「共犯の因果応報」と「一周回った完全犯罪」
何しろ、もう二十年以上も前の事件、昔であれば、殺人でも、時効が成立しているという期間である。
とてつもなく長い期間なので、その間に、数えきれないほどの事件があり、日々それに追われているので、誰が、鈴木刑事と牧田刑事の関係を分かるというものか、
しかも、二人とも元警察官と言っても、二人ともが二十年前に辞職しているのだ。
「辞めた時期が近い」
ということと、
「同じ所轄の人間」
ということで、話題になったのだが、
「辞めた時期が近い」
と言っても、一年も離れていないというだけで、しかも、二人は課だって違っていたではないか。
しかも、かつての二人ともを知っている数少ない人に聞く限り、二人の間に接点はないという。
あくまでも、距離的には微妙であるが、
「まったく関係ない」
と言い切れない思いが清水刑事にはあった。
鈴木刑事の殺されていた現場においては、
「何か策が催されている」
ということであったが、牧田刑事が殺されたところにおいては、
「別に何か細工が施されているわけではなかった」
ということである。
しかも、
「最初に死体が発見されたのは、牧田刑事の方が先で、鈴木刑事は後だった」
牧田刑事の死体発見というのは、鈴木刑事の死体が発見される数か月前だったのだ。
それは、
「死体が発見された時期としては、数か月も離れているので、普通であれば、連続殺人などという発想は浮かんでこないはずである」
しかし、司法解剖によって、二人の死亡が、
「実は牧田刑事の方が後で、鈴木刑事の方が先だった」
ということになると、余計に、
「連続殺人ではないか?」
という発想が大きく頭をもたげてきたのであった。
大団円
連続殺人ということにおいては、清水刑事は疑問を持っていた。
その理由として、まず、
「犯罪のパターンが違っている」
ということであった。
「鈴木刑事は、刺殺であり、牧田刑事は絞殺だった」
ということ、そして、
「鈴木刑事の死体は隠そうとしているからなのか、山城址に放置しておいたのだが、実際には、見つかるようにしておいたり、死体を動かしたことがわざと分かるようにという、わざとではないかと思うような細工が、不細工な形で施されているにも関わらず、牧田刑事は、まったく何の細工もしていない」
だからこそ、
「死体発見と死亡時期に差異がある」
ということになったのだろう。
それを分かれば、
「そこには何かの理由がある」
と思って、アリバイなどに関して、意識が行ってしまうということになるだろう。
さらに、この事件においては、
「連続殺人とするには、二人を殺したいほど憎んでいる」
という人が見当たらないのである。
つまり、
「二人を殺さなければいけない」
という動機を持った人が見当たらないのだ。
そうなると、考え方を変える必要がある。
その一つとしては、
「犯人が一人ではない」
という考え方で、それは、
「共犯がいる」
ということとは、別の意味での、
「犯人複数説」
である。
そこで、二つ、事件に関して考えられることがあったのだが、一つは、
「まず、牧田刑事が、鈴木刑事を殺害する」
という考え方であった。
そして、
「牧田刑事を殺した犯人が別にいる」
ということであるが、それを知られたくないということから、
「真犯人が、牧田刑事を利用した」
と言ってもいいのかも知れない。
つまり、
「この事件は、牧田刑事と、鈴木刑事の二人が、実際には関係があるにも関わらず、関係があるというkとを知られると、終わりだ」
ということである。
逆にいえば、
「知られなければ完全犯罪になる」
という考え方であった。
真犯人の、本当の目的が、
「牧田刑事の殺害」
なのか、
「鈴木刑事の殺害」
なのかということで変わってくる。
実際に、
「鈴木殺害が本来の目的である」
ということであれば、
「殺害目的を他の人間にやらせる」
ということで、余計に事件がややこしくなって、事件の真相にたどり着かない。
そして、この鈴木殺害というものの実行犯が、
「二十年前に起こった事件の犯人とされた、いや、表向きには、犯人として出頭させられた西田」
であるということであれば、これは、完全犯罪と言ってもいい。
西田は、かつての、
「和田という男が殺された時の、犯人の身代わりになった」
ということで、この、
「カラクリ」
などに関しては、
「それなりにノウハウというものを持っている」
ということであった。
だから、
「今回の殺人にも、その頭脳の片腕として、真犯人の計画に組み込まれたのであろう」
そして、この二十年の間に隠しとおせるというはずのものを、鈴木刑事に見抜かれることになったのかも知れない。
真犯人が、二十年前にどのようなかかわりを持っていたのかということは、まだ犯人が捕まっていないのでハッキリとはしないが、鈴木刑事に、何か、
「決定的な証拠」
のようなものを握られて、
「生かしてはおけない」
ということになったのかも知れない。
ここで、二十年前の犯人が、
「偽の犯人を出頭させた」
ということには、大きな意味があった。
というのは、
「日本という国は、一つの犯罪に対して、裁判となり、一度刑が確定してしまうと、それ以上の審理はできない」
という法律がある。
つまり、
「もし、刑に服した後で、犯人が見つかっても、裁かれることはない」
ということで、
「一事不再理」
という。
「これこそ、完全犯罪なのだ」
ということになるのであろう。
しかし、それも、
「もし、共犯がいて、
「それが後で起訴されることはあるのか?」
ということがハッキリと分かっていなかったので、二十年前の犯人が、
「共犯」
ということで起訴されるかも知れないと怯えたことから始まった計画だった。
だから、
「二十年前の事件の後始末」
ということで考えられたのが、
「その時にかかわった連中を消す」
という妄想に憑りつかれていたのかも知れない。
そんな時、鈴木刑事が、真犯人の計画に気づいたとして、本当は、自分なりに諭すつもりだったのだろうが、それが実際にはできなかったことで、殺されてしまったのだろう。
そして、その共犯として利用したのが牧田刑事だった。
しかし、これは、因果応報というもので、
「共犯を使うということは、元々二十年前に共犯というものを使ったために、今こうして苦しんでいる」
ということが分かっていないのだろう。
真犯人は、頭もよく、
「冷静になれば、素晴らしい推理力を発揮する」
と言っても過言ではない人であるにも関わらず、
「また同じ過ちを犯そうというのか?」
といえる。
それこそ、
「因果応報だ」
という意味がそこからくるということの証明だと言ってもいいだろう。
「今度の事件の真犯人は、まるで、月のようなものだ」
と考えられる。
犯人は、自分が
「一番絶対に安全な場所にいて、誰にも疑われない場所にいるにも関わらず、策を弄しようとする」
ということで、
「念には念を入れて」
作品名:「共犯の因果応報」と「一周回った完全犯罪」 作家名:森本晃次