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滅亡に追いやる夢

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「兵には、その当日まで、作戦行動を一切知らせなかった」
 という徹底ぶりだったことからも、
「確信犯である」
 ということで、天皇が怒り狂うのも、無理もないことであろう。
「大日本帝国」
 というものの体質から考えても、
「軍事クーデター」
 という性質を考えても、
「二二六事件」
 というものは、
「かなり無理のあるものだ」
 といってもいいだろう。
 だから、
「戒厳令」
 というものが出ても、それは仕方のないもので、天皇の態度が、
「決起軍を反乱軍」
 とした時点で、
「戒厳令というのは、出るべくして出された」
 といってもいいだろう。
 何しろ、政府要人を暗殺し、警視庁や、軍部の建物を占拠して立てこもっているのだから、どう見ても、
「軍事クーデター」
 である。
 三日という短期で終結したことで、戒厳令は、そこまで大げさにはならなかったが、その結果、
「軍部が暴走する」
 というきっかけを作ることになったというのは、
「反乱を起こした青年将校たちの考えていた通りだったのだろうか?」
 そんな戒厳令などなくても、日本人というのは、かなり危機感があるのだろう。
 かつての、
「大東亜損そう」
 というものが終結し、今の時代は、占領軍によって、民主主義を押し付けられ、憲法でも、
「平和主義」
 というものと、
「民主主義の超大国による、核の傘に守られる」
 という形で、
「東西冷戦」
 というものを乗り切ってきたことで、すっかり、、
「平和ボケになった」
 と言われていたが、さすがに、
「世界的なパンデミック」
 の際には、政府が
「緊急事態宣言」
 というものに乗り気ではなかったにも関わらず、そこは国民が、休業要請であったり、行動制限に掛けられても自主的に行動することで、何とか、蔓延を防止できた。
 もっとも、それが、
「結果論だった」
 ということなのかどうか、難しいところではあるが、何とか乗り切ったのは事実であり、
「いい悪い」
 というのは別にして、
「自粛警察」
 なるものも出現し、
「自分たちの治安を自分たちの力で守る」
 という機運が高まっていたのは事実だっただろう。
 もっとも、
「政府が腰抜け」
 であり、
「国民が団結しないと、危機を乗り越えられない」
 ということを国民が自覚していたからであろう。
 何しろ、パンデミックの初年度というと、政府の対策というと、
「実にお粗末」
 といってもよかった。
「ピントがずれている」
 と素人が考えても分かることであり、そんな政府を、マスゴミや、庶民が批判することで、倒すことができたが、その次にソーリになったやつは、もっとひどかった。
 さすがに、パンデミックも2年を経過してくると、いろいろと分かってくるからなのか。
「ワクチン問題」
 を筆頭に、国家の政策としては、最終的に、
「自分の命は自分で守れ」
 と言われている状態となった。
 それまでは、国家が国民の混乱を治めるための政治をしていたが、次第に、
「金がもったいない」
 とでも思ったのか、国民に対して、それまでとはまったく違い、
「国民の80%が反対」
 といっている国家行事を、何と、強行したのである。
 民主主義という、
「多数決が原則」
 という国家体制であるにも関わらず。ソーリの一存に近い形で、強硬に決行したのである。
 それを考えると、
「政府は、国民のことを考えていない」
 ということで、前のソーリの時のように、国民からの不支持で、政府は倒れることになった。
 さらに、次にソーリになったやつは、もっとひどかった。
 戦争を始めた国の片方に、支援金ということで、勝手に金を送ったのだ。
 しかも、金だけではなく武器までも送るという暴挙に出たのだ。
「平和憲法」
 というものが、
「いい悪い」
 というのは別にして、国防とは関係のないことで、戦争をしている片方の国に金をやるということは、
「中立ではない」
 ということだ。
 しかも、
「武器の供与」
 ということは、
「戦争をやって、殺し合え」
 といっているようなものだということに、どうして気づかないのだろう?
 さらに、今の時代は、
「世界的なパンデミック」
 というものの影響がまだまだ続いていて、
「他の国に金をやるくらいだったら、この国で苦しんでいる国民のために、どうして使おうとしないのだ」
 ということである。
 ソーリがやった金というのは、元々は、
「国民が憲法上の義務で供出した血税ではないか」
 ということである。
「家族が病気で苦しんでいるのを横目に、家族が生活していくためや、病気治療の金を、無償で、喧嘩している連中の資金源のために金を出す」
 といっているのと同じではないか。
 それも、
「ソーリ」
 という立場を利用して、
「世界にいい顔を見せよう」
 というとんでもないソーリだったのだ。
 だから、すぐに、
「世界的なパンデミック」
 も、完全には収まっていないのに、簡単に、
「レベルを引き下げる」
 ということをしたのだ。
 もし、これが成功したとしても、それは、ただ、
「運がよかった」
 というだけであろう。
 なぜなら、
「政府は、今回のパンデミックに対して、検証をしているのかどうか、当てにならない」
 ということである。
 もし、検証をしているのであれば、
「今のワクチンだけでなく、特効薬の開発を引き続き続けているはずではないか?」
 あの政府が、
「もし開発を続けていれば、自慢するためにも、マスゴミを利用して。宣伝をするはずである」
 それをしないということは、
「開発など最初からしていない」
 ということであり、その大きな理由の一つとして、
「検証をしていない」
 ということではないだろうか?
「一度、パンデミックというのが起これば、いつまた、別のウイルスが発生し、世界を大混乱に巻き込むか分からない」
 ということで、
「検証を行って、次回へのマニュアルにしないといけない」
 と思われるのだ。
 確かに日本は、今回の、
「世界的なパンデミック」
 以外で、直接的に、国内が大混乱になるようなことはなかった。
 だから、逆に、最初だったからこそ、次に備えるということは当たり前のことで、それができないというのは、
「政府自体が平和ボケ」
 をしているということになるのだ。
 実際に、
「あの緊急事態宣言下において、一句団結し、危機を乗り越えた」
 というのに、今では、
「舌の根の乾かぬ内に」
 まるで、何事もなかったかのように、すっかり昔に戻って、誰も警戒しなくなっているではないか。
 これも、政府が、しっかりとした検証を行ない、
「普段から、気を付けておくこと」
 というのを、示さないから、こんなことになるのだ。
 もし、次に別のパンデミックが襲ってきたとしても、
「政府には、どうすることもできないだろう」
 というのは、すでに、民衆は政府のいうことを聴く耳をもっておらず、
「政府が勝手なことを言っている」
 としか思わない。
 それだけのことを政府はやってきたのだ。
「初動のまずさ」
「民主主義の崩壊を意味する政府の暴走」
作品名:滅亡に追いやる夢 作家名:森本晃次