もろ刃の剣の犯罪
と呼ばれている時期で、そもそも、探偵小説というのは、欧州でできて、日本に入ってきたものだ。
ということであった。
ただ、その時代には、あらかたのトリックのようなものは出尽くしていて、
「後はバリエーションの問題」
と言われるくらいまで、
「完成度の高い作品も結構あった」
と言われている。
実際に、探偵小説というものを分類する、
「作家兼文学研究家」
と呼ばれる作家先生がいて、その人が提唱したものに、
「本格派探偵小説」
と
「変格派探偵小説」
と呼ばれるものがあったのだ。
「本格派探偵小説」
というのは、
「利発な探偵や捜査官が、犯人が考えたトリックを鮮やかに解き明かし、切れ味鋭い推理力で、事件を解決する」
というストーリーであった。
「変格探偵小説」
というのは、
「それ以外」
という、曖昧な言われ方であったが、当時としては、
「異常性癖」
であったり、
「猟奇殺人」
などと言われるものが多かった。
そして、明治後半くらいから言われるようになった作品の中に、
「耽美主義的な作品」
というものが現れてきて、それも一つの、
「変格派探偵小説」
と言われるようになったのであった。
探偵小説
「耽美主義」
というものは、探偵小説の歴史よりも古い。
実際に、古代文明の時代からあったもので、それは、文学作品に限ったことではなく、絵画や彫刻と言ったものにも表れている。
つまり、
「芸術全般」
というものに、耽美主義的な発想が現れているというわけである。
「耽美主義」
というのは、
「倫理やモラルなどを度返しして、美というものをひたすら追求するもの」
というように定義されているものである。
つまりは、
「犯罪であったり、人間的なモラルがなくても、そこに美というものさえ存在すれば、美というものが、何よりも最優先される」
というもので、実に恐ろしい発想だといえるだろう。
古代ローマ皇帝であった、
「ネロ」
が、
「自分独自の芸術のために、街を焼き払う」
という話を聞いたことがあるが、それこそ、
「耽美主義の典型的な例」
といってもいいのではないだろうか?
つまりは、
「美という芸術のためには、いかなる犯罪も正当化される」
というもので、探偵小説というものの考え方に一番、似合っているというものではないだろうか?
それを考えると、実に恐ろしいというもので、
「探偵小説であれば許されるが、実際に行われると、大変なことになる」
ということだったのだ。
戦前の日本というと、大正時代くらいから、混沌とした世の中になっていた。
「大正デモクラシー」
などの運動から、政府は、どんどん新しいのができて、すぐに崩壊していく。
特に、
「大陸問題」
というのが深刻化してくると、
「軍と政府のわだかまり」
というのも、水面下では続いているのであった。
それに追い打ちをかけたのが、
「関東大震災」
というものではなかったか。
「都市直下型の大地震が、帝都を見舞う」
廃墟となった帝都には、焦土の臭いと、煙が充満していて、
「マスクをしていないと、病気になる」
というほどで、
「帝都復興」
というものが、最優先であった。
それでも、さすがの日本。相当なスピードでの復興がなされたが、さらに追い打ちをかけたのが、
「世界的な大恐慌」
というものと、さらには、
「社会主義やファシズムの台頭」
というもので、日本は大陸への進出に意欲を燃やしていたのだ。
さらに、農村部の不作が重なると、
「人口の増加に食料が賄えない」
という問題が起こり、その解決策として、
「満州事変」
というものが勃発したのであった。
時代は、軍による、
「派閥争い問題」
から、
「226事件」
という軍事クーデターに発展し、いよいよ、軍主導による、
「大陸進出」
というものが、行われた。
それが、
「欧米列強を刺激する」
ということで、結果的には、
「破滅への道」
と言われた、
「大東亜戦争」
というものに入っていくことになったのだ。
大東亜戦争は、陸軍の、
「マレー上陸作戦」
あるいは、海軍の、
「真珠湾攻撃」
と言われる同時軍事行動から始まったと思っている人が多いかも知れないが、
「閣議決定」
ということで、
「大東亜戦争」
と命名された時には、
「中国と全面戦争に突入したシナ事変からを言う」
ということになっているのだ。
そもそも、この
「大東亜戦争」
というのは、
「東アジアの諸国が、欧米から植民地化されていることを懸念した日本が、東アジア諸国を、某米の支配から解放し、東アジアつまり、東亜に、新秩序を建設することを戦争目的とする」
ということから始まっているのである。
だから、どうしても、
「シナ事変からの戦闘」
というものを。日本における戦争と位置付ける必要があるのだ。
シナ事変勃発から、欧米が圧力をかけてきて、
「経済封鎖」
というものに踏み切ったことで起こった戦争だということにする必要があるかであった。
実際に、国内では、米英蘭に宣戦布告する前から、
「挙国一致」
ということで、戦時体制に突入していたのだ。
そんな時代に突入し、
「欲しがりません勝つまでは」
などという標語が生まれたりしたのは、その頃からであった。
実際にその頃から、
「食料は配給制」
であったり、
空襲を想定した避難訓練や、消火訓練というものも行われていた。
灯火管制や、防空壕の建設も行われていて、すでに、
「空襲を想定していた」
というのは、
「建物疎開」
に近いものがあったことからも分かることである。
そんな時代を、今となっては、想像もできないが、今でも、戦時中の映画をテレビで再放送することもあるので、よく見たりしていた。
特に、須藤は探偵小説が好きだったということもあり、戦前戦後という時代に、大いなる興味を持っていたのだ。
「舞台が、戦前戦後」
という想像もつかない時代ということで、そもそも、
「小説はフィクションが好きだ」
と思っていたので、余計にそう感じるのだった。
とはいえ、須藤は、歴史も好きだった、
特に、戦国時代などが好きだったのだが、それを、
「ミーハーだと思われたくはない」
と感じていたのは、
「戦国時代が好きだ」
といえば、皆が思うことであり、
「そもそも、自分は、皆と同じという感覚が嫌いなんだ」
と思っていた。
ただ、
「教養として勉強しようと思ったことで嵌ってしまった」
と自分では思っている。
しかし、最近では、
「歴史に興味を持つ」
という人が増えてきた。
そのほとんどは、
「ゲームやアニメで興味を持った」
という人が多く、特にここ数年で、
「歴女」
と呼ばれる女性の歴史ファンが多くなってきたということであった。
まわりの歴史好きの人で、ゲームやアニメから入ったわけではない人にとっては、本来であれば、
「ゲームやアニメで興味を持つのは邪道だ」
と思ってしかるべきだと思うのに、