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もろ刃の剣の犯罪

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「そこにあっても、まったく意識することはない」
 というもので、
「見えているのかいないのか?」
 というたとえ話になるのであった。
 例えば、河原にぞんざいに置かれている石ころ。置かれているというよりも、
「散乱している」
 と言った方がいいだろう。
 そんな石ころは、雑草にまみれる形で、普段は見えない存在ということなので、最初から、意識されるというものではないだろう。
 だからこそ、見えていないと思われがちになり、
「石ころというものは、意識されないものの代名詞」
 と言われるようになったのかも知れない。
 河原にある草は、雑草として、人の身体の腰よりも上くらいまで伸びている。
「やはり、水を吸い込んでいるということが、雑草であっても、大きく育つということになるのだろう」
 と考えるが、
「雑草であるからこそ、余計に力強いのかも知れない」
 といえるだろう。
 それも、
「石ころのように、意識されない」
 ということでの逞しさというものがあるのだろうか。
 それを考えると、
「人から気にされない人間」
 というものほど、雑草のように、目に見えない力を発揮するのだといっておいいのではないだろうか?
 都心部や繁華街における、
「公園の存在」
 というのは、まさにそのことに近いといえるのではないだろうか?
 人知れず存在はしているが、気になる人にとっては、これ以上大きなものはないといってもいい。
 実際に、
「街中にあって、これほど広いと感じさせるものはない」
 といえるだろう。
 そういう意味では、
「影武者のような存在」
 といえるだろう。
 ただ、
「影武者というのは、少しニュアンスが違い、本当に隠さなければいけないものに対して、偽物である自分が目立たなければいけない」
 というものであり、
「それが、自分の存在意義」
 ということであることを自覚しなければいけないのだ。
 だから、
「影武者というのは、石ころであってはいけない」
 ということで、
「影武者に対してのものが、石ころであり、石ころに対してのものが、影武者だ」
 ということになるのであった。
 つまりは、
「影武者も、石ころも、お互いがなければ存在できない」
 ということであり、ある意味、
「存在意義が一番意識されなければいけないもの」
 ということになるのであろう。
 それを考えると、
「都心部の公園というのは、何に対しての影武者であり、もしくは、石ころなのだろうか?」
 ということになるのだ。
 それをいまさらのように考えさせられたのが、今回起こった、
「奇怪な事件」
 というものであり、その事件が、
「なぜ起こったのか?」
 ということ以前に、問題がいろいろあると考えると、
「前述の内容に、何かヒントが隠されているのではないか?」
 と思うのであった。
 公園の中には、芝生やモニュメントで覆われたところが多いのも、都心部の公園としては特徴的だといってもいいかも知れない。下手に林のようなものを作ると、せっかく広々とした土地を、世知辛い都会の真ん中に作るのかということで、まわりのビルから見下ろした光景にも、何かしらの見栄えに影響をおよぼすというものであった。
 そんな光景を憚るように、下から見上げた光景が、
「上から見下ろす光景」
 との違いだけではなく、その錯覚というものが、
「いかにきれいな景色を見せることで、さらに広々とした風景を醸しだすのか」
 ということになるともいえよう。
「下から見上げる光景と、上から見下ろす光景が、同じ感覚に見えるということはないだけに、逆にその錯覚を感じさせるだけの視覚を与えることができれば、これに越したことはない」
 といって、この市の公園を設計した人は言っているようだ。
 しかも、この公園を設計した人は、地元出身者で、大学も地元の大学を出て、最初は、建築会社に就職したが、その才能を見込んで大学が引き抜き、彼を、
「自治体の設計にかかわる仕事専属」
 ということにしたのだった。
 自治体側が、ちょうどその時、
「街おこし」
 ということで、
「地元の優秀な人材によって、地元を生まれ変わらせる」
 ということを目玉に押し出したことで、大学であったり、地元企業の研究所にその人材を求めていたのだ。
 大学としても、
「なるべく自治体に協力する」
 ということを、大学のスローガンとしていた。
「まだまだ、地元自治体にすがっていかないと、大学の経営がうまくいかない」
 ということもあって、自治体に対しての配慮は、万全にしておく必要があったのだ。
 だから、大学としても、
「自治体が望むことであれば、大学の卒業生の中から、いい人材を引き抜く」
 ということでの配慮だった。
 幸いなことに、
「地元企業も、事情に変わりはないようで、大学から、自治体のためと言われれば、むげに断るということができるわけがない」
 ということで、
「お互いに、歩み寄る」
 という体制ができていたので、大学側も、
「いい人材を、その企業に回す」
 という内々の約錠を結んでいるということであった。
「別に悪いことをしているわけではない」
 お互いに、身が立つように、譲歩しているというわけで、そこに、
「裏金」
 のようなものが絡んでいるわけではないので、やっていることは大っぴらにできるということであった。
 もちろん、本人の話も聞いたうえで、本人からも、
「大学に戻って研究ができるのであれば」
 ということで、本人にとっても、
「願ったり叶ったりだった」
 ということであった。
 引き抜かれたのが、ちょうど、30歳の時だったので、それから5年もしないうちに、准教授となり、それから、3年後に、教授になったのであった。
 それまでに、いくつかのビルの設計は、教授をはじめとした、
「研究チーム」
 によって作られたが、その一員となって設計に携わってきた。
「教授になると、研究チームのリーダーとしての仕事と、個人で設計する仕事の二つが任される」
 ということになるのだった。
 だから、
「教授になると、仕事は忙しくなるが、その分、地位と名声、さらには、富も手に入れることができる」
 ということであった。
 ただ、教授になったからといって、いきなり、
「個人の仕事」
 というものが与えられるわけではない。
 彼の名前は、
「佐久間教授」
 といい、研究員時代から、
「彼は、公園などの庭園の設計に長けている」
 と恩師である直属の教授からも、目を掛けられていたのだ。
 教授になるまでに、十分な修行というのもあるわけだが、教授になってからも、最初の二年は、
「教授としての修行」
 ということで、
「個人の仕事は合えり得ない」
 ということであった。
 だから、実質、
「40歳になるまでは、基本的に個人の仕事を請け負うことはない」
 ということであった。
 実際に、教授となってからの二年間、しっかりとした仕事をすることで、まわりの信任も得ることができ、先輩教授仲間からも、
「もう、立派に独り立ちさせてもいいな」
 という、
「お墨付き」
 というものをもらっていたのであった。
作品名:もろ刃の剣の犯罪 作家名:森本晃次