
だから今では、子供もあまり近寄ることはない。
境内で遊んでいる子供を見ることも、今では珍しいので、特に裏庭ともなると、立ち入る人もいないだろう。
いくら、金網をめぐらせているとはいえ、気持ち悪い井戸の跡があるというのは、子供でも、近寄りたくはないに違いない。
昭和の頃までは、
「肝試し」
というものに近い形で遊んでいるという人もいると聞くが、それも、祖父や祖母から聞いた話ということで、どこまでが本当なのか怪しいと思っている。
それだけ、今では近づきたくもないとことになっているのであった。
そんな裏庭であったが、今まで、注目を浴びることなどまったくなく、
「そういえば、そんな場所があったな」
という程度で、まったく意識もしていなかったその場所に、
「まさか、こんな形で」
というようなスポットライトが当たる時がやってきた。
二十年前のその頃から、人口も増えてきたことで、犯罪もそれなりに増えてはきたが、それも、万引きや痴漢のような犯罪で、
「殺人などの凶悪犯罪」
というものには、あまり縁があるところではなかった。
しかし、それも今では伝説と言われるほどに増えてきたわけで、その兆候のようになったのが、ちょうど二十年前の事件だったのだ。
その事件というのは、早朝の刑事課に、一報が入ったことだった。
その内容というのは、
「人が死んでいる」
という通報があったことだった。
宿直の刑事がいたのだが、半分は眠っていたハスキーな声で最初は、
「夢でも見ているのではないか?」
と思ったのか、声の呂律も回っておらず、意識もハッキリとしているわけではなかった様子で、答えていたが、
「死んでいる」
という話に一気に、眠気が覚めて、緊張感が襲ってきたのだった。
「場所は?」
ということを聴くと、
「神社の裏庭」
と、通報者は、声を震わせているようだった。
普通なら、110番なのだろうが、わざわざ刑事課に通報してきたのは、第一発見者が、刑事課ではないが、他の課の署の人間だったということからであった。
名前を聴くと、聞き覚えがあった。生活安全課の人だったのだ。
早速刑事は、急いでその場所に向かった。
刑事がその場所に到着すると、まだ辺りは薄暗く、朝もやがかかったかのようになっていた。
あまり雨が降る季節でもないので、靄がかかるというのも珍しい気がしたが、朝の底冷えを考えると、それも無理もない気がしてきた。
「今のこの時期には、無理もないことか」
と独り言をつぶやいたが、さすがに、境内に昇る階段を上がってくると、息切れを覚えるのだったが、上まできて、鳥居をくぐると、目の前に広がっている境内が、想像していたよりも広いことに気づいたのだった。
もちろん、初めてきたというわけではない。子供の頃には、よく来ていたという記憶があった。
特に大学受験前には、この神社でお祈りをしたもので、
「神頼み」
というのも、本当はどうでもいいと思っていたが、どうしても心細い状態になるのを抑えることができなかったことで、結局神様にすがるというのも、悪くないと感じていたことを思い出していた。
子供の頃の記憶というと、どうしても自分が小さいという意識からか、見えているものが大きく感じられ、しかも、大人になるにつれて、その場所に来なくなると、
「想像以上に大きなところだった」
という記憶が残っていることであろう。
確かに、その記憶が残っていたのであるから、大人になってしばらくして久しぶりに見ると、前の記憶の大きさが、効果てきめんということで、今度は小さく感じるものなのだろうが、
「逆に、今度は大きく感じさせるというのは、どういうことなのか?」
と考えたが、その理由は、
「後ろの山」
ということであると、最初は分からなかった。
いつもは昼間だったので、後ろの山を意識はしていないつもりだったが、今から思えば、無意識に意識をしていたのであった。
ただ、今回見た山は、早朝の薄暗い中の、しかも、朝もやを感じさせる時間だっただけに、余計に、その山の不気味さからか、
「境内が大きく感じられる」
という現象になったのではないだろうか?
それを思うと、
「子供の頃の記憶が、誇大妄想に繋がっていた」
作品名:「共犯の因果応報」と「一周回った完全犯罪」 作家名:森本晃次