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「共犯の因果応報」と「一周回った完全犯罪」

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この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年4月時点のものです。

                 境内の裏庭

 ちょうど今から二十年前のことであろうか、夜の寒さも一段落、
「寒い日と温かい日が、週単位のサイクルで巡ってくる」
 と言われる、三寒四温と呼ばれる時期、いよいよ、寒い冬が終わろうとしているといってもいいだろう。
 夜も更けたある神社の境内で、さすがに、
「寒かった冬がやっと終わる」
 と言われる時期であったが、そのため、境内には、他に誰もいなかった。
 その日は月明かりが明るい日で、湿気もない状態で雲もなく、静寂も手伝ってか、木の根っこから放射状に広がる形のきれいな影を作り出していた。
 明るい部分と、暗い部分のコントラストが美しく、寒ささえなければ、人がもう少しいてもよかっただろう。
 吹きすさぶ風も、その寒さに拍車をかけていた。夜の静寂を吹き飛ばすような吹きすさぶ音を聞いていると、
「静寂が却って邪魔になるのではないか?」
 と思わせるのであった。
 最初は誰もいなかったはずの境内が、賑わいを持つようになったのは、吹きすさぶ風のせいではない。
 むしろ、風がその喧騒とした雰囲気を、押し出してくれはしないかと思うほど、風の音など、これから起こることにはおかまいなしというところであろうか。
「風などなければ、こんなことにはならなかったのではないか?」
 ともいえるほどで、階段を昇ってきた二人は、最初ひそひそ話で、境内において会話をしていたのだ。
 静かすぎるだけに不気味さを醸しだしているかのようであったが、実際には、明るさが影をさらに大きくすることで、知らない人が見ると、さらに、気持ち悪いことであろう。
「音がない状態だったら、不気味ではないだろうに」
 と思うが、逆に影絵だけで何が起こっているのかが分からないというのは、余計にゾッとするものを、まわりに植え付けているのではないかと思うのだった。
 最初は、まだ話し方は穏やかだった。
 しかし、片方が、穏やかではいられなくなり、困窮した様子で、明らかに、腰を低くしていた。
 のっぴきならない依頼事があるのか、必死になって頼んでいる。お互いに、昔から知り合いだったのか、片方は、必死にお願いしているが、片方は、
「言われてもどうしようもない」
 という感じで、困り果てているようだった。
 これは、やはり、お互いに、
「以前から見知った相手」
 ということになるであろう。
 これが、最近知り合った程度の相手であれば、頼まれた方は、当然強い立場なのだから、突っぱねればいいわけである。
 それを、困惑して、
「どうしたらいいんだ」
 と、本来なら、困り果てているのは頼んだ方のはずなのに、頼まれた方が、困っているというのは、
「普段から二人の仲がいい」
 ということであり、断らなければいけない方も、相手をいかに傷つけないようにしないといけないということで。必死に考えるのであった。
 しかし、これは、
「親しき中にも礼儀」
 というものであり、頼み事頼まれごとというのは、それぞれに節度ある考えで望まないと、話がこじれるだけであった。
 そんなことは、お互いに分かっていることであろう。
 だから、本来なら、どちらかが、折れるということをしないといけないのだが、依頼する方とすれば、切羽詰まっているので、話を持ち出した手前、引き下がるわけにはいかない。
 ということになると、頼まれている方が、
「いかに、相手の溜飲を下げるか?」
 ということが問題になるのであり、頼まれた方は、気が弱かったり、同情に流されてしまうような人間であれば、堂々巡りを繰り返すばかりだった。
 特に、
「相手の話をちゃんと聞いてあげないといけない」
 ということで、話の内容によっては、キチンと見切りをつけて、断るということをしないと、お互いに引くに引けなくなってしまう。
 本来であれば、
「頼みごとをする方が圧倒的に立場が不利であるはずなのに、頼まれている方が優柔不断であれば。いつ立場が逆転するか分からない」
 ということになってしまうことであろう。
 それを考えると、
「階段を上がってきて、最初のように、対等に話をしているのはよかったが、頼む方が、しびれを切らして、困窮のお願いをするようになると、立場の逆転というのは、目に見えている」
 といってもいいのではないだろうか?
 そんな状態を見ているのは、まわりの木々であったり、吹きすさんでいる風、そして、あたりを必要以上に明るく照らしている、
「月明かり」
 というものではないだろうか?
「月にはウサギが住んでいる」
 というが、その日の月の明るさは、
「まるで、地表にそのウサギというものをくっきりと影のように浮かびあがらせているかのようではないか?」
 ということであった。
 その神社、まさに、田舎でいえば、
「鎮守様」
 といってもいいところなのかも知れない。
 といっても、この街はそこまで田舎というわけではなく、かといって、
「都会のど真ん中」
 というわけではない、いわゆる、都心部へのベッドタウンと呼ばれるようなところであった。
 街はすっかりマンションが建ち並んでいたので、鎮守といっても、本当に小高い丘というところで、もし、これが明治時代くらいであれば、あたりでは一番高いところといってもいいのではないだろうか?
 境内に上がる石段は、いわゆる、
「野面積み」
 といってもいいような、
「ただ石を並べているだけといった規則性のなさから、横にある金属製の手すりをもって上らなければいけない」
 というようなところであった。
 昔の
「青春熱血教師が出てくるようなドラマ」
 であれば、そこでうさぎ跳びの特訓をさせているような光景が目に浮かんでくるであろう。
「今であれば、体罰と言われても仕方がない」
 というような仕打ちであった。
 しかも、石段が不規則ということもあって、実に特訓には、うってつけといってもいいだろう。
 そんなところなので、普通に上るだけでも、結構きつかったりする。
 昇り切ったところのその奥に境内があり、その後ろは結構大きな森のようになっている。
 裏にまわるには、境内の横にある社務所の横を通れば行けるので、別に立ち入り禁止ということもなく、子供が普通に遊ぶには、ちょうどいいところであった。
 ただ、裏庭の途中に井戸があり、そこは、今では空井戸になっていて、危ないということで金網が上からかぶされている。