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もろ刃の剣の犯罪

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「生まれつきの性格と、育ってきた環境によって変化する性格というものがどういうものか、分かってきた気がした」
 といえるのであった。
 これは、皆同じというわけではない。
「持って生まれた性格と、育ってきた環境によって変わる性格の二つが存在する」
 ということは分かっているが、
「それが人によって、どの部分がそうなのか?」
 ということは違っているのである。
 もっといえば、
「持って生まれたものと、育ってきた環境が性格にはある」
 ということは、子供の頃から分かっていたが、それが人によって違っていて、それは、「その人にどのように影響するのかということは、大人になって結果論として分かってくることである」
 ということになるのだ。
 今回の殺害現場を見ていると、
「明らかに、耽美主義であり、こんなことができるのは、異常性癖からではないか?」
 ということであろう。
「殺人ということが目的だ」
 ということであれば、犯人は、なるべく警察に見つからないように考えるのが当たり前だ。
 殺しておいて、どこかの山にでも埋めてしまえば、少なくとも、なかなか死体が発見されるのを遅らせることができ、捜査のかく乱にもなるということであろう。
 昔のように、
「殺人の時効が15年」
 というわけではないので、死体が見つかってしまうと、犯人は、
「一生追われることを覚悟しなければいけない」
 ということになるだろう。
 それでも、死体の発見が遅れ、白骨化すれば、警察としても、一応の捜査はするだろうが、
「それ以上に、現在起こっている事件を最優先とするだろうから、死体の発見が遅れれば遅れるほど、捜査がされないことになる」
 といってもいいだろう。
 何といっても、
「警察官も人手不足」
 手間がかかることを、率先してするわけもない。
「警察は、何かが起こらないと何もしない」
 と言われている、
 その証拠として、
「捜索願」
 というものだ。
 警察は、捜索願が出されても、
「事件性がない」
 と判断すると、捜索しようとはしない。
「ただの家出なのかも知れないじゃないか」
 といって、動かない。
 実際に、警察のマニュアルとして、
「捜索願が出されても、事件性がないと動いてはいけない」
 と言われているに違いない。
 だから、白骨死体が出てきても、それが、殺人事件かどうか分からないのであれば、そんなに真剣に捜査しないのではないだろうか?
 しかし、今回のような、
「耽美主義的な犯行」
 というものは、
「犯人が何を考えているのか分からない」
 ということで、殺人事件として捜査はするが、捜査本部の中では、
「こんな事件は、警察の通り一遍の捜査で解決できるものなのだろうか?」
 と思っている人もいるだろう。
 何といっても、警察の初動とすれば、
「目撃者の捜査」
「被害者の身元が判明したところで、被害者の背後関係の捜査」
 というところから始める。
 被害者が女性ということで、果たして、どこまで恨んでいる人がいるのだろうか?」
 と思えば、捜査も難しいだろう。
 まず、死体の死亡推定時刻というのは、
「大体昨夜の夕方くらいではないか?」
 というのが、鑑識からの話であった。
 もちろん、解剖して見ないと分からないということであったが、誤差があっても、前後1時間くらいだろうということであった。
 そして、凶器は、胸に刺さったナイフであり、ナイフはそのまま突き刺さっていたのだった。
 須藤にそれが分からなかったのは、
「棺桶の中に敷き詰められた花で見えなかったからだ」
 ということであった。
 刑事が来てから最初に見た時も、一見、凶器は何なのかということは分からなかったのだ。
 おしろいが塗られていることで、これも一見、死亡推定時刻がすぐに分かるものではなかった。
 やはり、鑑識の人が専門的な目で見たところで、そのことが少しずつ分かったのであって、考えてみれば、ここまで大っぴらに犯行を宣伝しているのにも関わらず、まるで、すぐに、凶器であったり、死亡推定時刻というものが分からないという細工をあたかもしれいるかのように思わせるのは、実におかしなことのように感じさせるのであった。
 それを思えば。
「この事件、単純なものではないような気がするな」
 と一人がいったが、
「でもですね。それは、あくまでも、偶然というか、この細工をしたことで、曖昧になるのは最初から分かっていたことであり、犯人には、隠蔽の意識はないと思うんですが」
 というのだった。
 どちらの意見も、間違っていない気がしたが、そこで、須藤が考えていたのが、
「こういう事件というのは、意外と模倣犯というのが多かったのではないか?」
 と考えたのだ。
 つまり、過去の事件であったり、何か小説やマンガに似たような話があって、それを犯人が参考にしたという考えであった。
 須藤は、
「一度自分で思い込んだことは、よほどのことがない限り変わることはない」
 というところがあった、
 というのも、その考え方というのが、頑固であればあるほど、推理することがかたくなになってしまい、自分で推理しているつもりで、おかしな方向に行っているということを理解してしまうことで、
「そんなバカな」
 と、途中で推理を投げ出すことになっていたのだ。
 友達に話すと、
「お前の推理は結構確信を掴んでいるのに、途中で我に返ることで、その推理が中途半端になってしまうことで、結局うまくいかずに、どうしようもなくなってしまう」
 と言われ、
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
 というと、
「自分をもう少し信じていいんじゃないか?」
 と言われるが、これも、一度信じられなくなると、思ったほど推理が進まなくなり、自己嫌悪に陥ることで、推理することを辞めてしまうしかなくなるのであった。
 それこそ、
「生まれ持った性格」
 ということなのか、
「簡単に変えられるものではない」
 ということであった。
「年齢を重ねれば、人の性格は変わることはない」
 とよく言われるが、それが、
「持って生まれた性格」
 からくるものなのか、それとも、
「育った環境によって、可変的になる」
 というものなのか、須藤には分からなかった。
 だが、
「俺は性格的にはかたくななところがある」
 ということは分かっているつもりなので、
「それ以上、どうしようもない」
 と思ってしまうと、やはり、
「育ってきた環境が変わらないのだろう」
 と思うのであった。
 育ってきた環境というものを、車のハンドルで例えると、
「遊びの部分」
 と考えればいいということになるのだろうが、そのあたりを自分で分かる時と、分からない時、それぞれに、その場その場で考え方が違うことがかたくな考えを作っているといえるのではないだろうか?
 その時に感じた性格として、今まで読んできた探偵小説を思い出してみると、
「猟奇殺人」
「異常性癖」
 というものには、
「必ず、何かのモデルになったものがあるはずだ」
 と感じた。
 これは、捜査員でも、すぐに気づくことであろうが、須藤の場合は、他の人に比べて、
「瞬時に気づく」
作品名:もろ刃の剣の犯罪 作家名:森本晃次