「共犯の因果応報」と「一周回った完全犯罪」
確かに何も好き好んで、危険な現場に足を踏み入れる必要もない。
かと言って、
「刑事になった以上、それなりの仕事というものをしていきたい」
という思いもあったのだ。
実際に、いくつもの署を回っていると、比較的暇な署もあれば、立て続けに事件が発生するところもあった。
その都度、
「臨機応変に対応する」
ということで、二十年間を過ごしてきたが、今になって思うと、
「気になる事件というのも、結構あったりしたものだ」
ということだった。
ただ、心残りだった事件の中で、
「鈴木刑事が辞めるきっかけになった事件」
というものが引っかかっているというのも事実だった。
ただ、事件としては、疑問こそ残りはしたが、
「平和に決着した」
ということでは、不満があるわけではないのだが、自分の中にある、
「納得」
という意味で、どうしても、納得できないことがあり、それが、
「理不尽だ」
ということになるのだ。
さすがに、鈴木刑事のように、
「理不尽だから、刑事を辞める」
というところまでは思わなかった。
確かに、鈴木刑事のように、若さに任せて、一直線に物事を考えるということはなかった。清水刑事も若い頃はあったわけだし、ある意味、
「鈴木刑事に比べて、熱血刑事というものに、子供の頃憧れたりもしていた」
と言ってもいい。
鈴木刑事と、清水刑事は、年齢としては、15歳近くは離れていた。
それは、時代の流れから考えて、その時の、15歳差というものが、どれほどのものだったのかということを考えると、
「激動の15年」
ではないかと思うのだった。
それは、
「バリバリに刑事として現場の仕事をしている時期」
というのが、ちょうど、20世紀と21世紀になってからでは、科学の発展という意味では21世紀の方が大きいのかも知れないが、20世紀末期に、
「パソコンの普及」
「DNA鑑定などの爆発的な進歩」
というものがあったからこそ、今の科学捜査が確立したわけであり、
「確立期」
なのか、
「発展期」
なのかということで、その進歩の基準が違うということで、
「鈴木刑事が、まだまだこれからだった」
ということで、それも含めて、
「残念だった」
と思わずにはいられないのであった。
鈴木元刑事の遺体が発見されたのは、倉庫が並ぶ一帯であった。
同じ県内ではあったが、元々二人が勤務していた警察署からは、かなり離れている。
どちらかというと、都心部のベッドタウンと言ってもよかったのが、二人で勤務していた二十年前の所轄だった。
しかし、二十年という差があるとはいえ、今の所轄は、
「犯罪件数は決して少なくはない」
と言われるところで、実際には人口も面積もベッドタウンだったところに比べても多く。それは二十年前から、この二つの市の力関係は変わっていないことだろう。
ここは、県庁所在地からは遠いところであるが、人口は三十万人以上いて、
「県内有数の都市」
と言ってもいいだろう。
昔は、炭鉱で賑やかだったところであるが、今ではすっかりその顔を変えていて、
「観光やレジャー」
というものが、発展しているというところであった。
それでも、
「順風満帆だったわけではない」
何といっても、炭鉱がなくなった時というのは、人口が極端に減り、下手をすれば、三割くらいも減った時期があったくらいだ。
さすがに、市も県もその対策には頭を抱え、
「商業都市というよりも、レジャー、観光でいこう」
というスローガンから、誘致合戦を繰り広げた。
それが、最初は、
「バブル期の、テーマパークブーム」
というものに乗っかり、産業が豊かになったのであった。
「町おこしの成功例」
ということで、全国から取材に来たり、自治体が、
「モデルにしたい」
ということで、話を聴いたり見学に来たりということで、ある意味、有頂天だったという時期であった。
だが、それも、
「バブル崩壊」
というもので、悲惨な状況に追い込まれた。
実際にバブルというものは、
「目に見えない」
あるいは、
「実態のない泡のようなもの」
ということで、
「バブル経済」
と呼ばれたのだ。
実態がないので、歯車が狂えば、取り返しがつかないことになるということくら分かりそうなものであるが、それはあくまでも、
「結果論」
というもので、実際に、そのバブルの崩壊によって、
「誰もが初めて気づいた」
ということだったのだろう。
今であれば、その全体像が、歴史としての、
「過去の事実」
として、検証もされたことで、
「何が悪かったのか?」
などということも、言われているだろうが、その理由に関しては、ほぼ大体のバブル経済と、その崩壊というものを経験した人には、分かるというものである。
その後、少しずつ復活していく中で、また世界の問題として、
「時々発生する。金融機関などの破綻によっての、恐慌というものがあることで、またしても、底辺に追いやられることになるのだ」
しかも、
「日本の社会は、世界に類を見ないと言われるような、独特な体制を持っている」
と言われている。
それが、
「終身雇用」
というものと、
「年功序列」
というものであった。
これは、昔からの、
「人間と企業の関係」
ということで、戦後復興の中心にある考え方だったと言ってもいいだろう。
鈴木元刑事の死体が発見されたのは、三日前のことだった。ここ10年くらいの間に、歴史という学問が、革命的に発展したような気がするのは、一部の学者だけのことではなかった。
何といっても、今まで言われてきた、
「歴史上の事実」
とまで言われてきた、神話のようなことが、最近の発見などで、ことごとく、
「迷信である」
とまで言われるようになってきたからだった。
実際に、最近では、毎年のようにいろいろな斬新な発見が行われるようになった。
大きなものとして、
「聖徳太子はいなかった」
という説である。
肖像画も、今分かっている時代考証とは違うもので、実在したと言われる時代に、
「あるはずのないもの」
があるということから、肖像画は、ウソであるというウワサが流れたことであった。
聖徳太子というと、
「冠位十二階」
「十七条憲法」
などで有名で、何といっても、かつての、
「一万円札や五千年札の肖像」
ということで有名だ。
さらには。前述の
「十人のまったく違った人が同時に話をしたことを聴き分けたと言われる聖徳太子のようではないか?」
という逸話が一番馴染みのある話ではないだろうか?
それが嘘だということで、今では、
「厩戸王」
と言われている。
さらに、有名な肖像として、かつての、幕府の署代将軍の、鎌倉では、
「源頼朝」
足利幕府では、
「足利尊氏」
と。それぞれに肖像画が残っているが、それもウソだったというではないか。
「源頼朝」
が、足利尊氏の弟である、
「足利直義ではないか?」
と言われ、
「足利尊氏」
が、自分の配下で、執事の職にあった。
「高師直ではないか?」
と言われている。
さらに、鎌倉幕府の成立年ということで、今までの、
作品名:「共犯の因果応報」と「一周回った完全犯罪」 作家名:森本晃次