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滅亡に追いやる夢

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 2回目は、
「自然災害」
 によるものだった。
 大正12年9月1日に起こった、
「都市直下型」
 と言われる、
「関東大震災」
 がその理由であった。
 東京、横浜などの大都市が、地震に見舞われ、ガス、水道、電気、さらには鉄道などが壊滅してしまったことで、情報も流れてこない。
 そんな中で、
「自然災害にはつきもの」
 と言われる
「デマ」
 というものが、起こるべくして起こり、その結果、
「朝鮮人の大虐殺」
 というものに繋がったというのだ。
 根拠のないデマに踊らされての暴挙だったのだろうが、そういう意味で、
「戒厳令」
 というのは、仕方がないというよりも、
「当たり前だ」
 といってもいい。
 実際に、
「戒厳令」
 というものが出されて、何とか治安が維持できた状態で、
「自然災害などの場合には、仕方のないことではないか」
 といえるのではないだろうか。
 そして、最後の戒厳令というのは、
「昭和九年二月二十六日」
 いわゆる、
「二二六事件」
 と呼ばれるものであった。
 これには、いろいろ言われていることではあるが、
「軍事クーデター」
 であることに変わりはない。
 映画化されたりすると、この事件を、
「どうしても、反乱軍擁護の立場から描いているものが多い」
 それは、
「日本人という民族の気質として、判官びいきと呼ばれるものが、人気となる」
 ということからである。
「判官びいき」
 というのは、昔、
「源義経が兄の頼朝に反感を買って、最後は自害する」
 という話であり、
「平家を滅亡させた英雄である義経は、英雄気取りで、後白河法皇の策略に乗せられて、勝手に官位を受けてはいけないという頼朝の命令に従わなかったことで、敵対視され、結局討たれる」
 ということだったのだ。
「二二六事件においても、
「当時の日本の、特に農村地帯の困窮は、天皇の側近が、その特権階級に胡坐を掻いて、暴利をむさぼっていることから起こったことだから、そんな奴らを滅ぼす」
 ということでの、
「軍事クーデター」
 だというのが、映画などの見立てであった。
 しかし、実際に歴史的には、
「陸軍内部の、派閥争い」
 というものが、
「軍事クーデターの正体だ」
 ということであった。
 当時の陸軍は、
「農村出身者が多い、いわゆる叩き上げと言われる、皇道派」
 というものと、
「エリート集団として、今でいう、キャリア組が中心の、統制派」
 の二つがその派遣をめぐって争っていた。
 それまでも、
「暗殺事件」
 であったり、幹部の、
「更迭事件」
 などというもので、
「お互いに、火花が散っている」
 という状態であったが、それを、
「一気に解決する」
 ということで、
「皇道派の青年将校」
 による、
「軍事クーデター」
 というものが起こったのである。
 これは、実は、
「いずれは起こることであり、いつが危ない」
 ということを言われるくらいであった。
 だから、反乱軍が、
「天皇中心の政治や軍」
 ということで、
「天皇のためにやった」
 といっても、天皇は、その背景を分かっていたので、
「自分が政治を行う上で頼りにしている人たちを、ことごとく暗殺した」
 ということで、一番の立腹だったのだ。
 だから、最初は、
「青年将校に同情的」
 だった軍も、
「天皇の意向」
 を聴くに及んで、
「反乱軍を征伐」
 ということになったのだ。
 反乱軍も、
「自分たちが反乱軍だ」
 ということになってしまうと、
「もう、これ以上は、どうしようもない」
 ということで、
「原隊に兵を返す」
 ということにしかならないのだった。
 そもそも、この反乱には、無理がある。
 というのは、いろいろな意味で、
「天皇に対しての反逆」
 といえるからだ。
 そもそも、
「こういうことがないように」
 という意味が含まれていたのかどうか分からないが、
「天皇の統帥権」
 というのが、大日本帝国憲法には、存在するのだ。
 それによって、
「軍というものが、政府ではないところで独立して存在する」
 という、
「他の国にはない、日本独特の体制」
 というものが確立している。
 というのは、
 大日本帝国憲法において、主権のところで、日本が、
「立憲君主の国である」
 ということが定義され、
 さらに、その
「統帥権」
 というものとして、
「天皇は、陸海軍を統制す」
 という条文がある。
 これは、
「陸海軍というものは、天皇直轄の機関ということで、政府とは関係ない」
 ということであった。
 だから、
「軍は、天皇の命令のみで動き、いくら政府といえども、軍の作戦や体制に対して、口出しをしてはいけない」
 ということであった。
 だから、かの、
「大東亜戦争」
 において、戦争責任者である、総理大臣としての、東条英機は、陸軍出身でありがなら、
「軍の中心」
 である、
「大本営や、その会議」
 に参加することもできず、守秘義務として、当然、軍の作戦や戦果なども、知ることはできなかったというわけである。
 つまり、
「二二六事件」
 においての、軍事クーデターでは、
「一介の青年将校の立場で、天皇の許可もなく、勝手に、自分の隊を動かし、暗殺を行った」
 というわけなので、許されるわけはないのだ。
 今の日本でも、
「いくら、ソーリが能無しだからと言って、警察組織を動かして、首相を暗殺する」
 ということになれば、大問題である。
 もっとも、それは、
「民主国家において」
 ということであるから、騒ぎになるわけで、逆に、これが、
「立憲君主国家」
 である国で、軍事クーデターというのは、
「君主に対しての反逆」
 ということで、よほどのれっきとした理由がなければ、
「国家反逆罪に当たる」
 ということになるだろう。
 そういう意味で、
「最初から、このこれがクーデターである」
 ということが分かったうえで青年将校たちは、決起したのだろうから、本来であれば、
「いくら天皇が、反乱軍として考えたとしても、最後まで、初志貫徹を目指すのが当たり前」
 ということであろう。
 実際に、
「決起に最後まで及び腰だった」
 という将校は、天皇が、反乱軍とした直後、
「兵を原隊に返そう」
 と言い出した時、怒りをあらわにし、
「天皇の一存で兵を返すくらいの考えであれば、最初から決起などしなければよかったんだ」
 ということで、
「俺は最後まで戦う」
 というのを、
「俺たちはできるだけのことはやった。だから、結果がこうなったというだけで、せめて、兵の命は救ってやろう」
 ということを言って説得したというのが、映画の内容だった。
 確かに、
「美談」
 という風に聞こえ、
「お涙頂戴」
 ということになるのだろうが、果たして。
「かわいそうだ」
 ということだけで済まされることであろうか。
 確かに、時代が変わり、
「民主国家」
 というものになった日本であるが、
 実際には、憲法では、
「軍も兵もすべて天皇のものであり、緊急時代でもない限りは、軍や兵を動かすのは、天皇の命令がなければできない」
 ということである。
 それを従わせるために、
作品名:滅亡に追いやる夢 作家名:森本晃次