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もろ刃の剣の犯罪

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 というものは、交通の便から考えても、難しかった。
 かといって、
「郊外型のスーパー」
 などを誘致するというのは、無理があった。
 というのも、
「駅から遠すぎるので、公共交通機関からくる人の集客が難しい」
 ということで、こちらも、
「一度計画はしたが、うまくできるものではない」
 ということになったのだ。
 ちょうどいいことに、
「この湖畔を買いたい」
 という、
「開発会社」
 が現れて、しかも、
「開拓するのに、幾分かの費用を持つ」
 ということだったので、市とすれば、
「願ったり叶ったり」
 ということで、二つ返事で了承したのだった。
 設計はもちろん、佐久間教授が担うことになった。
「今までは、都心部ばかりだったので、郊外は大丈夫か?」
 という話もあったが、元々、公園の設計で、准教授時代からその力を発揮したというのは、
「郊外型の公園だった」
 ということであった。
 だから、佐久間教授にとっては、
「飛んで火にいる夏の虫」
 という状態だといってもいいだろう。
「今回の計画は、チームで行おう」
 と佐久間教授の考えだった。
「これからの公園は、郊外の方が需要があるかも知れない」
 と、佐久間教授は思っていた。
 何といっても、会社にしても、住宅にしても、ドーナツ化というものが巻き起こっていた時代から考えていたことだった。
 要するに、
「郊外が、一つの大きな街になる」
 という考えだったのだ。
「郊外を娯楽だけのために使うのはもったいない」
 という考えで、
「かねてから、郊外に人が流出しているということもあって、いまさら都心部を開発する時代でもない」
 といっていた。
 にも関わらず、
「矢富公園のようなところを開発するのは、理屈に合っていない」
 といえるのだろうが、佐久間教授としては、別の考えがあるようだった。
「公園というものが、都心部でいらなくなる時代は、まだまだ先だ」
 と考えていた。
 それよりも、
「都心部は今はまだ見えていないが、別の形で生まれ変わることになるだろうが、その中心に公園というものができていないといけない」
 と考えていた。
「都心部を、かつての閑散地帯のようにすることで、ただでさえ、家賃の高さから、郊外に企業が事務所を移すことを考えると、それに見合うだけのものを売り物として考えなければいけない。つまり、家賃が取れるだけの土地ということにする必要がある」
 ということであった。
 それには、
「インフラが整っている」
 ということを武器に、考えることができるのが強みだと思っていたのである。
 ?区の計画を佐久間教授が考え始めた頃、矢富公園で奇怪な殺人事件が起こった。
 季節は飽きが深まっていた頃で、文字通り、
「秋のない年」
 という言葉が似合っているような、
「冬の到来を感じさせるような木枯らしが吹き荒れる頃」
 のことだった。
「この間まで、南方の海では、台風が発生したなどといっていたのにな」
 と噂する人がいるくらいで、この年は、気象庁の記録といってもいいくらいに、台風の発生数は多かった。
 それでも、日本に上陸する台風は、それほどなかった。
 それだけ日本が暑かったということで、台風を近づけないほどの猛暑が、夏の時期には日本列島を覆っていたといってもいいだろう。
「太平洋高気圧の猛威はすごいものだ」
 と思っていたが、台風除けになるということは、ある意味よかった。
 夏が到来する前の、梅雨の末期には、最近は毎年のように、水害に襲われる。この年も例外に漏れず、全国各地で、水害に見舞われた。
「線状降水帯」
 なるものが発生し、被害をもたらすのだが、この発生を予知することは、今の気象庁の力では、ほぼ無理だということで、なかなか被害を食い止めるのも難しかった。
 ここ数年の間に起こってきたことなので、気象庁も、そろそろ予知日必要なデータがそろっているのではないかと考えられるが、今のところ、
「予知することは難しい」
 ということだった。
 そういう意味でも、夏の台風の被害が少ないことは、幸いだったとしかいえないのであろう。
 矢富公園では、普段は夜になると薄暗くなり、公園としての機能は、
「昼間だけ」
 といってもよかった。
 何といっても、
「オフィスビル街の中庭」
 といってもいいくらいなだけに、普段は夜は静寂に包まれていた。
 しかし、年末のイルミネーションは、この矢富公園にもあるようで、普段は日暮れとともに、その役目を終えるといってもよかったが、年末は、11月からイルミネーションが鮮やかなので、まるで、夏祭りの様相を呈しているかのようだった。
 だが、イルミネーションがいくらついているからといって、夜、いきなり賑わうというわけではない。何といっても、寒さが募っているので、いくら明るいといっても、その場所に長居をするのは無駄なことだと思っていることだろう。
 せめて、公園内を通って、駅に向かうという程度で、立ち止まったり、ベンチに座る人というのも、少ないのではないだろうか・
 それでも、11月の頭くらいは、
「そろそろ年末だな。これから繁忙期で忙しくなる」
 ということを考えながら、ベンチで一休みする人もいる。
 そんな人は、誰かと一緒にいるということもなく、一人で、物思いにふけるという人ばかりではないだろうか?
「仕事に疲れて一休みする」
 ということか、それとも、
「電車の時間調整に使う」
 という人かのどちらかであろう。
 もちろん、電車の時間に合わせて会社を出ればいいのだろうが、
「仕事が終わったのに、会社の中にいたくない」
 と思っている人は、時間を気にせずに、会社を後にすることだろう。
 結局、駅に行かなければいけないわけだが、駅にいっても、サラリーマンがうろうろしているのを見るだけのことで、
「会社にいるよりはまし」
 というだけで、駅にいても、何も楽しくないと思うのではないだろうか>
「見えるのはサラリーマンばかり」
 もちろん、学生もたくさんいるのだが、自分がサラリーマンであれば、サラリーマンにしか目が行かない。学生であれば、目が行くのは学生ばかりということで。同じ場所にいても、立場が違えば、その光景はまったく違ったイメージで映ることであろう。
 夕方の時間帯など、学生であれば、
「この時間でもまだ学生が多いというのは、これから遊びにいく人と、遊びから帰る人とが、行きかう時間になっているのではないか?」
 と考えるからで、サラリーマンであれば、
「ちょうど、帰宅ラッシュの時間帯だ」
 と思う。
 中には飲みにいく人も多いのだろうが、どの人がこれから飲みに行くというのか、なかなか判断がつかないと思う人も多いだろう。
 ただ、11月になって、イルミネーションが明々と照らされるのを見ると、
「皆、これから飲みにいくように見えて、不思議な感じがする」
 というものであった。
 駅前ともなると、いろいろなイベントをやっている。午後5時くらいから、西洋屋台のようなものが出ていて、駅前広場の奥にはステージができていて、西洋の音楽が奏でられていたりする。
作品名:もろ刃の剣の犯罪 作家名:森本晃次