「共犯の因果応報」と「一周回った完全犯罪」
警察だってそうだ。清水刑事も。鈴木刑事も、起訴してから、刑の確定までは、それなりに意識はしていたが、その間にも、自分たちの仕事はあるわけで、時間は待ってくれない。本当の殺人事件はなかなかないと言っても、それは、他の街に比べてというだけで、まったくないわけではない。だからこそ、発生した時は、その時と同じように、おかしな犯罪が多かったりするのだ。
中には、
「耽美をつかさどる」
というような犯行もあり、実際には、
「精神異常者による犯行」
を思わせるための偽装工作だったりした。
それも、犯人を捕まえてみれば分かることで、ずさんな犯行も多かった。やはり今の時代に、探偵小説のような犯罪は、トリック的にほとんど使えないといってもいい。それだけ科学捜査や、世の中に防犯カメラなどが溢れていると言ってもいいからであった。
だからと言って、検挙率が上がったわけでもなければ、犯罪件数が減ったわけではない。もちろん、目に見えた効果は出ているのだろうが、なぜか、そこまで数字に表れることはないようだった。
それでは、警察としても、あまりいい傾向だとはいえないのであった。
そういう意味で、
「警官の人手不足」
ということにもなるのだろう。
目に見えて分かるのは、交番所の数が減ってきたことだった。昔であれば、主要な辻の角といえるようなところには、小さかったが、派出所というものが存在し。警官が立っているというイメージがあった。
しかし、今は、その交番も、
「大きな街いくつかに一つあるくらいだ」
と言ってもいい。
昔の派出所というと、
「おばあちゃんが道を尋ねるのに中に入ると、制服警官が出てきて、おばあちゃんの腰をさすりながら、身振り手振りに説明している」
という光景が目に浮かんでくるようであった。
しかし、今の交番というと、少々でかい部屋に、常時、2,3人が勤務していて、定期パトロールに出ると、交番は空になってしまうということになるのだ。
だから、カギを閉めて、
「ただいまパトロール中」
の札を掛けておくということになるのだろう。
昔の派出所であれば、前には、自転車が置かれているというイメージだが、今はパトカーに乗っての捜査であり。パトカーでなければ、その管轄内をとても、パトロールなどできるものではない。
ともいえるだろう。
そういえば、交番の数が減ってきた時など、交通事故の通報をした時など、ちょっとした物損事故くらいであれば、警察が現場に赴くことはせずに、被害者と加害者に、
「近くの交番に出頭してください」
と言って、交番に来させるか、
「所轄の交通課」
に出頭させるかなどをしていた。
今はどうなのか分からないが、少なくとも、そんな時期があったのは、事実であったのだ。
人手不足というのは、何も警察に限ったことではない。世の中には、人手不足で悩んでいるところはたくさんあるようだ。
その原因はさまざまであるが、
「○○年問題」
などと言って、大きな社会問題になっているのも事実だった。
これは基本的に、
「法律改正に伴う問題」
というものが大きかったが、それも結局は、事業主と労働者の問題ということでもあり、人手不足が深刻なことで、それまで加速してきた、
「サービス」
というものが、人手不足を理由に、なくなっていき、どんどん、不便になっていくという問題があるのであった。
特に、目の前にぶら下がっている。
「2024年問題」
などというと、
「運送業、医療に携わる医者」
が、主にその対象と言われている。
運送業では、
「宅配などの配達業務」
「バス、タクシーなどの公共交通機関のドライバーの不足」
というものである。
これは、
「時間外労働の上限を、政府が法律で定めた」
ということであるが、聞こえはいいが、
「どうせ、政府が自分たちのためにだけ考えて実施することなんだろう」
と思われてもしかたがないだろう。
それだけ、政府の政策は、
「自分たちのことだけしか考えていない」
と言ってもいい、
「増税」
「定年年齢の引き上げに伴い、年金支給の時期の引き上げ」
さらに、その年金額も、どんどん減って行くわけである。
市県民税や健康保険料の増額なども、どんどん行われていて、
「月給のうちのどれだけを、税金で持っていかれるか」
ということである。
いくら税金が高くても、
「老後が、悠々自適」
というのであれば、それもしょうがないと思うのだが、実際には、
「年金制度崩壊」
といってもいい状態で、
「今の若い連中は、年金がもらえないのではないか?」
ということになる。
「納税や労働が国民の義務として憲法に定めているのであれば、政府が年金を出すのも当たり前というもので、それができないのであれば、納税の義務はおかしい」
と言ってもいいだろう。
「だったら、国家の経営などできない」
と政治家はいうだろうが、
「こんな時代にしたのは、政治家のせいではないか」
と国民からすればいいたいだろう。
政治家としても、
「そんなのは、自分たちよりももっと昔の人たちだ」
と言ったところで通用するものではない。
「だったら、今の政府が、これ以上悪くならないように、改善すればいいではないか」
という理屈になるのだろうが、時間が待ってくれるわけもなく、結局は、
「手遅れだ」
ということになるのだろう。
そうなると、
「日本という国家は、余命どれくらいなんだろう?」
ということになり、それすらわかる医者のような人が、いるはずもないということになるだろう。
もし、それを分かっている人がいて、警鐘を鳴らしていた人がいたとしても、
「政府によって、握りつぶされている」
というのが実態だろう。
「よく映画のサスペンスなどでテーマとして挙がっているが、それは海外もので、なかなか日本ではそれを描くことはない。映像にすると、刺激が強すぎるということであろうか?」
とにかく、日本は、
「臭い者には蓋をする」
という国家であった。
「ドライバー不足」
という問題も、特に、
「タクシー問題」
というのは、目に見えている。
「大都市の中心ターミナルのロータリーには、タクシー乗り場ができているのであるが、普段の平日は、夕方であっても、以前であれば、タクシーの数は多いが、乗降客はそんなにいない」
というのが問題だった。
だから、平日で、タクシーが出払っているというと、金曜日の夜くらいのもので、それ以外は、タクシー乗り場には、閑古鳥が鳴いていたのである。
しかし、今は逆に、
「平日でも、金曜日に限らず、タクシーが出払っていることがほとんどだ」
という状態であった。
だから、タクシーの配車センターに電話を入れても、
「今、近くにタクシーはいません」
と言われたり、
スマホの配車アプリでタクシーを探しても、結局は、
「近くにいない」
という検索結果しか出てこないということであった。
「利用客が数年の間に、爆発的に増えた」
ということであれば、タクシー会社としても、
「嬉しい悲鳴」
といってもいいかも知れない。
しかし、
「利用客が増えたわけではない」
作品名:「共犯の因果応報」と「一周回った完全犯罪」 作家名:森本晃次